(しん・しじゅん)氏が夫人を伴って着任した。
馮氏の代表時代にあまり見るべき成果はなく、許世楷・前代表が作った料理を皿に盛り
つけただけという印象だ。日本の政治家を誰一人知らないまま、日本語ができるというだ
けで代表に就任したといわれ、指名した馬英九総統自身も日本をよく知らないがゆえの
「日本コンプレックス」に陥っていたそうだから、それも致し方ない。馮代表の唯一の成
果といえば、故宮博物院展の日本展示に風穴を開けたことだろうか。
しかし、実務型の沈斯淳代表の役割は重い。日本・韓国・中国の間で自由貿易協定(F
TA)交渉が進む現在、「任期中の最大の目標は、日本とのFTA締結」(中央通信社)
だと報じられている。台湾にとって最大の友好国のひとつである日本で、お互いの国益に
合致する政策を実現できるか、その手腕を見守りたい。
下記に着任挨拶とプロフィールを「台湾週報」から紹介したい。
沈斯淳・駐日代表着任のご挨拶
【台湾週報:2012年5月30日】
台湾と日本は歴史的、地理的な関係が深く、さらには自由、民主主義、法治などの価値
観を共有し、長年にわたる各界の人々の努力の下、経済・貿易、人的往来、文化、科学技
術等のいずれの分野の交流も、大きな進展がありました。
特に前任の馮寄台代表の3年余りの在任中に、台日間はワーキングホリデー協定、協力強
化覚書、投資協定、台日特許審査ハイウェイ覚書などに調印し、航空協定改正の交換公文
を交わし、台北松山空港と東京羽田空港の直行便就航およびオープンスカイ(航空自由
化)が実現しました。そのほか、わが国の駐日代表処札幌分処の開設、台北文化センター
の開設、日本の国会での海外美術品等公開促進法成立によって台北の故宮博物院の文物が
今後日本で展示できるようになるなど、目に見える具体的な成果がありました。
馬英九総統は私と接見した際に、外交は内政の延長であり、政策の正確さが最も重要で
あると述べました。2008年5月に馬総統が就任して以来、活路外交の政策を採ったことによ
り、台日関係は顕著に向上し、改善されました。
私は着任後、台日間においてすでに構築されている良好な基礎の上に、引続き努力して
まいります。今後、日本に対する実務の重点としては、各界関係者との交流強化、相互信
頼関係の確立であり、経済面では、昨年9月の台日投資協定の調印後に続く、両国の企業協
力の強化、二国間の貿易および投資関係の開拓・発展、中国大陸市場への共同進出といっ
たトリプルウィンの状況を構築することです。また、文化および観光面では、国立故宮博
物院の日本での展示を行うことについて全力を挙げて協力していくものであり、また同時
に、両国国民の相互訪問の促進も継続的に行ってまいります。東日本大震災後の復興再建
面では、わが国は台湾中部大地震(1999年に発生)および台風8号水害(2009年に発生)の
復興再建の経験を提供いたします。
長年にわたり、公益財団法人交流協会、日華議員懇談会など、日本各界の友好組織の関
係各位による多大なる協力により、台日関係に具体的な進展が見られたことに、私は敬服
ならびに感謝の念を表するものであります。また、今後は双方間の交流がより密接にな
り、引続き台日友好協力関係のために、共に努力してまいりたいと願っております。
【台北駐日経済文化代表処 2012年5月30日】
沈斯淳・駐日代表のプロフィール
【台湾週報:2012年5月30日】
沈斯淳 しん・しじゅん Ssu-Tsun Shen
生年月日:1953年9月
学歴
1975年 国立台湾大学政治学科卒業
経歴
1980年-1982年 外交部北米司(局)職員
1982年-1986年 駐ニューヨーク弁事処三等秘書(書記官)
1986年-1989年 駐ニューヨーク弁事処二等秘書(書記官)
1989年-1992年 外交部国際組織司(局)課長
1992年-1995年 外交部国際組織司(局)副司長
1995年-1998年 駐バンクーバー弁事処処長
1998年-2001年 駐カナダ代表処副代表
2001年-2003年 外交部国際組織司長(局長)
2003年2月-9月 外交部西アジア司長(局長)
2003年-2008年 駐チェコ代表処代表
2008年-2010年 外交部主任秘書
2010年5月-2012年5月 外交部常務次長(事務次官)
2012年5月30日- 台北駐日経済文化代表処代表