茂っていて、暑い陽射しをさえぎってくれる、台湾人や湾生なら誰でも知っている木だ。
京都にこの木の名前を冠した「榕樹会」という湾生を中心とした会があり、「榕樹文化」
という雑誌を季刊で出している。
昨秋、本誌で蔡焜燦氏の「これが殖民地の学校だろうか−母校『清水公学校』」を紹介
したことがあったが(平成18年11月4日、第401号)、この一文が掲載されたのも「榕樹文
化」の2006年秋、第17号だった。
現在、第19号まで発行されているが、前号に林彦卿氏の「海を渡る蝶アサギマダラ」が
掲載された。一読して、少年時代のわくわくした心の動きが伝わってくるような瑞々しい
文章もさることながら、蝶に関するその該博な知識に驚かされた。
つい先日、台湾で、越冬を終えて集団で移動するムラサキマダラという蝶を保護するた
め、飛来ルートにあたる高速道路の一部を通行規制したというニュースが流れた。この異
例の措置は蝶の生存率を高めるためというのだから、世界でもあまり例を見ない台湾なら
ではのニュースだ。
このニュースで林彦卿氏の一文を思い出し、「榕樹文化」編集部の許可を得たのでここ
にご紹介する。400字詰め原稿用紙にして18枚(7000字)ほどあるので、3回に分載してご
紹介したい。また、適宜振り仮名をふったり改行するなど読みやすく編集し、小見出しも
編集部で付した。
ちなみに、林彦卿氏は湾生の間でも著名な方で、台北師範附属小から台北一中、台北帝
大附属医専卒の小児科医で、蝶の採集は学生時代から続けられている方だ。この榕樹会の
台湾支部長もされている。
なお、「榕樹文化」の購読は簡単で、事務局長の内藤史朗様宛にFAXで申し込むと郵
便払込取扱票を送ってくれますので、1,000円を振り込むだけで、現在出ている号から送付
され、以後、4冊届きます。これもお得ですが、台湾に関するいい文章が多いので、皆さ
ま、ぜひご購読を! (編集部)
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榕樹会本部事務局長 内藤史朗
海を渡る蝶アサギマダラ−日本列島と台湾の自然(1)
林 彦卿
【榕樹文化 第18号 2007年・新年】
■台湾は蝶王国
台湾の面積は3万6千平方キロで、九州とほぼ同じ大きさである。北回帰線は嘉義を通
過し、それ以南の台湾の3分の1は熱帯圈で、この線から北は亜熱帯区となる。
島上は山が多く、最高峰の玉山(新高山)は3950メートルあり、よく晴れた日には、山
頂から西海岸も東海岸も見える。標高3000メートルを越す山は133座もあり、世界でも有数
の高山区である。
高山地帯は寒帯気候で針葉樹等の高山植物が多く見られ、そこには寒帯系のミドリシジ
ミが生息している。中学3年(昭和18年)の夏休みに学校で新高登山に行ったが、8月だ
というのに頂上の気温は摂氏5度であった。
台湾のように狭い島で寒帯から熱帯までの気候を含むのは、世界でも類を見ない。植生は
豊富で、四季を通じて蝶を殖産する。蝉は大型昆虫で、夏に出現し、本の幹や枝に停まり、
大きい声で鳴きたてるが、秋冬にはまったく姿を消す。
蝶も気候が涼しくなると、ぐっと減るが、それでも真冬になってもかならず見られる。一
般に秋型、冬型の蝶は体型が幾分小さくなり、種類によっては斑紋の色彩が変化したり、翅
(はね)の形も変形するのがある。
台湾は夏の暑い期間が長く、山地が全島の4分の3もあるので蝶が多く生息し、蝶王国
と言われ約410種の蝶がいる。約とつけたのは土着種でない数種の迷蝶がいるからである。
でも、蝶はどこにでもいるというわけではない。穴場を知っているベテランは、そこで
小一時間も頑張れば相当採集できる。昔のウライ(台北県烏来)は実に蝶が多かった。午
前中は診察があるので、午後から出かけるのだが、川辺の小道は自然が完全に保たれてい
て、無数の蝶が群れ遊んでいる。
蝶の種類も多く、フレッシュな個体だけ狙って網を振るが、採集した蝶は相当な数にな
り、それを展翅(てんし)して標本作りをするのに往々一週間もかかることがある。 7・
8月のウライは、アオスジアゲハ、ミカドアゲハ、タイワンタイマイが実に多く、蝶道が
形成されている。
高砂族の人で、それを採って生計を立てている者がいた。終戦間もない頃は10匹でやっ
と1元という値だったが、1日で3000匹も5000匹も採るので、よい収入になる。その頃、
小生が勤めていた省立台北医院では、卒業したての実習医師の月給が僅か100元だった。
夏のウライにはシロチョウ科の美しいツマベニチョウが敏捷に空中を飛び廻っていたが、
よくハイビスカスの紅い花に群がっていた。竹やぶが多いので、6月にはワモンチョウが出
るが、台北県ではウライにしかいない。
■蝶の行動範囲は狭い
蝶は羽があるから、あちらこちら自由に飛び廻っているように見えるが、実はその行動
範囲は割りと狭いのである。後翅に赤と白の紋がある美しい大型アゲハ、オオベニモンは
観音山と大屯山に多く発生するが、それ以外の処では見られない。観音山の低山地では、
5・6月の時期に大発生し、大屯山では中腹以上の高所に8・9月に出現する。
台湾中部の中央山脈に沿って、梨山等の高山地帯にも多発するが、出現時期は8・9月
である。埔里で大発生するメスジロキチョウは北部では見られないし、南部に多いキシタ
アゲハも北部までは飛んで来ない。多くの種類の蝶を集めたければ、場所を変えて採集し、
蝶の出現時期も把握していなければならない。キボシアゲハ、カバシタアゲハ、アサクラア
ゲハ等は年1回だけ早春に発生する。
一方、台北北部、大屯山主峰付近では、毎年5月末から6月初めになると、アサギマダ
ラが大発生する。ほかのマダラチョウである台湾アサギマダラ、琉球アサギマダラ、ヒメ
コモンアサギマダラ、ツマムラサキマダラ、マルバネルリマダラもいることはいるが少数
である。
多くのアサギマダラが気流に乗って乱舞しているさまは、花吹雪のようでまさに大自然
の景観である。陳維寿さんによると、少なくとも50万匹か60万匹はあろうと言う。
この時期には少数のツマグロヒョウモンが見られるが、同じマダラチョウ科でも橙(だ
いたい)色のスジグロカバマダラやカバマダラはいない。アサギマダラが大発生している
時期に、すぐ近くの竹子湖や草山に下り来ると、もうアサギマダラの姿は見られないから
不思議である。また、少し日にちが経ち、6月の中旬か下旬になると、もうこの蝶はいな
い。そして、その頃には沿路に植わっているアサギマダラの好物のキジュラン(菊科)の
白い花は朽ち果てて枯死し褐色を呈する。 7・8・9月の真夏には殆ど姿を消し、秋の10
月頃には再び増えてくる。
ある人は、アサギマダラは夏期には南部に移動し、秋にまた北部に戻って来ると言ってい
るが、この説には同意出来ない。1年を通じて、この蝶は中南部では滅多にお目にかかれな
いのである。
ちなみに、台湾にはマダラ科の蝶は13種もいるが、日本にはアサギマダラ1種類だけで
ある。韓国にもいて、その姿の美しいことから、韓国では王蝶と呼ばれている。
もともと台湾には13種のマダラ蝶のほかに、オオムラサキマダラとオオカバマダラがい
て、この2種を合わせると全部で15種だった。この2種類の蝶はかなりいて、特に南部に
は多かった。戦後、開墾は無制限に且つ急ピッチに続けられ、10年も経たぬうちに、この
平地性の大型マダラチョウは絶滅してしまった。スジグロカバマダラはオオカバマダラに酷
似しているが、低山地に多く、幼虫の食草も違う。
オオカバマダラは、カナダのロッキー山脈、北アメリカとカナダの境界にある五大湖辺
りから5億匹もの規模で、1匹ずつが、カリフォルニア南部やさらにメキシコ市付近の特
定の谷間にまで飛んで来て集まり、ややもすると千万匹を越えるオオカバマダラの蝶谷を
形成し、大集団のまま越冬する。飛翔の直線距離は4000キロメートルに及ぶ。メキシコ大
統領ウィサンド(漢名:維桑特)は自ら大紋領令を出し、このカバマダラ蝶の谷を保護す
るよう命令した。
(つづく)