11月24日に、4年に一度の「統一地方選挙」の投票が行われる台湾。2020年の「総統選挙」に向けた試金石としても注目されるが、2014年の「ひまわり学生運動」やその後の「政権交代」を経て、台湾の若者はいま、政治に何を期待しているのだろうか――。李登輝元総統の日本人秘書である筆者が、新しいステージに突入した台湾政治を読み解く。
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台北がまだ猛暑にあえいでいた7月のこと。週末の朝、私はMRTの双連駅から中山駅にかけての地下街を子供と散歩していた。すると、まだ地下街の店のシャッターも開いていないのに、若者たちが行列している光景に出くわした。
人気商品の発売日なのか、芸能人のイベントでもあるのか。訝しながら歩くと、そこには「柯文哲市長の新刊発表会 最後尾はこちらです」という看板を持つスタッフが立っていた。
改めて行列する人々を見まわしたが、20代から30代の若者ばかりで、とても政治家の新刊発表会の雰囲気ではない。一瞬「サクラを集めたのかな」とも思ったが、柯市長が2年前の選挙で当選した背景を考えると、この若者たちが自発的に集まってきたと考えるほうがむしろ自然だと思い直した。
◆「選挙に利用するな」と罵声を浴びせられた民進党
2014年3月、台北で「ひまわり学生運動」が起きた。当時の国民党政権が中国と、相互にサービス業進出を自由化させる協定を締結しようとしたことに端を発する。協定が締結されれば、台湾経済の空洞化を招くと危惧した学生たちが、立法院(国会)を3週間以上にわたって占拠した事件だ。
「ひまわり学生運動」のさなかの土曜日、学生たちは国民に呼びかけて総統府前広場での抗議集会を行った。私も後輩と一緒に参加したが、普段は多くの車が行き交う片側5車線の広大なエリアが、まさに人人人で埋まっていたのだ。後に主催者発表で参加者は50万人とされ、台湾で行われた集会として最大規模と言われたが、私は台湾の若者たちのエネルギーと国を思う気持ちに圧倒される思いだった。
その結果、およそ半年後の2014年11月に行われた統一地方選挙では、国民党は「歴史上例をみない」と報じられるほどの惨敗を喫した。その一方で、大勝した民進党はその勢いのまま2016年1月の総統選挙を蔡英文候補が制し、史上初めて民進党が総統の座も、立法院での過半数をも獲得することになったのである。
ただ、こうした流れは結果的なものであって、そもそも「ひまわり学生運動」は決して民進党支援のためのグループではなかった。学生たちのなかには「私たちは国民党政権のやり方に抗議するためにやっている。民進党のためではない」「民進党が野党としてきちんとしてくれれば、私たちがひまわり運動をする必要はなかった」などと民進党への不満を顕わにする学生も少なくなかった。また、民進党の議員たちが、ここぞとばかりにのぼり旗を抱えて参加しようとしたところ、「選挙に利用するな」と罵声を浴びせられたニュースもあった。
◆「独立か、統一か」で語るのは時代遅れ
そして、統一地方選挙ではもうひとつの大きな変化があった。台北市長に、(民進党には支援を受けたものの)民進党でも国民党でもない無所属の柯文哲氏が当選したのだ。台北市長は文字通り首都台北の顔であり、総統選挙の登竜門でもある。事実、民主化以降の総統は、現在の蔡英文総統を除き、李登輝・陳水扁・馬英九の3人とも台北市長経験者だ。また、台北市は国民党支持者が多く、国民党の牙城とも言われた票田だった。そこへ、政治にはいわば全くの門外漢で、素人ともいうべき医師の柯文哲氏が登場し、国民党候補に圧勝したのである。
これは台湾政治の新しいステージの幕開けだったとも言える。民主化以降、それまでの台湾であれば、総統選挙や統一地方選挙など、全国規模の選挙戦となれば、自ずと構図は「緑(民進党)か、青(国民党)か」「独立か、統一か」「台湾か、中華民国か」などというステロタイプで報じられることが多かったし、それがまだかろうじて可能だった。
つまり、緑がイメージカラーの民進党は、「私は台湾人」というアイデンティティを強く持ち、中国とは距離を置いて、台湾に重点を置く人たちに支持されてきた。なかには過激な「台湾独立派」もいる。
一方で、青がイメージカラーの国民党は、台湾よりは中華民国を前面に出し、中華人民共和国とも近づいて、同じ中国という傘のもとでやっていこうという考え方だ。当然、最終的には中国と一緒になりたいと望む人も少数ながら含まれる。
こうした説明はかなり凝縮したものになってしまうが、対立軸が単純かつ明確になると、有権者たちは熱狂しやすい。緑か青か、つまり敵か味方か、という簡単な構図になるからだ。
2000年、台湾初の政権交代が行われ、民進党政権が誕生して以降、二度の政権交代があり、その間に幾度も統一地方選挙が行われた。そして、その選挙ごとに持ち出されてきたのが、上述の構図なのである。ただ、こうしたステロタイプを、完全に時代遅れあるいは非現実的なものとしたのが、2014年の「ひまわり学生運動」であり、それに続く選挙での無党派層の勝利であった。特に、顕著なのは若者たちだ。
◆台湾の若者が「現状維持」を望むワケ
彼らは生まれたときから自由で民主的な台湾社会のなかで育ってきた。白色テロも戒厳令も経験せずに生きてきた世代だ。もしかしたら彼らのなかには、老人たちから「国民党が勝ったらまた白色テロの時代が来る」と言われた若者もいるかもしれない。将来を誓い合った相手を実家に連れて帰ったら「外省人との結婚は許さない」と言われたカップルがいるかもしれない。
ただ、こうした歴史的な悲劇も、「省籍矛盾」と呼ばれるエスニック・グループ同士の対立も、若者たちにとって、おおむね大きな問題ではなくなっている。悲しい歴史の事実は忘れ去られるべきではないが、私の周りにも、本省人と外省人の夫婦はたくさんいる。夫婦そろって熱烈な台湾独立派の友人が「うちの奥さんは外省人なんですよ」とあっけらかんと話す。そもそも、本省人や外省人といった単純な視点だけで、台湾の社会を見ることが不可能なのだ。
さらに言えば、彼らにとって物心ついたときから台湾は中国とは別個の存在だったわけで、今さら独立も統一もない。彼らが「生まれながらの独立派」を意味する「天然独」と呼ばれるゆえんだ。そのため、彼らが望むのは当然のごとく「今のまま」、要は現状維持である。
◆若者の目に映る「無益な対立」
つまり、長らく選挙のたびに噴出したテーマである「台湾か、中華民国か」「統一か、独立か」といったテーマは、もはや若者たちの投票行動を左右する最優先の議題ではなくなっているということだ(一方で、中国の台湾侵攻への危機感が薄いという欠点もあるが)。
むしろ、彼らにとっては民進党と国民党が自分たちの手の届かない高みで、国民の日常生活に直結しない無益な対立を繰り返しているようにしか見えず、政治への嫌悪感やあきらめを生み出した。この時期、台湾の経済的な失速とも相まって、卒業を控えた学生たちは「卒業即失業」などとうそぶいていたが、二大政党が神学論争を繰り返し続けた結果、若者たちは「民進党か、国民党か」という二大政党離れ、ひいては政治離れを起こした。賃金向上や景気浮揚、就職問題、失業率改善など、目の前の問題を語ってくれない政治に背を向けるのは当然であろう。
そして、奇しくもそこに登場したのが、政治的にはむしろ素人の柯氏だったわけだ。柯文哲市長は就任して間もなく4年。歯に衣着せぬ発言で非難を浴びたりすることも多いが、特に若者からの支持率は揺らいでいない。これは、若者たちがそれまでの政治や政治家に辟易していたことの裏返しといえるだろう。今年5月にリンゴ日報が行った年齢別の支持率調査では、20代と30代の有権者から実に55%という圧倒的な支持を得ている。
◆「台湾の未来図」を描けているか
そしていま、台湾はふたたび政治の季節を迎えている。11月24日、「九合一選挙」と呼ばれる統一地方選挙の投票日までいよいよ残り一ヶ月を切ったからだ。「九合一選挙」とは、知事クラスの規模を持つ台北市長や新北市長などの「直轄市長」から、いわゆる町内会長にあたる「里長」まで、9つのレベルの首長や議員を選出するための投票を一度に行うことからそう呼ばれている。
また、今回の選挙は2016年5月に発足した蔡英文総統、ひいては民進党政権の「中間テスト」的な意味合いを持つとともに、2020年1月の総統選挙に向けての試金石となるため、俄然国内外からも注目を集めるわけだ。
台湾が中国とは別個の存在を維持していくのか、それとも中国と接近する方向に進むのか。その舵取りをまかせる政権を選ぶための政策論争はもちろん必要だ。むしろないがしろにされてはならない最重要なテーマである。
しかし、それとは別に、民進党は政権発足後、若者たちの生活を潤し、若者たちが将来に夢を抱けるような政策を進めてきただろうか。国民党は、下野してからというもの、若者たちの支持を取り戻せるような政策を掲げてきただろうか。台湾の若者たちが政治に何を望んでいるのか、という現実的な問題に真摯に取り組み、台湾の未来図を提示できる候補者でなければ、若者の心を掴むことはできないだろう。
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早川友久(はやかわ・ともひさ)
1977年(昭和52年)6月、栃木県足利市生まれ。現在、台湾・台北市在住。早稲田大学人間科学部卒業。金美齢事務所の秘書として活動後、2008年に台湾大学法律系(法学部)へ留学。台湾大学在学中に3度の李登輝訪日団スタッフとしてメディア対応や撮影スタッフを担当。2012年12月、李登輝元総統の指名により李登輝総統事務所秘書に就任。共著に『誇りあれ、日本よ─李登輝・沖縄訪問全記録』『日本人、台湾を拓く。』など。