第15回「台湾李登輝学校研修団」レポート(2)  佐藤 和代(本部事務局)

■ 第2日目(5月8日) 八田與一技師の墓前祭に参列

 この日は終日野外研修で、烏山頭ダムで八田與一技師墓前祭に参列後、澎湖島へと向か
う日程です。

 研修団は朝7時半にホテルを出発し、最寄り駅である「紅樹林」まで各人2泊分の荷物を
持って歩きました。ここから台北まで約40分、台北からは台湾高鉄(台湾新幹線)に乗り
嘉義まで約一時間半の旅です。嘉義からはバスに揺られて40分。旅は順調に進みました。

 八田技師記念館に向かう途中、蔡焜燦先生ご夫妻が乗られた車と出会いました。蔡先生
は午後からの墓前祭に来賓として出席されます。蔡先生は顎鬚をたくわえていらっしゃい
ました。3月の当会総会の際に台湾とインターネット中継したときにも御髭を伸ばしていら
っしゃいましたが、この理由は研修団最終日に明かされることになります。

 私達はまず「八田技師紀念室」(記念館)を見学。こじんまりとした館内には、ダム建
設過程のパネルや八田技師関係の写真、着物、書類(史料)が展示されていました。折よ
くDVD上映もされ、八田技師のダム建設での苦労や家族について解説、また台湾の方々
が語る八田像が描かれていました。映画「パッテンライ」でも八田技師がいかに現地の人々
と心通わせ、作業員とその家族を思っていたかが分かります。

 八田與一は明治19年2月21日、石川県に生まれました。東京帝国大学土木工業化を卒業と
同時に台湾総督府土木課に奉職しました。その後、諸外国を視察して回り、最新の技術を
学んでおり、その研究中に台湾第2の平野、15万ヘクタールにも及ぶ嘉南平野の惨状を知る
ことになるのです。その頃の嘉南平野は、雨期は氾濫した水に侵され、乾期には旱魃とい
う不毛の地でした。ここに安定した水を供給する灌漑用施設を、つまりダムと水路を設計
したのが八田技師であるのは皆さんご承知の通りです。八田氏が「嘉南大圳(かなん
たいしゅう)の父」といわれる所以です。

 ダム建設過程においては作業員が事故で多数亡くなるという惨事もありました。そうし
た苦難を乗り越え、着工から10年後の昭和5年(1930年)5月に烏山頭ダムが完成したので
す。

 ダムの完成から12年後の昭和17年5月。大東亜戦争の最中、八田技師は軍からフィリピン
の綿作灌漑調査を命じられ広島より大洋丸に乗り込みます。5月8日、その船がアメリカの
攻撃に遭い、あえなく沈没してしまうのです。

 烏山頭ダムを望む小高い丘に、右膝を立てつつ左足は伸ばして座り、肘を突くようにし
て考え込むような作業着の八田技師の像があります。命日であるこの日に墓前祭が行われ
るようになり、いつもは静かにダムを見つめる像の周りは花で飾られ、その後に控えるお
墓にも菊の花が供えられます。祭壇が置かれ、沢山の果物や台湾独特の紙札が供えられて
います。

 墓前祭会場の近くのレストランで昼食を済ませた研修生は、受付で記帳をし、献花用の
白い菊の花と八田氏のポスターを受け取りました。

 会場は紅白のテントが設置されていましたが、その縁とそれに繋がる斜面に、河津桜の
若木が植えられており、若芽が伸びていました。これは李登輝民主協会が植樹した苗木で、
当会の桜募金によって李登輝民主協会に寄贈されたものです。日本の桜が台湾の地で根付
いているのを見て、また感慨深く思いました。

 午後2時過ぎに墓前祭は始まりました。まず3人の尼僧によって読経がなされます。その
後、日本からの墓参団が次々に焼香・献花をしました。「八田技師を偲び嘉南と友好の会」
の中川外司(なかがわ・とし)氏も参列されていました。

 この日は午前中に「八田與一紀念公園開幕式」も執り行われ、馬英九総統、森喜朗・元
首相ら日台双方の要人、関係者多数が参加したそうです。馬総統は「八田氏が人生のすべ
てを台湾にささげた功績は非常に大きく、紀念公園を台湾と日本の懸け橋にしたい」と演
説したそうです(5月9日付け産経新聞より)。研修団は午後からの墓前祭に参列したので、
馬総統や森元首相の姿を拝見することはできませんでしたが、後で紀念公園を訪れた時に
その盛大さを伺い知ることになります。

 さて、墓前祭では八田技師のご親族による献花もありました。一通りの来賓の紹介が─
李登輝民主協会理事長の蔡焜燦先生や台北駐日経済文化代表処前代表の許世楷先生もご紹
介─されました。

 多数の来賓挨拶の中で、八田技師のお子さんで、8人兄弟の6女、末娘にあたる茂子さん
のお言葉が印象的でした。「昭和6年生まれの私は、ダムが完成してから台北で生まれ、80
になります。石川県出身となっていますが、私にとって台湾は故郷だと思っております」
「昭和42年に墓前祭が行われていることを聞き、それから何度か足を運んでいますが、来
るたびに盛大になっているように思います。皆さんが父をこんなにも慕って下さることに
感謝しております」。参列者の胸に響くお言葉でした。

 その後、わが研修団も団体として名前を呼ばれ、蔡焜燦先生や許世楷先生と一緒に献花
をするという光栄にも預かりました。

 墓前祭は午後4時前に終了し、研修団は八田與一紀念公園の方にも行きました。式典は終
わっていましたが舞台では名残惜しそうに踊っている人々、舞台の周りや会場のあちこち
に鮮やかな生花が活けられていました。

 この日を目指して、八田技師住居の復元、そしてダム建設の関係者らの住居の復元もな
されました。八田宅を中心に、市川及田中宅、赤堀宅、阿部宅が並んでいます。住居復元
には大変な苦労があったようです。八田宅は復元前は基礎しか残されていなかったため、
企画チームは日本の八田氏の遺族を訪ねて当時の写真や手書きのスケッチを入手し、それ
に合わせて歴史的な資料や周辺の建物を参考に復元設計を進めたそうです。

 研修団は公園内を散策した後、次の研修地・澎湖島へ向かいました。    (つづく)



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