に蔡焜燦・李登輝民主協会理事長や許世楷・台北駐日経済文化代表処前代表などと一緒に
参列した。
詳しくは、後日、今回の台湾李登輝学校研修団レポートでお伝えする予定だが、まず墓
前祭に先行して行われた「八田與一記念公園」開園式典の模様を伝える読売新聞の記事を
ご紹介したい。記事中に「高雄市で日本語教師を務める舘量子さん」とあるが、舘量子(た
ち・かずこ)さんは、蔡焜燦先生が代表をつとめる台湾歌壇のメンバーで、当日は台湾歌
壇のメンバーと一緒に参列されていた。
台湾・台南市記念公園がオープン
【読売新聞:2011年5月9日】
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/ishikawa/news/20110509-OYT8T00108.htm
【台南=多可政史】日本統治下の台湾でダム建設に携わった金沢出身の技師・八田与一
(1886〜1942年)の業績を顕彰する「八田与一記念公園」が台湾・台南市に完成した。8
日、馬英九総統も出席してオープン記念式典が行われ、金沢市主催の訪台団(団長=山野
之義市長)や日本の国会議員団なども参加した。
八田は1910年、土木技師として台湾総督府に渡った。当時アジア最大と言われた「烏山
頭ダム」を台湾南部の台南市に完成させ、不毛だった嘉南平野を台湾有数の穀倉地帯に生
まれ変わらせた。その功績は台湾の中学校の教科書でも紹介されている。
記念公園はダムのそばにあり、八田ら作業にあたった建設関係者の宿舎跡地に作られた。
建設チームが来日して文献などを調べて当時の宿舎を復元、和式の家具も展示している。
式典で馬総統は「ほとんど砂漠だった嘉南地域を八田先生の勇気で穀倉地域に変えてく
れた」と功績を強調。一方で「私は反日的と批判されることもあるが、日本は統治時代に
素晴らしいインフラを残してくれた。徳と恨みは分け、未来志向で手を携えたい」と語っ
た。
式典には台湾に住む日本人も多く訪れた。高雄市で日本語教師を務める舘量子さん(28)
は、「台湾には親日的な方が多い。日本人と台湾人の絆を強くしてくれた八田さんの存在
は大きかったと思う」と話していた。
この日は、ダム近くの丘に建てられた八田と妻・外代樹の墓で毎年恒例の墓前祭も行わ
れた。墓の脇にある八田の銅像は、戦後に日本統治時代の銅像が破壊される中で、温かい
八田の人柄を慕った関係者が守ったという逸話がある。
墓前祭に出席した山野市長は、「金沢の子どもたちが八田技師のことを知り、故郷に誇
りを持つとともに台湾のことも好きになり、金沢と台湾の関係が深まってほしい」とあい
さつ。八田の遺族を代表し、六女の成子(しげこ)さん(79)が「銅像や墓を多くの人に守
っていただき、墓前祭も毎年盛大に行われ、父も母も浮かばれていると思う」と約1000人