台湾のコロナ対策と後藤の遺訓  井上 和彦(ジャーナリスト)

【産経新聞「正論」:2020年4月6日】

 「ありゃ、日本はどうしちゃったんだろう? すぐ脳裏に浮かんだのが後藤新平のことでした」

 そう言って日本の感染拡大対策に首を捻(ひね)ったのは、台湾出身の知己の内科医だった。

 中国湖北省武漢で発生した新型コロナウイルスが世界的感染拡大の傾向を見せはじめたころ、台湾はいち早く有効な手を打って拡大阻止に努めていた。1月には武漢との団体旅行往来を禁止し、2月6日には中国全土からの来訪を禁止した。予断は許さないが、台湾が上手に感染を制御していることに注目が集まっている。

◆公衆衛生の観念普及

 その背景には、中国を起源とする重症急性呼吸器症候群(SARS)が2003年に台湾で広がった時の苦い経験があった。

 この時、SARSに対処したのは、現在の副総統・陳建仁氏で、当時行政院衛生署長だった。

 陳副総統が、本紙のインタビューで当時WHO(世界保健機関)に台湾から病例を報告しても反応がなく、WHOから検体が得られていれば不幸な院内感染は起きなかったと語っている。そのため台湾は独自で未知の感染症と戦わざるを得なかったのだ。そんなSARSとの戦いの陣頭指揮を執った陳建仁氏が蔡英文総統を補佐する副総統なのだから、台湾の今次の新型コロナ禍への対応が迅速かつ的確であったことも頷(うなず)ける。

 陳氏の存在は、まさに第4代台湾総督・児玉源太郎を補佐した民政長官・後藤新平を彷彿(ほうふつ)させる。

 後藤新平─冒頭の内科医が語るこの偉人は、「台湾近代化の父」として台湾人の尊敬を集め、その功績は今も語り継がれている。

 日清戦争後の下関講和条約(1895年)で日本に割譲された当時の台湾は、まだマラリアやチフス、コレラなど様々な疫病が蔓延(まんえん)する瘴癘(しょうれい)の地であった。この疫病を駆逐することが台湾統治の最重要課題の一つだった。

 児玉総督の右腕として渡台した後藤新平は、大規模な土地調査を実施し、インフラ整備を行うと共に医療環境改善に注力した。医師でもある後藤は、病院や予防消毒事業団を設立し、公医制度を設け各地に診療所を配置したほか、上下水道を整備して衛生環境を改善した。とりわけ手洗いやうがいの励行、布団を干して叩(たた)くといった公衆衛生観念の普及は効果的だった。こうして次々と疫病が駆逐され、近代化の基礎が築かれていったのである。

 現在、台東に帰省中のブヌン族青年に電話で新型コロナウイルスの影響を尋ねたとき後藤新平の話となった。台湾の山地では今でも多くの医療用語が日本語のまま使われていると聞かされた。当時の医療行政が台湾全土に行き渡っていた証左であり、まさしく後藤新平の“遺産”ではないだろうか。

◆「人を残す人生」の偉業

 このとき私の胸に去来したのは、後藤新平の遺訓「金を残す人生は下、事業を残す人生は中、人を残す人生は上」だった。

 1999(平成11)年5月22日、台湾南部の台南市で後藤新平と、新渡戸稲造の業績をたたえる国際シンポジウムが開かれ、私もこれに参加した。ここでは2人が台湾の近代化に尽くした偉業をたたえる声が相次ぎ、感動に胸が震えたことを思い出す。

 この時、李登輝総統(当時)の国策顧問を務めた許文龍氏は、会場の台湾人に、日本人の功績によって現在の台湾があることを忘れてはならないと訴えた。

 許氏は社員教育で講演した内容の一部を整理した小冊子『台湾の歴史』の中で、こう述べている。

≪台湾の基礎は殆(ほとん)ど日本統治時代に建設したもので、我々はその上に追加建設したと言ってもよい。当時の日本人に感謝し、彼らを公平に認識すべきである≫

 事実、台湾人の多くは異口同音に日本統治時代の教育・医療、そしてインフラ整備を称賛する。

 今年1月の総統選挙で再選を果たし2期目に入る蔡英文総統を、陳建仁氏に代わって支える副総統は、医師の肩書を持つ頼清徳氏だ。蔡総統は、再び“後藤新平”を右腕に抜擢(ばってき)したわけである。

◆台湾の経験に学ぶべき

 新型コロナが世界各国に感染拡大するなか台湾が感染制御に一定の成果を上げている。

 私には、どうも後藤新平の“教え”が台湾を守っているように思えてならない。日本統治時代の医療インフラを基礎に現在の台湾医療が築かれたからだ。

 開南大学で教鞭(きょうべん)をとる台湾人の友人がいう。

「台湾は、WHOに頼れないから、独自で感染拡大防止策を考えなければならなかったんです」

 結果的にはむしろ、中国への配慮と受け取られかねない姿勢も指摘されるWHOに頼らない方がよかったのかもしれない。

 一国への政治的配慮を世界の防疫問題に持ち込んではならない。防疫は世界全体の公衆衛生と人命に関わる問題だからである。

 WHOはただちに、新型コロナの感染拡大抑止に成果を上げている台湾を加盟させ、台湾の経験に学ぶべきである。

(いのうえ かずひこ)

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井上和彦(いのうえ・かずひこ)1963年(昭和38年)滋賀県生まれ。滋賀県立膳所高校卒業後、法政大学社会学部卒業。ジャーナリスト。専門は軍事・安全保障・外交問題・近現代史。各種バラエティー番組やニュース番組のコメンテーターも務め、“軍事漫談家”の異名を持つ。第17回「正論新風賞」受賞。主な著書に『親日を巡る旅─世界で見つけた「日本よ、ありがとう」』『自衛隊さんありがとう─知られざる災害派遣活動の真実』『日本が戦ってくれて感謝しています─アジアが賞賛する日本とあの戦争』『日本が戦ってくれて感謝しています2─あの戦争で日本人が尊敬された理由』『本当は戦争で感謝された日本─アジアだけが知る歴史の真実』『大東亜戦争秘録 日本軍はこんなに強かった!』『大東亜戦争写真紀行 ありがとう日本軍─アジアのために勇敢に戦ったサムライたち』『パラオはなぜ「世界一の親日国」なのか』など多数。

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