神風特攻隊慰霊顕彰祭に思う日本と台湾の絆  陳 銘俊(台北駐福岡弁事処処長)

【産経新聞「陳銘俊の一筆両断」:2023年1月30日】https://www.sankei.com/article/20230130-TAE6F347JFMJFDXYNAEG3PBNMM/

 私は令和4年5月14日、福岡縣護国神社で行われた第10回福岡県特攻勇士慰霊顕彰祭に参列する機会を得ました。

 そのとき、少し前に訪れた人吉海軍航空基地(熊本県)のことが思い起こされ、併設資料館に展示してあった「特攻隊員の手紙」や「特攻勇士之像」ならびに参列したご遺族の姿が重なり、目頭を熱くいたしました。

 太平洋戦争末期の九州には知覧、都城、大刀洗などに特攻基地があり、そこから前途有為な若者が出撃しました。当時日本の統治下にあった台湾にも特攻基地があり、多くの台湾人が出撃したことは今の日本ではあまり知られていません。20万人以上の若者が日本の軍人・軍属として前線に向かい、3万人を超す戦死者を出しましたが、台中・台南・新竹・宜蘭の4カ所には特攻基地があり、「神風特別攻撃新高隊」などの部隊が編成され、44人が招集を受けて硫黄島や沖縄に出撃したとの記録が残っています。

 そのうちの1人、彰化出身の張正光さんは当時17歳で、日本で勉学した経験も持つ成績優秀な若者でした。彼は宜蘭での任務につき、太平洋戦争で最も悲惨といわれた沖縄上陸戦で米軍艦に向かって出撃しましたが、途中で撃墜され、米軍の捕虜となって特攻から生還した唯一の台湾人といわれています。

 戦後、宜蘭で余生を送りましたが、周りの誰一人、張さんが特攻隊員だったことを知らなかったそうです。終戦直後の日本人と同じように、国を守るために戦死した仲間たちに比べて自分が生き残ったことに自責の念を感じていたのかもしれません。戦後行われた台湾の特攻隊についての調査で重い口を開いたあと、12日目に亡くなったそうです。私にはそれまでの彼の心の葛藤がしのばれ、痛ましくて仕方がありません。

 私の故郷・台湾東部の花蓮にも「松園別館」という建物が残っていました。幼い頃はよく分からなかったのですが、そこは旧日本軍の高級将校クラブ兼司令部で、特攻隊員が出撃する前日には招待所として使われていたそうです。北投にも「北投文物館」という同様の建物があります。台北市の古跡に認定されており、一見の価値がありますので、訪台の折には足を運んでいただきたいと思います。

 今の日本の若者は知らない人も多いですが、かつて台湾は日本の一部であり、半世紀ものあいだ歴史を共有しました。日本による教育の中で、うそをつかない、不正なことはしない、自分の失敗を他人のせいにしない、自分のすべきことに最善を尽くすなどの武士道精神が教えられ、これが戦後も台湾に残って「日本精神」という固有名詞まで生まれたほどです。

 また日本の建築物や文化は今もあちこちに残り、市民生活に関わっています。八田與一の烏山頭ダム、鳥居信平が造った地下ダム(二峰[土川])、現在台湾総統府として使われている台湾総督府など、日本が遺したものが今も当たり前のようにそこにあるのです。台湾人は世界一の親日国といわれ、世論調査の「好きな国」ではいつも日本がトップになり、コロナ前には人口の4人に1人が日本に来ていました。地震や水害、台風やコロナなどの災害時にはお互いに真っ先に駆け付け、助け合う仲であり、東日本大震災の時には台湾の市民から250億円以上の義援金が寄せられたほどです。単に仲が良いというレベルを超えた「兄弟の国」と言ってもよいと思います。

 このように台湾と日本は歴史的関連性が深く、文化、食習慣、国民感情も似ています。また、互いに信頼が厚く、貿易上も第3、4位のパートナーであるため、地政学上だけではない「運命共同体」とも言えます。昨年7月に凶弾に倒れた安倍晋三元首相は「台湾有事は日本の有事」と発言され、独裁国家への注意を世界に呼びかけました。

 香港での出来事やウクライナ侵攻を受け、台湾では自主防衛の意識が高まっています。「今日のウクライナは明日の台湾」という言葉がはやり、政府は民間防衛ハンドブックを作成し、スマホアプリを使った防空壕(ぼうくうごう)の探し方や水や食料の補給方法、緊急時に備えた救急キット準備のコツ、停電への対処法、空襲警報の識別法、防空壕への避難方法などを詳しく説明しています。徴兵期間も4カ月から1年間に延長しました。このような「最悪のシナリオ」のもとに、さまざまなシミュレーションを行い、準備していることを日本の皆さまにも知っていただきたいと思います。「台湾有事は日本の有事」であるだけでなく、日本の存立にも関わっていると言っても過言ではないと思います。

 日本では毎年のように靖国神社をはじめ各地で粛々と慰霊活動が行われていることに敬意を表しつつも、他方で多くの政治家や企業が依然として独裁国家の巨大マーケットに目を奪われているように思えるのは私の思い過ごしでしょうか? 戦後78年を経て、そろそろ短期的な利益だけでなく、安全保障を含めた長期的な視野に立ち、信頼できる国と協力しあう時期なのではないかということを、特攻勇士慰霊顕彰祭に参列させていただいて改めて感じた次第です。

 今後も日台両国の人々が相互理解と信頼関係を深化させ、「運命共同体」のバトンを引き継ぐことができるように努めたいと思いますので、引き続き皆さまのご支援をお願いするものでございます。

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陳銘俊(ちん・めいしゅん)1964年3月、台湾東部、花蓮県生まれ。台北市の中国文化大韓国語学科を卒業後、台湾外交部入り。大阪外国語大(現大阪大)や慶応大への留学経験がある。カリフォルニア大学バークレー校、ハーバード大学客員研究員。許世楷・台湾駐日代表(当時)の補佐官や台北駐ボストン経済文化弁事処の副処長などを歴任し2018年7月から日本の内閣官房にあたる台湾総統府で機要室長を務めた。2021年10月1日、台北駐大阪経済文化弁事処福岡分処処長(総領事)として赴任。趣味は語学研究。

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