【産経新聞:2023年7月6日】https://www.sankei.com/article/20230705-IDEIUMOCCJLQZEBMW6X3RXTGZI/
安倍晋三元首相が凶弾に倒れて1年になる。
安倍元首相とのお付き合いは私が駐日台湾代表(大使)特別補佐官だったとき以来のものなので、ずいぶん長い。自民党幹事長、幹事長代理、官房長官、首相時代を通じていろいろなことが思い出されるが、ここでは「安倍さん」と呼ばせていただいて特に日台に関係の深い業績を振り返りたい。
最初に頭に浮かぶのは運転免許証の相互承認である。日本の免許証があれば、そのまま台湾で運転できるし、逆も可能である。日本が運転免許についてこのような協定を結んでいる国はスイス、ドイツ、フランス、ベルギー、モナコ、台湾の6カ国に過ぎない。
尖閣諸島(台湾名・釣魚台)周辺での台湾漁船の操業を認める「漁業協定」も安倍さんの後押しで大枠が決まった。その時台湾は陳水扁総統だったが、諸般の事情で調印は馬英九総統時代に持ち越され、12カイリ以内の日本の排他的経済水域内に入らないという条件を付けて締結された。
高速鉄道に関しては李登輝元総統、葛西敬之JR東海社長、安倍さんの協力で日本の新幹線導入が決まった。空路でも東京・羽田空港〜台北・松山空港路線の開設に安倍さんの尽力があった。日台の投資協定も締結された。
安倍さんが総理大臣時代にアジア太平洋経済協力会議(APEC)の場で台湾代表と会談しようとしたこともある。2006年11月、ベトナムのハノイでのことだ。その時の台湾代表はいま熊本進出で話題になっている台湾積体電路製造(TSMC)の創業者である張忠謀(モリス・チャン)氏だった。しかし、結局情報が漏れて会談は実現しなかった。もしその時2人が会っていたら、世界の半導体事情も今と変わったものとなっていたかもしれない。
安全保障分野では太平洋とインド洋を囲むように位置し、自由や民主主義、法の支配といった共通の価値観をもつ日本、米国、オーストラリア、インドによる安全保障や経済を協議する枠組みである「クアッド」を提唱した。また地球を俯瞰(ふかん)する視点で北大西洋条約機構(NATO)との連携を重視して2007、14年の2度、NATO本部を訪問した。日本の総理大臣としては初めてのことだった。それがNATOの中の「日本政府代表部」設置につながり、いままた「NATO東京連絡事務所」設置につながろうとしている。ヨーロッパの目をインド太平洋の安全保障に向けさせた。
それにとどまらず、日台の防衛・外交の重要会談実現にも力を尽くすなど、国益のために誰もやれなかったことをやった。本当に先見の明とガッツのある人だったと思う。
彼はまたいつも台湾のことを気にかけてくれた。台湾を「愛してくれた」と言っても良い。18年私の故郷・花蓮で大地震が発生したときはいち早く救援隊を派遣し、「台湾加油(ガンバレ!)」というビデオメッセージを送ってくれた。20年に中国が台湾のパイナップル輸入を締め出したときはテレビカメラの前で食べるパフォーマンスを見せて日本での消費を促してくれた。21年の日本から台湾へのコロナワクチンの提供にも安倍さんの貢献があったと伝えられている。
台湾国民は安倍さんが「台湾有事は日本の有事」と言い切ったことがバイデン米大統領の「米国は台湾有事にコミットする」という文言を引き出したものと考え、感謝している。
このようなことを背景に、台湾では安倍さんの国葬には頼清徳副総統を東京に派遣し、総統府に半旗を掲げ、有識者が追悼広告を出し、追悼音楽会を行い、台北のシンボルタワー「101ビル」を白一色にライトアップするなど弔意を表した。国葬の献花で代表団の国名を「中華・台北」と呼ばず「台湾」とアナウンスしたことも台湾では好意を持って受け取られた。
高雄には安倍さんのブロンズ像が建てられ、台北では「安倍晋三友の会」が活動を始めるなど台湾の多くの人は安倍さんの業績をたたえ、その意思を受け継ごうとしている。
安倍さんは要職にあるときも台湾の有力者としばしば会うなど芯を持った人だった。没後1年を迎えるにあたって、安らかにお休みいただくことを願うとともに安倍さんのような先見性とサムライの精神を受け継ぐ政治家の出現を期待してやまないものである。
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【プロフィル】陳銘俊(ちん・めいしゅん)1964年3月、台湾東部、花蓮県生まれ。台北市の中国文化大韓国語学科を卒業後、台湾外交部入り。大阪外国語大(現大阪大)や慶応大への留学経験がある。カリフォルニア大学バークレー校、ハーバード大学客員研究員。許世楷・台湾駐日代表(当時)の補佐官や台北駐ボストン経済文化弁事処の副処長などを歴任し2018年7月から日本の内閣官房にあたる台湾総統府で機要室長を務めた。2021年10月から現職。趣味は語学研究。
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