昨年の夏、台湾は台風による災害が頻発した。
花蓮では9月の台風18号(ラガサ)による土砂崩れで「せき止め湖」が決壊し、多くの犠牲者を出したことはいまだ記憶に新しい。
7月には台風4号(ダナス)が中部に上陸して嘉義や台南に農作物などに甚大な被害をもたらした。
この影響を受け、台南の「王育徳紀念館」は浸水による被害をこうむって休館していたが、来る1月30日にリニューアルオープンするという。
王育徳紀念館は、頼清徳市長(現、総統)が2016年5月に王育徳氏の台湾文化および民主発展への貢献と成果を記念して設立を決め、王育徳氏33回目の命日にあたる2018年9月9日、呉園芸文センターの池の畔に設立された。
王育徳氏(1924年1月30日〜1985年9月9日)は台湾語の研究で文学博士号(東京大学)を取得した史上初の学者であり、台湾独立運動の創始者でもある。
明治大学教授をつとめ東京外語大学では亡くなるまで台湾語講座を担当していた。
李登輝元総統も台湾大学助教授時代、日本の農水省にあたる中国農村復興聯合委員会(現、行政院農業部)の技正(直任官)を兼任し、この仕事で来日した際の1961年6月16日に秘かに王育徳氏を自宅に訪ねていた(王育徳著『「昭和」を生きた台湾青年』)。
王育徳氏はこの日のことを日記に書き残している。
「彼は私の高校一期下で、私を知っているらしいが、私は彼を知らない。
実質的な初対面である。
実に気持のいい人で、日本に来て始めてこんな素晴ら(し)き台湾人に会った。
将来の独立も希望がもてるというものだ。
一寸遅れて昭堂が来たが、彼は帰りに、非常に喜んでいた」(註:昭堂は、王育徳氏の台南一中時代の教え子で、後に台湾独立建国聯盟主席や総統府国策顧問となる昭和大学名誉教授の黄昭堂氏。
1932年9月21日〜2011年11月17日)
6月30日には、王育徳氏が李登輝氏を宿泊先に訪ね、胸襟を開いて話したようで、王氏はその日の日記に「一旦緩急あればのこと、肝胆相照らして話し合った。
……彼のような快男児が台湾に百人おれば理想郷の建設は夢物語じゃないのだが」と記している。
王育徳紀念館の入口には李登輝元総統による「台湾の将来について語り合った」というメッセージも掲げられている。
下記に紹介する中央通信社の記事では「リニューアルでは展示設備の改善や資料の修復などの他、王の台南での生活を紹介する展示も新たに加わった」と伝え、「展示には日本語での解説も取り入れられている」ともいう。
古都台南には見どころが多いが、台南へ立ち寄った際には訪れてみたいところだ。
その際には『「昭和」を生きた台湾青年』に目を通してから訪れることをお勧めしたい。
台南の王育徳記念館、30日に再開 台湾語研究の先駆者 日本語でも解説【中央通信社:2026年1月26日】https://japan.focustaiwan.tw/culture/202601270002
(台南中央社)台湾語研究の先駆者や台湾独立運動家として知られる王育徳(おういくとく)を紹介する南部・台南市の王育徳記念館が30日、公開を再開する。
昨年8月から実施していたリニューアルを終えた。
同市政府文化局の黄雅玲局長は26日、報道資料を通じ、同記念館は2018年の開館以来、王の精神を中心として研究や展示、教育普及を結び付けた運営を行っていると説明。
リニューアルでは展示設備の改善や資料の修復などの他、王の台南での生活を紹介する展示も新たに加わったと紹介した。
また、言語の平等や人権教育、市民参加を主軸にした取り組みを引き続き進めると言及。
開催3年目になる若者を対象にした講座・ワークショップでは、異なる分野のアーティストや活動家を招いて主に台湾語による交流や対話を行っており、母語や公共的な議題に対する社会の関心を深めていると語った。
開館は午前9時から午後5時までで、毎週月、火曜は休館。
同局から提供された写真によると、展示には日本語での解説も取り入れられている。
▽王育徳
1924(大正13)年、日本統治下の台南生まれ。
43(昭和18)年、東京大学に進むも、戦争が激化したため台湾に戻った。
戦後、当時の国民党政権が市民を弾圧した「2・28事件」で兄が犠牲になると、香港を経由して日本に亡命。
再び東京大で学び、初めて台湾語研究で博士号を取得した台湾人となった。
明治大学や東京外国語大学などで教鞭を執ったほか、台湾人日本兵の補償問題にも取り組んだ。
帰郷はかなわず、85年に東京で亡くなった。
(楊思瑞/編集:田中宏樹)。
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