李登輝元総統の石垣訪問と台湾のパイナップル

 中国が3月1日に輸入を停止した台湾産パイナップル問題は、日本側の購入予約量が2020年の2,000トン余をはるかに上回る5,000トンに達し、また1,200トンの追加購入もあり、また、屏東県からの第1陣が西友などのスーパーにもお目見えしたことで、一時の混乱は収まったようだ。

 私ども日本李登輝友の会にとってパイナップルと言えば、やはり亡くなられた李登輝元総統の石垣訪問が思い出される。

 2016年7月30日から8月3日にかけて、李登輝元総統が石垣島を初めて訪問された。総統を退任してから8度目、3年連続のご来日だった。曾文恵夫人、長女の李安娜さんやその娘さん、若くして癌で亡くなった長男李憲文氏の娘の李坤儀さんと夫の趙贊凱氏も同行してきた。

 石垣空港には台北駐日経済文化代表処の謝長廷代表や交流協会の今井正理事長、本会会員などが日の丸の小旗などで出迎える中、車椅子で現れたことを昨日のように思い出す。

 招聘は、全国青年市長会会長(当時)で本会理事の吉田信解・本庄市長が代表世話人をつとめ、同会副会長の中山義隆・石垣市長が副代表世話人をつとめる「李登輝先生沖縄県石垣市招聘事業実行委員会」。本会は共催し、全国青年市長会と地元の八重山経済人会議が後援し、40代、50代が受け入れの中核を担った。

 李元総統一行は石垣空港から、島内のほぼ真ん中に位置する名蔵という、かつて台湾人が入植したところに建つ「台湾農業者入植顕頌碑」に直行された。この顕頌碑は名蔵ダムの畔にあり、「パイナップル産業と水牛導入の功績を称える」碑の傍らには水牛の像も建っている。

 7月31日、ANAインターコンチネンタル石垣リゾートにおいて開かれた講演会には、ハイシーズンで離島にもかかわらず、日本ばかりか台湾からも500人を超える人々が集う中、李元総統は「石垣島の歴史発展から提言する日台交流のモデル」と題して講演された。

 台湾人が持ち込んだパイナップル栽培や水牛による耕作、パイナップルの缶詰製造などが石垣島の一大産業として育った歴史について述べ、石垣島と台湾の歴史的な交流や経済分野における協力関係は、将来の日台間における地方自治体同士の交流に応用可能であり、将来は「モノのインターネット」であるIoTを主体にした協力体制に変わっていくとする趣旨だった。

 この石垣訪問のことを4月4日付の産経新聞「産経抄」が思い出して取り上げ、日本は台湾のパイナップルの「大幅な輸入の拡大を図りたい」と勧め、東日本大震災への台湾の多大な支援に対する「恩返しをする絶好の機会」とも説いている。果たしてそのような経過をたどったことは冒頭に述べたとおりだ。

 石垣を訪問された李元総統は講演の翌日、琉球華僑総会八重山分会が開いた歓迎晩餐会に臨まれた。とても気分がよさそうだった。皆さんの「台湾万歳」や「沖縄万歳」に合わせて自らも両手を挙げて唱和し、途中で台湾語を交え、涙ながらに話される場面もあった。異郷の地にしっかり根を張り、石垣の人々とも深く交わりながら生きる同胞を見て心に深く感ずるものを覚えられたのだろう。あのように感情を表に出しながら話す李元総統を見たのは初めてだった。

 パイナップルと李登輝、昨日のことのように思い出される。

—————————————————————————————–産経新聞「産経抄」:2021年3月4日

昨年97歳で亡くなった台湾元総統の李登輝氏は、平成28年に沖縄県石垣島を訪れている。石垣島と台湾はわずか250キロしか離れていない。沖縄本島より近いとあって、歴史的に結びつきが強かった。

▼特産物のパイナップルは、台湾から移り住んだ人たちが、栽培や加工技術を伝えたものだ。李氏は講演で、そんな歴史を紹介しながら述べた。「台湾も日本も運命共同体だ。石垣島の例は、日台協力関係を築く上でモデルになる」。

▼台湾にパイナップルは18世紀ごろに伝来した。日本統治下に入ると、官民あげてパイナップル産業の近代化が図られた。品種改良が進み、缶詰工場が次々に建てられた。戦後の一時期には、缶詰の生産量が世界一を誇ったこともある。もっとも、1980年代に入ると生産コストの上昇により、国際市場での競争力を失った。

▼台湾は生のパイナップルの輸出に活路を見いだした。昨年の輸出量の9割以上が中国向けである。その中国が、今月1日から突然禁輸を決めた。検疫で害虫が検出されたとしているが、政治的嫌がらせとしか考えられない。

▼蔡英文総統は、市民に購入を呼びかけている。日本も一肌脱いで大幅な輸入の拡大を図りたい。台湾は10年前の東日本大震災に際して、250億円を超える義援金をはじめ支援を惜しまなかった。恩返しをする絶好の機会である。

▼その上で蔡氏にお願いしたい。台湾は、中国や韓国とともに、東京電力福島第1原発事故を理由とした、日本産食品の輸入規制を今も続けている。3年前の住民投票では禁輸継続が賛成多数となったとはいえ、その期限は昨年11月に終了した。輸入解禁を決断すれば、「運命共同体」としての日本と台湾の絆はますます強まるだろう。

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