米の品質とおいしさを競う「第13回米・食味分析鑑定コンクール国際大会」において、台
東県玉里の李文煌さんという方が作った「台中149号」が、日本の全国都道府県および海外
を対象とした地域別の特別賞部門で優勝米に選ばれた。
「台中149号」という米の名称を見て、磯永吉(いそ・えいきち)と末永仁(すえなが・
めぐむ)が台湾で心血を注いで品種改良に成功した「台中65号」を思い出した。「台中149
号」は、恐らく「台中65号」を品種改良したものだろう。
この「台中65号」は磯と末永により、10年にわたる試行錯誤を経て大正10(1921)年に
改良に成功し、当時の第10代台湾総督だった伊沢多喜男(いざわ・たきお)により大正15
年に「蓬莱米」と命名されている。
磯永吉は「蓬莱米の父」、末永仁は「蓬莱米の母」として今でも台湾の人々から尊敬さ
れ、彰化県大村郷内にある台中区農業改良所には「台中65号」の記念碑も建てられている。
最近になって、台湾大学農芸学科関係者らが磯永吉と末永仁の胸像を制作したと、産経
新聞が伝えている。下記に紹介したい。
胸像制作には、八田與一や後藤新平などの胸像を自ら制作してきた奇美実業創業者の許
文龍氏も寄与しているという。
米の品質とおいしさを競うコンクールで、台湾の「台中65号」の後継種と思われる「台
中149号」が優勝米に選ばれたことをもっとも喜んでいるのは磯と末永だろう。
台湾大に日本人農学者らの胸像設置へ
【産経新聞:平成24(2012)年3月8日】
写真:台北市の台湾大学で、公開を待つ磯永吉(中央右)と末永仁(同左)の胸像。頼光
隆名誉教授(右端)と許文龍氏(左端)らが奔走した(吉村剛史撮影)
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120308/chn12030821060003-n1.htm
【台北=吉村剛史】日本統治時代の台湾で、コメの品種改良に取り組んだ農学者を顕彰
しようと、台湾大学農芸学科関係者らが寄付を募り、農学者、磯永吉(1886〜1972年)と、
磯を助けた農業技師、末永仁(めぐむ)(1886〜1939年)の胸像を制作した。大学構内の
「旧高等農林学校作業室」(台北市史跡)に設置を予定しており、10日にお披露目が行わ
れる。
磯は広島県出身。東北帝大農科大(札幌)を卒業後、1912年に渡台。総督府農事試験場
などを経て30年、台湾大の前身、台北帝大の教授となり、台湾在来種のインディカ米と日
本のジャポニカ米の交配を重ね、味がよく、台湾の気候にも適した「台中65号」(蓬莱米)
を開発した。
一方、末永は福岡県出身で、大分県の三重農学校を卒業後、農業技手として10年に渡台。
台中の農事試験場技師などとして、磯の長年の改良を助けた。蓬莱米は台湾の米産力を飛
躍的に発展させたため、磯は「蓬莱米の父」、末永は男性ながら「母」として知られてい
る。
台湾大の農芸学科関係者らは、磯が同大に残した貴重な関連資料が、日本語世代の減少
とともに活用されなくなり、忘れ去られようとしていることなどを危惧して像の設置を計
画。
戦後の57年まで同大で教えた磯の元教え子らが寄付金を集め、昨年の東日本大震災の発
生後に台湾から日本へ多額の義援金が贈られる中、学外の実業家らも多額の寄付金を寄
せ、実現したという。
生前の磯と交流のあった同大名誉教授の頼光隆氏(80)や、10万台湾元(約27万円)の
寄付を寄せたABS樹脂などで知られる台湾の奇美グループの創設者、許文龍氏(84)ら
は「実り豊かな台湾に貢献した人々の存在を、日台双方の若者に知ってほしい」と話して
いる。