台湾の新幹線「台湾高速鉄路」:建設の経緯と現状(下) [片瀬 潜]

2005年10月の開業予定が遅れに遅れ、2007年1月15日にようやく板橋−左営間で正式
開業した台湾版新幹線(台湾高速鉄路)。3月には予定の台北まで延び、現在は順調に
運航されているようです。

 そのあおりを喰って航空路線がまったくふるわなくなり、減便を余儀なくされるなら
まだしも、ほとんどが撤退する憂き目にあっています。

 日本側と欧州側が激しくせめぎあい、使用様式を混在させるなど紆余曲折を経て開業
した台湾高速鉄路だが、開業まで日本からの派遣者の相談に乗ってきたのが、東海道新
幹線、山陽新幹線、東北新幹線の開業に携わってきた、湾生の片瀬潜(かたせ ひそむ)
氏だ。

 最近発行された「榕樹文化」(2009年1月1日付、第24号)に「台湾の新幹線『台湾高
速鉄路』:建設の経緯と現状」と題して寄稿されている。片瀬氏ならびに「榕樹文化」
編集長の内藤史朗氏のご了承のもと、2回に分載してご紹介したい。

 ちなみに、片瀬氏は本会設立時、台北一中の同窓会「麗正会」副会長として発起人と
なっていただいている。下記に「榕樹文化」に掲載されたプロフィールをご紹介してお
こう。

片瀬 潜(かたせ ひそむ) 大正14年12月生まれ。台北付属小、台北一中、台北高校
卒。昭和20年3月内地に渡る途中、米国潜水艦の雷撃を受ける。昭和24年九州大学工学
部電気工学科卒。日本国有鉄道に入社、昭和37年国鉄本社運転局・列車課補佐等、東海
道新幹線の列車策定の責任者となる。昭和49年、広島鉄道管理局長、山陽新幹線の開業
(50年3月)に尽力。昭和51年、副技師長、東北新幹線開業前に試験線を設置、その本
部長兼任。昭和55年、国鉄退職。以後台湾新台湾新幹線の派遣者への相談に応ずる。

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台湾の新幹線「台湾高速鉄路」:建設の経緯と現状(下)
【「榕樹文化」!)24 2009年新年号】

                                   片瀬 潜

 この争点の中で特に異なっていたのは、一つは電車方式か機関車方式のどちらかとい
うことで、日本の新幹線が電車方式、いわゆる動力分散方式(殆どの車両が動力を持っ
ていて、すべての車両が客室になっている)であるのに対し、欧州側は列車の前部と後
部の機関車で、その間はすべて客車になっているプッシュプル方式(フランスのTGV
特急列車はこ方式)なのです。

 台湾高鉄の計画では駅のプラットホームの長さから、列車の長さは12両に制約される
ので、フランス方式では客車は10両にしかなりません。ところで台湾高鉄の計画では1
列車800〜900人の乗車となるので、欧州側ではすべて二階建ての車両にすると提案して
きました。これに対し日本の案は既に実用している新幹線では、12両すべてが旅客車な
ので、窮屈な二階建てにする必要はないのです。その上、日本式は車軸の電動機の数が
遙かに多いので、列車運転上の加速性能が良く、また電気ブレーキが使えるのでブレー
キ性能が優れている、という利点を提案したのです。

 そのような過程を経て、改めて台湾高鉄公司は、日本連合、欧州連合に対しコアシス
テム(車両、電力設備、信号設備を一括した総合したシステム)の提案書の提出を求め
ました。

 その間に、事件が起こりました。一つは1998年6月にドイツ特急列車が脱線事故を起
こし、多数の死者を出した事故で、これはフランスの特急TGVと同じ形式の列車でし
た。次いで1999年に台湾の集集大地震が発生し、その時、日本の応援隊がどこの国より
も早く来て、迅速適切に地震の救済に当ったので、日本の評判が上がったということが
ありました。日本では新幹線開業以来、事故による死者が皆無であり、また地震対策も
万全であるということが日本側に有利に働いたことは否めないことです。また、当時の
李登輝総統からお口添えがあったと言われております。

 結局、1999年の年末押し迫った12月28日に、台湾高鉄は従来の経過を逆転して、日本
連合に優先交渉権を与えることに決定したのです。日本連合が一括して受注したこのコ
アシステムのほかについては、土木工事(全線が高架、またはトンネルである)が、別
々に受注することになり、全線を12の工区に分け日本をはじめ各国の業者が台湾高鉄か
ら受注してこれは順調に進められました。

 それから、コアシステムの車両、電気設備、信号設備等の設計審査が始まったのです
がそこで、日本側として想定外の思わぬ事態になったのです。つまり、審査に当たって
は台湾高鉄の幹部、担当者に加えて、欧州から来たコンサルタントが、日本の提案に対
し、フランス等で採用している規格を採用するよう強力に主張し、日本側が考えている、
つまり、日本の新幹線の規格が物によっては採用されないことになったのです。その例
は次のようなことです。

1)線路設備のうち、高架部分の強度、トンネルの大きさ、線路間隔は欧州方式とする。
2)駅の入出の分軌器は高速に対応出来るものにする(ドイツ式)。
3)列車無線方式は空間波(フランス式)、日本は線路平行の線を使った有線方式。
4)ATC(自動列車制御装置)は双方向運転可能式。
5)運転室内の機器配置は欧州式……その他いろいろ

 というようなことで、日本側としては統一性が無いことに不安を持ったようですが、
台湾高速鉄路側としては、欧州式を混在して採用する傾向となり、新聞発表では「日本
と欧州の優れた所を合わせた最良の選択」と強調していました。

 というようなことで、施設にせよ車両にせよたびたびの設計変更を余儀なくされたこ
ともあり、また電力供給の問題や資金の問題もあった開業の予定が大幅に遅れることに
なったのです。

 それ以上に最も困ったのは、職員の需給と養成の問題でした。当初、台湾側も高速鉄
路に従事する乗務員や保守要員を日本に於いて訓練することで、台湾側と協議の上、将
来高速鉄路の職員の指導者となる人の養成を引き受けたのですが、結局その人達は使わ
れず、全く新しい職員を募集したということです。

 日本の経験では、在来線の職員から希望者を募集して、新幹線に充当する事で問題は
無かったのですが、台湾ではそれが出来なかったということです。聞くところによると、
在来線はいわゆる公務員であり、台湾高鉄は民間企業であるので、職員の手当ても違い
退職金も不利になるということで、いわゆる在来線からの転換は皆無であったそうです。

 一方、車両の方は若干の設計変更はありましたが、日本で作られた日本新幹線の最新
型N700型をベースにした台湾高鉄側の要請を入れて若干の改造を加えた、新型車360両
(12両30編成)が完成し、予定通り2004年初めから順次高雄港に陸揚げされました。そ
して、2005年1月から試運転が始まり、台南、高雄間で、時速30キロから逐次速度を上げ、
計画速度の最高時速300キロが確認されたのです。

 そして、当初計画から1年半遅れましたが、2007年1月に、正式な全線開業の運びとな
りました。ただし、肝心の始発駅台北駅のプラットホームを新幹線規格に合わせる工事
が遅れ、当初は3月ほどの間は板橋始発となりました。養成が間に合わなかった乗務員
はフランスからの応援を頼むことになり、指令、駅、運転士間の連絡に不慣れな英語を
使うなど、連絡の言葉は神経を使ったようです。

 始めに述べたように私は開業後、全線に乗ってみましたが、車内の速度計も時に300
キロを示していましたが、振動も少なく順調に走っているので、安心しました。そのほ
か、特に感じたのは、沿線の開発状況で新しく出来た中間の駅のまわりが閑散としてい
ることです。台湾高速鉄路の基本方針では、各駅は在来線駅と併設せず、市中心から離
れた立地となるとなっています。

 要するに、台湾高速鉄路は何かにつけて在来鉄道とは全く違う組織であることがはっ
きりしていることが、我々日本の常識と違うことを改めて思い知らされました。線型の
方は在来線との接続を考えなくてよいので、時速300キロで走るための線路半径6000m
を確保出来ていて、殆ど直線ばかりのように感じました。その後、聞くところでは高速
鉄路自体の職員も養成が進み、近く台湾人のみになることも可能であるそうです。

 当初、時間帯によっては少なかった乗客数も、中間各駅と市街地中心までの無料のシ
ャトルバスを運転することになったこともあって、乗車効率も向上しているとのことで
す。

 いろいろな問題を解決しつつ、台湾高速鉄路が安定した運転をすることで、台湾の国
土が活発な発展をすることを期待したいと思います。            (了)



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