第15回李登輝学校研修団レポート(9) 蔡焜燦先生「台湾と日本−桜の絆」 佐藤 和代

第16回研修団は11月2日〜7日に実施

 第15回目となる日本李登輝友の会の「台湾李登輝学校研修団」は、5月7日から11日の4泊
5日の日程で行われ、5月16日から本誌で本部事務局員の佐藤和代さんによるレポートを断
続的に掲載しています。

 9回目となる今回は最終日の5月11日に行われた蔡焜燦(さい・こんさん)先生による特
別講話のレポートです。

 なお、次回の第16回台湾李登輝学校研修団は、すでにご案内のように11月2日(水)〜7
日(月)に実施します。ふるってご応募ください。


◆ 第5日目(5月11日) 蔡焜燦先生「台湾と日本−桜の絆」

 台湾李登輝学校研修団もとうとう最終日を迎えました。まず最初は蔡焜燦(さい・こん
さん)先生による特別講話です。

 はじめに蔡先生が理事長を務める李登輝民主協会から日本李登輝友の会へこのたびの東
日本大震災に対する義捐金100万元(約280万円)の授与式が行われました。その際、蔡先
生は、1999年9月21日の台湾大地震に触れ、その時に受けた日本からのさまざまな救援(即
座に日本の救援部隊が台湾を訪れたこと、若者たちが大勢来て肉体労働を進んで行ったの
を目にしたことなど)に感謝の思いを新たにされていました。

 蔡先生の特別講話のタイトルは「日本と台湾−桜の絆」。桜は日本の国花とされていま
すが、台湾の人々も桜が大好きです。平野久美子さんの『トオサンの桜』にも描かれてい
るように、とくに日本語世代の台湾人にとっては特別な意味を持つ花のようです。本会
は、会員などからの浄財をもとに、平成18年から毎年、台湾に河津桜の苗木1000本を贈っ
ています。台湾でみごとに根付いて今年も花を咲かせました。

 蔡先生は「台湾歌壇」の代表でもあることから、桜にちなんだ歌を紹介しながら、桜に
寄せる思い、台湾と日本の繋がりをしみじみと、ときにユーモアも交えながら、お話下さ
いました。蔡先生のユーモアと深い教養にあふれたお話は、ニュアンスまでお届けしたい
ので、いささか長くなりますがご講話の内容をそのままご紹介します。

                     ◇

 皆さん、「桜(櫻)の木」とかけて何と解きますか? 「櫻」という字は二つの「貝」
と「女」と「木」で成っていますね。これを「二階(二貝)の女が気に(木に)かかる」
としたらどうでしょう? よく出来ているでしょう。

 「桜」にまつわる歌で「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」がありますね。本
居宣長の和歌です。いい歌ですね。

 さて、日本李登輝友の会は桜の苗木を贈り続けて下さっていますが、烏山頭ダムのほと
りに植えられた桜が、小さな木ですが花を咲かせました。また新たに1500本植える予定で
す。

 この烏山頭ダムを16000キロの給排水路とともに世界遺産登録を目指している動き(署名
活動)があります。大変嬉しいことですね。

 桜の和歌をもう1つ。私は少年航空兵でしたが、当時、私たち若者の間で合言葉のように
なっていた「散る桜残る桜も散る桜」、実はこの歌は良寛さんの歌だったのですね、驚き
ました。良寛さんは三十一文字の歌しか作らないものかと思っておりました(この後、蔡
先生に促されて、研修団員皆で「さくら さくら」「同期の桜」を歌いました)。

 「同期の桜」で思い出すことといえば「鎮安堂・飛虎将軍廟」です

【注】「飛虎」とは「戦闘機」のこと。大東亜戦争のさなか、米機動部隊はフィリピン攻
 略作戦の前哨戦として、台湾各地に航空決戦を挑んできました。その火蓋が切られたの
 は昭和19年10月12日。米機グラマンが攻めてきて、それを向かい撃ったのが台南空軍と
 高雄空軍。その激しい空中戦の中、米機に体当たりをした一機の零戦があり、それが杉
 浦兵曹長の機であったのです。のちに杉浦兵曹長を飛虎将軍と称して祀ったのが、「鎮
 安堂・飛虎将軍廟」。

 この廟の祭祀を司っていたのが林さんで、毎日、朝夕、祝詞があげられていました。朝
に「君が代」、夕に「海ゆかば」です。林さんは「だ行」がうまく発音できません。それ
で「実はもう1つ祝詞があるら」と言います。聞くとそれは「同期の桜」。先ほど皆さんと
唱和した「同期の桜」だと言うのです。林さんは日本の歌になるとハッキリ上手に歌われ
ました。

 阿倍仲麻呂(あべの・なかまろ)、中国名は晃衡(ちょうこう)といいましたが、この
人物は唐に渡り玄宗に仕え、重用されました。帰国を何度か図りましたが、結局果たせず
に終わります。別れの宴ではあの王維も別離の歌を詠んでいます。一方、仲麻呂の方も歌
を詠みました。

   天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも

 この歌は漢詩の五言絶句の形になって、中国の記念碑や歌碑に刻まれています。

   翹首望東天 (首を翹げて東天を望めば)
   神馳奈良邊 (神〔こころ〕は馳す 奈良の辺〔ほとり〕)
   三笠山頂上 (三笠山頂の上)
   思又皎月圓 (思へば皎月 又円(まどか)なるを)

 現在、中国では日本人観光客を当て込んだ碑や建造物を作ったりしていますが、台湾は
そういうことはありません。台湾は今でも自然に日本を受け入れています。

(ここまでお話されて、蔡先生は「何か質問はありますか?何でも答えます。知らないこ
とがあれば後で勉強してお答えします」「とくに美人の質問を受け付けます」と仰って、
その場がふっと和みました)

 この蔡おじいちゃんは何故、髭を伸ばしているか、お話ししましょうか。

 来年1月は台湾決戦の年です。今年の1月に願をかけて伸ばし始めました。これで馬刺し
を食べるんです(一同笑い)。いえいえ、本当に食べるんじゃなしに「これ、馬を刺す」
という願懸けです。

*ここで、若い女性研修生から質問。「私は司馬遼太郎先生の『台湾紀行』を愛読してい
 て、台湾に来るときは必ず読んでくるのですが、その当時の台湾人の心や生活と現在と
 では、何か変化がありましたら教えて下さい」

 司馬遼太郎先生がいらっしゃった当時の台湾は、やっと自由にものが言えるようになっ
た頃です。李登輝閣下の時代まで“もの言えば唇淋し”でした。それまで50年間のシナ人
の統治下で、うっかりものが言えないという状況に置かれ、その後遺症に悩まされました。

 例えば、今でも友人と写真を撮ると「大丈夫かな」と思う。なぜならシナ人の統治時代
は、写真の友人が捕まると、一緒に移った他の人もパクられた。また警察に連行されて「い
ま付き合っている者の名前を書け」と言われて書くと、その仲間がパクられる。名刺を持
っていても同じようにやられました。蒋介石の時代は本当に酷い時代でした。

 『台湾紀行』の最後の方で司馬先生と李登輝閣下の対談が載っていますが、李登輝閣下
が「台湾に生まれた悲哀」と仰った、そのことについて国民党は騒がなかったが、中国の
共産党が騒いで日本の朝日新聞に抗議をしたりしました。

 李登輝閣下の時代から自由にものが言えるようになって、極端な話、李登輝閣下の悪口
を言っても捕まることはなくなった。このように台湾を民主化された李登輝閣下を大変尊
敬しています。

 生活は良くなりました。餓死する、といったことはなくなりました。が、後遺症はいま
だに残っています。

*ここでまた研修団員から質問。「日本ではこの震災で福島原発の事故を受け、浜岡原発
 が停止されました。台湾でも新しい原発をどうするかという問題があります。蔡先生は
 原子力発電所について、どう思われますか?」

 これは難しい問題です。なぜなら、世界の資源や人口を考えると、水力や火力だけでは
間に合いません。ですから、反対とは言い切れない。許世楷先生が「原発に賛成するも反
対するも民意で決める。もし国民が賛成したなら、その責任は国民が負う。もし事故が発
生してもそれを受け入れねばならない」と仰ったことに関して、お気持ちは分かる。

 私がここで言えるのは、世界の原発の専門家が研究して、より安全な原発を作ること。
そうでなければ電力は到底足りないという現状がありますから。日本の菅総理が浜岡原発
は危ないから停止と決めた、それはいいでしょう。重要なのはそれからです。これからど
うするのか、が大切です。

*研修団員から質問。「私は学園を経営していますが、今日本では自虐史観(東京裁判史
 観)が浸透してしまっている、この教育界の状況において、今後の教育をどう導いてい
 けばよいのかを日々考えています。そのような中、台湾の許文龍先生が日本統治時代の
 教育を評価しています。平和ボケした日本は、台湾から教わることが多い。そこで是非、
 蔡先生にも日本人に向けてメッセージを戴けたら光栄です」

 素晴らしいご質問です。私は許文龍先生より一つ年上。ですから考え方は同じです。

 日本統治時代の昭和10年の時点で、私の出身校「清水(きよみず)公学校」では当時、
日本のどこにもなかった校内に有線放送設備がありました。そこでレコードを放送したの
ですが、それを活字にして『綜合教育讀本』を作りました。これこそ日本の誇り、日本は
台湾にこういうことをしたという証拠です。

 「日本は台湾を、朝鮮を、植民地支配した」といい、シナと朝鮮に阿っている、それで
はいけないんです。日本の「日教組教育」がいけません。その日教組教育を受けた子供が
もう親になっていますから、親を教育しなければなりません。私はことあるごとに日本の
若い学生たちに日本のよさを教えています。もっと日本の素晴らしい歴史を子供達に教え
なければなりません。

 もう1つ可哀想なこと、それは日本の子供は日本の神話を知らないことです。素晴らしい
神話を教えなければなりません。天皇・皇后両陛下が被災地を回られ、被災者の前に膝ま
づき手を握られお声をかけている。こんな素晴らしい国はありませんよ。

                     ◇

 蔡先生は最後そのようなお言葉を述べられ、特別講話を終えられました。「日本がんば
ろう」と一緒に日本の復興(精神の復興も含めて)を願っていらっしゃる蔡先生に、研修
団一同、心から励まされたという思いで一杯になりました。蔡先生、お髭がほんとうによ
く似合っていらっしゃいます。

 次回は最終講義のレポートです。                    (つづく)



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