「ないない尽くし」で困難を極めた李登輝の台湾民主化  早川 友久(李登輝元台湾総統秘書)

【WEDGE infinity「日本人秘書が明かす李登輝元総統の知られざる素顔」:2019年3月26日】http://wedge.ismedia.jp/articles/-/15719

 李登輝が進めた台湾の民主化は、当初から順風満帆だったわけではもちろんない。むしろ、学者出身で、農業経済学の若き権威としてたまたま蒋経国の目にとまったのが政界入りするきっかけだったくらいだから、そもそも政治の世界で出世していこうという野心もない。それゆえ、いくら蒋経国の抜擢によって副総統の地位まで登りつめたとはいっても、実際のところ、いざ総統の地位に座ってみると、何もかもが「ないない尽くし」なのである。つまり、派閥もなければ、軍も情報機関も掌握していない。後ろ盾となる元老さえいない。それこそ孤立無援のなか、総統に思いがけずなってしまった、という表現のほうが当てはまるくらいだろう。

 そんな権力基盤の著しく不安定な李登輝であるから、民主改革は困難を極めた。むしろ、おっかなびっくり、手探りで慎重に進められたと言えるだろう。今回からは、3回に分け、李登輝が民主化の過程で直面した、数ある困難のなかでも、特に転換点となった「1990年の野百合学生運動」、「1995年の台湾海峡ミサイル危機」「1999年の『特殊な国と国との関係』発言」を取り上げ、その背景と李登輝の奮闘を書いていきたいと思う。

◆「ひまわり学生運動」と「野百合学生運動」の共通点

 話は飛ぶが、2014年3月、「ひまわり学生運動」が勃発した。国民党の馬英九政権が推進しようとした、中国と台湾の「サービス貿易協定」締結に抗議すべく、学生を中心とした若者たちが立法院(国会)を占拠した事件だ。

 発端となった「サービス貿易協定」は、台湾の主幹産業でもあるサービス業へ、中国大陸からの進出を開放するもので、これが決まれば台湾の経済や就業機会は大きな打撃を受けかねないと、慎重な議論を求める声が高まっていた。

 ところが馬英九政権は、審議を途中で打ち切り、強行採決を行おうとして、議場は大きな騒ぎとなっていた。そして、与党国民党の姿勢に立法院前で抗議していた若者たちが立法院の占拠に踏み切ったのである。

 結局この立法院占拠は、4月上旬まで3週間あまり続いた。王金平・立法院院長(当時)が、貿易協定を監督するメカニズムが法制化されるまでは、協定の審議を行わないと明言したことで、「ひまわり学生運動」は収束することとなった。

 当時、この「ひまわり学生運動」は、過去に李登輝政権下で、やはり学生たちが中心となって起きた「野百合学生運動」と比較して報じられることも多かった。若者とくに学生が中心となって、台湾の政治を大きく変えたひとつのエポックメイキングな出来事であるからに違いない。

 2014年の「ひまわり学生運動」からさかのぼること24年前のちょうど同じ季節。立法院から徒歩で10分ほどの中正紀念堂に、やはり大学生たちが集まり、座り込みやハンストを展開する事件が起きていた。

 野百合が、台湾の固有種であり、春にその白い花を咲かせ、純血や生命力の強さなどを象徴することからその名が付けられた「野百合学生運動」は、台湾民主化が本格化する端緒となった学生運動として現在でも語り継がれている。

 余談だが、この運動に台湾大学の学生として参加していたのが、前台中市長の林佳龍だったり、桃園市長の鄭文燦だった。

 1979年に高雄で起きた民主化を求めるデモ参加者と警察が衝突した「美麗島事件」では、現在も総統府秘書長として蔡英文総統を支える陳菊(前高雄市長)や呂秀蓮(元副総統)らが逮捕された。そして彼らの弁護人となったのが、陳水扁(元総統)をはじめ、謝長廷(駐日代表)や蘇貞昌(元行政院長)だった。

 そう考えると、台湾における社会運動はのちに政界で活躍する人材を生み出すひとつの契機となっていたことが窺える。

 実際、ひまわり学生運動の参加者が中心となって政党「時代力量」が結成され、現在も第3政党として立法委員を輩出している事実が証明している。

◆「名目上のみのロボット総統だった」

 「野百合学生運動」は、1990年3月16日、「万年国会」に抗議する大学生数名が、当時デモや集会の禁止地域に含まれていた中正紀念堂で座り込みを始めたのが発端だ。

 当時、台湾と中国大陸は未だ内戦中である、と規定した「動員戡乱時期臨時条款」が発布されており、憲法が停止されていたために改選が行われず、特権を享受し、高額な禄を食む国民大会代表や立法委員は「万年国会」と呼ばれ、非難の対象となっていた。学生たちは、国民大会代表らの傲慢な態度に対して抗議を行ったのである。

 この抗議行動が報道されると、翌日から支援者が数百人規模で増え続け、最終的には6,000人近い大学生が参加したといわれている。

 李登輝は、もちろん一方で万年国会解消のため、高額の退職金や年金と引き換えに国民大会代表らの引退を促していた。そんなさなかの3月18日、学生たちは正式に民主化に関する「四大要求」を総統の李登輝に対して提出し、憲法改正や国是会議の招集、民主改革のタイムテーブルの提示などを求めたのである。

 当時は1990年3月。総統の座にあったとはいえ、李登輝は1988年1月に急逝した蒋経国総統の残余任期を継ぐための、いわばピンチヒッター的な役割として見られていた部分があったことは否めない。本人も、この時期を振り返り「憲法上、総統に昇格したに過ぎない名目上のみのロボット総統だった」と語っている。

 党内では、さらに李登輝の頭を悩ませる問題が起きていた。まもなくに迫った総統副総統候補者の指名選挙に向け、李登輝を担ぎ上げた主流派と、反対派である非主流派の争いが熾烈を極めていたのだ。李登輝はその板挟みに遭いながら困難な政権運営を強いられることになる。李登輝が政治大学の学長出身で、温厚な李元簇を副総統候補として指名をとりつけ、選挙を勝ち抜いて(当時は国民大会代表による間接投票)名実ともに総統の座を手に入れるのは「野百合学生運動」の活動真っ最中の3月21日のことである。

 それと前後して、李登輝は南国とはいえ、まだ肌寒く、夜には冷え込む3月に、学生たちが寒さに震えながら座り込みやハンストをしていることを知ると、自ら中正紀念堂に赴いて学生たちと対話することを望んだ。しかし、総統の警護を担当する国家安全局から「万全の警備ができず、身の安全を保証できない」という強い意見具申を受け、夕方に車両で中正紀念堂の周囲を走り、学生たちの様子を観察するに留めたという。

 3月20日、総統府はプレスリリースを発表し、学生たちの要望を受け入れ、国是会議を開催することなどを決定。総統府秘書長を現場に派遣し、学生代表と直接会って対話することを伝えた。

 翌21日、前述のとおり、李登輝は国民大会における間接選挙で総統の座についた。李登輝はさっそく、総統府内へ学生代表を招き、彼らの要求に耳を傾けるとともに「皆さんの要求はよくわかりましたから、中正紀念堂に集まった学生たちを早く学校に戻らせ、授業を受けるようにしなさい。外は寒いから早く家に帰って食事をしなさい」と言葉をかけたそうだ。

◆李登輝を失望させたかつての「教え子」

 ひまわり学生運動が起きてから、日本からの来客と話していても、運動のことがよく話題に上る。そうした際に、李登輝の口からは野百合学生運動についても語られることもしばしばなのだが、そこで憤りとともに話されるエピソードがある。

 李登輝は寒空の下で座り込みをする学生たちを案じ、当時台湾大学学長だった孫震へ電話を掛けた。孫震は、李登輝が台湾大学経済研究所で教鞭をとっていたときの教え子だ。李登輝は孫震に対し、中正紀念堂へ行って学生たちの様子を見てきてほしい、声を掛けてまわってほしいと依頼したが、結局孫震は耳を貸さなかったという。

 学生たちの健康を心配する李登輝だったが、総統たる自分が出ていく訳にはいかない。そこで李登輝は孫震に電話をして学生たちをいたわるように頼んだわけだが、恐らくは恩師の頼みより、党の顔色を伺ったのだろう。何ら学生たちを気遣う素振りさえ見せない孫震に、李登輝が心底失望したことがその声色からも窺えるほどだ。

◆「民間の力」を利用した李登輝の政治的手腕

 学生代表団は、李登輝と面会した当夜に協議し、中正紀念堂における占拠を翌3月22日に終了し解散することを決定、22日早朝には正式に解散を宣言して撤退を開始した。

 その後、李登輝は学生たちとの約束通り、民主化へのタイムテーブルを発表。万年国会を解散させるとともに、6月には国是会議を開いて民間から広く識者を招聘して民主化への意見を求めた。

 当時の台湾社会における機運は、学生運動を中心とする民主化の要求と、体制側のトップたる李登輝自身の民主化への意欲という双方のエネルギーがうまく噛み合って進められたものだ。もっと言えば、民間の要求と体制側の頂点に立つ人物が持つ、民主化への意欲が合致していたともいえる。ここが李登輝の政治的手腕の巧みなところで、いくら選挙を勝ち抜いたことで正当な総統の地位についたとしても、李登輝個人が民主化の端緒をつけることは、当時の国民党内の権力基盤を考えても非常に難しく、さらには危険なことではなかっただろうか。

 それを、「野百合学生運動」による民間からの要求を受ける、というかたちにすれば、李登輝自身は「国民の民主化を求める声にこれ以上抗うことは出来ない」というスタイルで民主化を進めることが可能となる。民間による体制に向けての抗議の声を、うまく民主化のエネルギーに転換させることが出来たのは、李登輝の政治手腕の高さを表しているものではないだろうか。

 2014年、ひまわり学生運動は、立法院長が学生たちの意見を汲み入れ、妥協する姿勢を見せたことで収束の方向に動いた。ただ、過去の野百合学生運動と決定的に異なるのは、政府のトップである馬英九総統は一度も学生たちと対話したり、学生たちの声に耳を傾けようとする姿勢を見せなかったことだ。

 のちに李登輝は、インタビューで「学生たちには学生たちの意見がある。彼らだって国家のためを思って行動している。馬総統は彼らの話を聞いて、早く学校や家に帰す努力をするべきだ」と当時の馬総統を強く非難した。

 これまで何度か書いてきたが、「常に国家と国民のことを頭に置いておかなければならない」と李登輝は常々言っている。民主化を求める学生たちの声に真摯に耳を傾けた李登輝だからこそ、野百合学生運動は平和的に収束し、その後の民主化へのターニングポイントとなったとも言えるだろう。野百合学生運動の学生たちへの対応から見てとれる李登輝の政治姿勢からは、李登輝がいかに「理想のリーダー」として語り継がれているかの理由が垣間見えるのだ。


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