華民国の領土であり、地理的には台湾付属の島嶼であり、宜蘭県頭城鎮大渓里に属して
いる」と発表し、尖閣諸島を自国領としている立場を明らかにしている。
だが、先に本誌でも指摘したように、尖閣諸島は歴史的にも国際法上からも明らかに
日本の領土である。
4年前の平成16年3月、尖閣諸島・魚釣島に7名の中国人活動家が不法上陸した折に、
日本政策研究センター研究員の小坂実氏が月刊「明日への選択」平成16年5月号におい
てかなり詳しく発表している。
いささか長い論考ではあるが、尖閣諸島をめぐる日台の共通認識となることを願って
掲載したい。 (編集部)
尖閣諸島は日本領土
尖閣諸島は中国の「固有の領土」? これこそ「言い掛かり」にすぎない。
日本政策研究センター研究員 小坂 実
去る三月二十四日(平成十六年)、沖縄県の尖閣諸島・魚釣島に七名の中国人活動家
が不法上陸した。日本政府は当初、この不法侵入者たちを逮捕したものの、結局「大局
的に判断」(小泉首相)して送検を見送り、強制退去による幕引きが図られた。また事
件を受け、衆議院安全保障委員会は「わが国の領土保全に関する決議」を全会一致で採
択したが、国会全体の意思を表明する衆参両院の決議は実現しなかった。
確かに、尖閣諸島は竹島や北方領土とは異なり、今は日本が実効的に支配している。
だが一九九二年、中国は自国の領海法に尖閣諸島の領有を明記するなど、明らかに同諸
島の「略奪」を狙っている。国家主権の尊厳よりも、「日中友好」優先の事なかれ主義
的な日本の対応を見るにつけ、今後も実効的な支配を続けることができるのだろうかと
不安になる。
むろん、不安の種は政府や国会の対応ばかりではない。日本政府も国民の多くも尖閣
諸島に無関心を決め込む一方で、マスコミの中には、結果的に中国に加担するような論
調すら見受けられる。
例えば、東京新聞(平成十六年三月二十六日付)が掲載した「薄い根拠、対立は不毛」
という記事である。「各国の論拠には、それぞれ無理がある」と言い出す某大学教授を
登場させ、これを「日本における尖閣諸島の領有権研究では第一人者」と同紙は紹介す
る。また、日中双方がまるで対等に領有権を争っているかのような記事を垂れ流す大手
新聞もある。
むろん、こうした認識は事実を無視した全くの暴論に過ぎない。尖閣諸島がわが国固
有の領土であることは、歴史的にも国際法上も一点の疑問の余地なき事実である。
しかし、今の政府には尖閣諸島に関する正しい知識を積極的に国民に伝えようとする
熱意が見られない。また、日本の教科書は、扶桑社版『新しい公民教科書』を例外とし
て、尖閣諸島が日本領土である事実を子供たちに教えていない。こんな状況が続けば、
先のような「言い掛かり」が尖閣諸島についての日本人が持つべき正しい理解を損ない、
遠からず中国側の尖閣領有に対する野望に日本が屈してしまう事態さえ到来しないとは
言い切れまい。
そこで、わが国の尖閣領有をめぐる歴史的事実、その国際法的正当性、中国側の領有
権主張の不当性──の三点について概説してみたい。
◆七十六年間の「平穏かつ継続的な支配」
尖閣諸島は、沖縄・奄美などを含む南西諸島の西の端に位置する小島群で、魚釣島、
北小島、南小島、久場島、大正島、沖の北岩、沖の南岩、飛瀬の総称である。総面積は
約六・三平方キロメートル。最大の島である魚釣島が約三・六平方キロメートルである。
同諸島は今は無人島であるが、戦前には日本人が定住した時期もある。
同諸島がわが国領土に編入されたのは明治二十八年(一八九五)にまでさかのぼる。
最初に強調しておきたいのは、それ以降昭和四十六年(一九七一)までの七十六年間、
わが国の領有に対して、外国から異議が唱えられたことはなかったという事実である。
ところが、昭和四十三年秋、日韓台の科学者を中心にECAFE(国連アジア極東経
済委員会)が東シナ海一帯の調査を実施。その結果、尖閣諸島周辺の海底に石油資源が
豊富に埋蔵されている可能性が指摘されるに及び、昭和四十六年後半、突然中国と中華
民国が公式の外交部声明を発してわが国の尖閣領有に抗議し始めたのである。これらが、
経済的・政治的な動機にもとづく「不純」なものであることは明白であろう。
では、それ以前、わが国は尖閣諸島といかなる関わりを持ってきたのだろうか。一言
で言えば、「平穏かつ継続的な実効的支配を尖閣列島に及ぼしてきた」(奥原敏雄氏)
と言える。
次に、領土編入にいたる経緯にさかのぼり、わが国の尖閣諸島に対する支配の実態を
述べてみたい。
日本政府が初めて沖縄県に対して尖閣諸島の調査を命じたのは明治十八年(一八八五)
のことである。当時の沖縄県令は出雲丸で尖閣諸島へ官吏を派遣し、港湾の形状や開拓
の見込みなどを調査させ、その結果を報告させている。
こうした調査を踏まえ、明治政府は尖閣諸島が帰属未定の地であるとの認識を持つに
至る。そこで明治二十八年一月十四日、政府は尖閣諸島を沖縄県の所轄とし、標杭を建
てることを閣議決定した。そして沖縄県知事は翌二十九年、同諸島を八重山郡に編入す
る。
その後、明治三十五年(一九〇二)、同諸島は八重山大浜間切登野村の所属となり、
大正三年(一九一四)には石垣島が石垣村に昇格し、同諸島は石垣村の所属となる(現
在は石垣市の所属)。
また、政府は尖閣諸島のうち、魚釣島、久場島、南小島、北小島の四島を国有地に指
定する。そして明治三十五年には沖縄県が最初の実地調査と地図作製を実施。その後も
海軍水路部などが実地調査を行っている。
その間、これら四島で漁業を営んできた古賀辰四郎氏から国有地借用申請が出され、
政府は期間三十年の無料貸与を許可する。昭和七年(一九三二)には、子息の善次氏か
ら先の四島の払下げ申請が出され、政府は有料で払下げることを許可している。
なお古賀辰四郎氏らは、これらの島々に多額の資本を投入し、のべ数百人の労働者を
送りこむ。そして桟橋、船着場、貯水場などを建設、また海鳥の保護、植林、実験栽培
なども行ない、開拓事業を発展させた。
第二次大戦終結後、尖閣諸島はサンフランシスコ平和条約に基づき、他の南西諸島と
ともに米国の施政権下に入る。昭和二十八年十二月二十五日の米国民政府布告第二十七
号は、同諸島が琉球政府の管轄区域に含まれることを明示した。実際、琉球政府は古賀
氏所有の四島に固定資産税を賦課するなど、その法制を尖閣諸島に及ぼし続けてきた。
そして昭和四十七年五月十五日の沖縄返還協定の発効とともに、同諸島の施政権は日
本に返還され、今日に至っている。
こうした領土編入から戦後にいたる一連の事実こそは、尖閣諸島がわが国の領土以外
の何物でもないことを明白に示している。
◆尖閣領有の国際法的正当性
では、わが国の尖閣諸島の領有措置は国際法上どのように説明できるのだろうか。わ
が国外務省はもとより、日本の国際法の専門家たちは、これを国際法上の「先占」と呼
ばれる行為に当たると説明している。
国際法上、ある国は、どの国にも属さない地域(無主地という)がある場合、一方的
な措置をとることによって、これを自国の領土とすることが認められている。これが先
占と呼ばれる行為だが、一般的に、先占が有効であるためには三つの要件を満たしてい
ることが必要だと言われている。第一にその地域が無主地であること。第二に国家がそ
の地域を自国の領土とする意思を明らかにすること。第三に、実際上もその地域に有効
な支配を及ぼすことである。
先に述べた尖閣諸島をめぐる経緯に照らせば、同諸島がわが国の領土であることは国
際法的にも正当であることが判明する。
まず、わが国が明治十八年以降、現地調査を行い、尖閣諸島に清国など外国の支配が
及んでいる証跡がないことを確認したことは先に述べた通りである。つまり、無主地で
あることがはっきり確認されている。
また、明治二十八年、同諸島に標杭を建設する旨の閣議決定を行い、領土編入の行政
措置をとったことは、領有意思の表明に当たる。
さらに戦前から戦後にかけて、尖閣諸島に対して政府や沖縄県が行ってきた行政区分
の確定や国有地への指定、あるいは徴税等の様々な行政措置は「有効な支配」に該当す
る。
それ故、「尖閣諸島が国際法上も有効にわが国に帰属していることは問題がありませ
ん」というのが、当然ながらわが国政府の立場である。
むろん、こうした政府の立場は従来から多くの国際法の研究者たちによって支持され
てきた。最近の研究としては、神戸大学大学院の芹田健太郎教授の『日本の領土』(中
公叢書)の中の一章が挙げられる。細かい法律論を省いて結論だけ引用すると、「尖閣
諸島は無主地であったと考えられる」「日本の領有意思は国際判例や通説の説く意味で、
確認することができる」「尖閣諸島に対する日本の実効的支配は明らかである」などの
見解を表明している。
◆「釣魚島は昔からの中国領土である」?
では一体、これだけ明白なわが国の領土に対して、中国側はいかなる異議を唱えてい
るのだろうか。
現在の中国の公式的見解を代弁しているのは、一九九六年十月十八日付の人民日報に
掲載された鐘厳なる人物の「釣魚島の主権の帰属について論じる」だと言われている。
主な主張は三点に絞られるが、結論から言えば、何れの主張も学問的な検証に耐えな
い「言い掛かり」と言うべき代物で、わが国の尖閣諸島領有の正当性をいささかなりと
も揺るがすものではない。次に日本の専門家たちによる研究を参考に、中国側の主張に
反論を加えたい。
中国側主張の第一点は「釣魚島は昔からの中国領土である」「釣魚島は無主地ではな
かった」というものである(注・釣魚島は魚釣島の中国名)。これは彼らの主張の根幹
をなすもので、これが立証できなければ残りの主張もほぼ崩れてしまうと言ってよい。
この主張の主な論拠としては次のような事柄が指摘されている。
・明朝から冊封使録等の歴史文献に釣魚島に関する記載がある。
・冊封使録は釣魚島が琉球に帰属していなかったことを示している。
・明朝から釣魚島は中国領土として中国の防衛区域に含まれていた。
だが果たして、これらの論拠は尖閣諸島が中国に帰属していたことを裏付けるものと
言えるのだろうか。
冊封使とは、明や清代に朝貢関係にあった琉球王の交替にあたり、中国皇帝より派遣
された使者のことである。彼らは詳しい航海録を残しており、確かにそれらの中には「釣
魚嶼」「赤尾嶼」など、尖閣諸島の一部を中国名で記したものがある。また尖閣諸島よ
りも沖縄に近い久場島をもって「琉球に属す」と記したものもある。
が、そうした記述を以て尖閣諸島が中国領土だったというのは事実を歪曲した強弁と
言うべきだ。なぜなら、明や清代の五百年間に冊封使が派遣された回数は二十三回に過
ぎないが、琉球側からは明代だけでも進貢船などの使船が百七十一回も派遣されている
のだ。これは、当時の琉球人が航路について豊富な知識を持っていたことを示しており、
「中国人は琉・中間の航路について琉球人より学んでいる」(尾崎重義氏)と言えるの
だ。つまり、冊封使録に記された尖閣諸島の中国名は、「航海上の目標」として琉球人
から中国人に伝えられた島々が、結果的に中国名で記録されたということなのだ。決し
て尖閣諸島が中国領であったことを証明するものではない。むろん、当時の琉球が尖閣
諸島を領土とみなしていなかったからといって、中国領であったと言えるはずもない。
では、尖閣諸島が中国の海上防衛区域に含まれていたという論拠はどう見るべきか。
中国側は明朝の提督が編纂した著書にある「沿海山沙図」に尖閣諸島が記されているこ
とをその証拠とするが、尾崎氏は、倭寇が猛威をふるっていた当時「明の防衛力が尖閣
諸島付近にまで及んでいたとは、まず考えられない」と指摘。島名の記述は「倭寇の襲
来する経路にあたり福建の防衛上注意すべき区域という意味に止まる」と断じている。
つまり、「沿海山沙図」の記述を以て中国の領有権を主張するのは牽強付会ということ
である。
逆に、明や清代の福建省の地方志、台湾が中国の版図に入って以降の清代の台湾省の
地方志などは、全て尖閣諸島が福建省や台湾省の行政範囲に含まれていないことを示し
ている。結局、「尖閣諸島は、琉球にも、また福建省や台湾省にも編入されていたとい
う確たる証拠はない、というのが真実」(芹田・前掲著)なのである。
◆「不法にかすめ取った」という「言い掛かり」
次に中国側は「日本は不法にも釣魚島をかすめ取った」と主張する。
その理由としては、尖閣諸島の領土編入措置が日清戦争の最中、勝利が確定的となっ
た時期に行われたことや中国や世界に通告も公表もしなかったことなどが挙げられる。
だが、この主張の最大の論拠は先に検討した「釣魚島は昔からの中国領土」という主張
である。中国の領土でないものを「かすめ取る」ことは不可能だからである。
そうであれば、先に見たように尖閣諸島が中国領だったことを示す確たる証拠がない
以上、この主張は全くの言い掛かりと言うしかない。
また、わが国が尖閣諸島の領有を中国や世界へ通告・公表しなかったという非難は法
的には無意味である。先占に関する国際法の通説は、「通告がなされていなくとも、そ
れ以外の手段で領有意思が表明されておれば充分であるとしている」(芹田・前掲著)
からだ。
ちなみに、わが国が尖閣諸島を領有してから二十五年後の大正九年(一九三〇)、尖
閣諸島に漂着した中国漁民を救助した日本人に対して、中華民国領事から贈られた感謝
状には、「日本帝国八重山郡尖閣列島」と明記されている。つまり、通告の有無にかか
わらず、当時の中国側は尖閣諸島は日本領であることを知っていたばかりか、承認して
いたとも言える。
◆平和条約を否定する暴論
さらに中国側は、戦後の尖閣諸島の帰属を定めたサンフランシスコ平和条約を否定す
る一方で、カイロ宣言とポツダム宣言に基づき同諸島を中国に返還すべきだと主張する。
周知のようにカイロ宣言は、「日本国が中国人より盗取したる一切の地域を中華民国
に返還する」ことを謳い、それをポツダム宣言は追認した。つまり中国側は、日本が中
国人から「盗取」したと戦勝国側が規定した地域(台湾や澎湖諸島など)に尖閣諸島は
含まれるとの前提に立ち、両宣言を遵守して中国に返還せよと言うのである。
しかし、これまで見てきたように、尖閣諸島は沖縄に属する領土であり、カイロ宣言
が言う「中国人より盗取したる地域」には当たらない。尖閣諸島がカイロ宣言とは全く
無関係であることは明白である。
また、領土問題などの戦後処理を最終的に決めるのは平和条約である。そして平和条
約第二条は、「日本国は、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を
放棄する」と定めている。一方、尖閣諸島に関わる琉球列島の帰属を定めた第三条では、
日本は「北緯二九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む)」を放棄したとは
されず、「合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする」とされ
た。つまり、米国の南西諸島に対する「施政権」を認めると同時に、その領有権は依然
日本に帰属するものとしたのである。
だからこそ、中国側は平和条約を不法で無効などと強弁するわけだが、これは国際法
と平和条約に基づいて築かれた戦後の秩序を崩しかねない暴論というしかない。
ちなみに、平和条約の発効した約八ヶ月後の一九五三年一月八日、人民日報は「琉球
群島人民の米国占領に反対する闘争」と題する評論記事を掲載したが、琉球群島の定義
において、「包括尖閣諸島」として明示的に尖閣諸島を琉球群島に含めている(奥原敏
雄氏)。これは、中国側が平和条約による尖閣諸島の帰属の決定を事実上追認していた
ことの証拠とも言える。だとすれば、カイロ宣言などに基づく今さらの尖閣諸島の返還
要求は全くの詭弁と言うしかない。
以上のように、中国の主張には尖閣諸島に対するわが国の厳然たる領有事実を覆すよ
うな根拠は全くない。尖閣諸島がわが国領土であることは歴史的にも国際法的にも明白
だ。こうした事実について、政府がもっと本気で国民に周知徹底すべきことを最後に強
く訴えたい。
〈初出・『明日への選択』平成16年5月号/一部修正〉
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