台湾に建った「永遠の友」の像  井上 和彦(ジャーナリスト)

【産経新聞「正論」:2023年7月7日】https://www.sankei.com/article/20230707-CHDDEZV4V5JX3KODMIQLPQ2LZY/?751280

◆感謝の気持ちを込めて

 令和4(2022)年9月24日、亡き安倍晋三元首相の銅像が建立された。日本ではない。台湾高雄市にある鳳山紅毛港保安堂という廟に建てられたのである。

 その頃、日本では国葬を巡って心ない反対論まで出てくるありさまだった。ところがその国葬の3日前に台湾人有志の寄付で安倍元首相の等身大の銅像が台湾にお目見えしたのだった。

 プレートには「安倍氏は日本の偉大な政治家であり、生前は台湾を全力で支持してくれた。この立派な人柄に、台湾人は感謝の気持ちを込めてこの銅像を製作した。(中略)安倍晋三元首相は永遠に世の人々の心に残るでしょう」と台湾語で表記されており、銅像の台座には「臺灣永遠的朋友」(台湾の永遠の友)という文字も刻まれている。

 そして銅像の横には「加油台湾」(がんばれ台湾)という安倍元首相の揮毫(きごう)が刻まれた大きな石もある。2018年に起きた台湾東部の地震時に安倍元首相が贈った言葉だった。

 そもそも、この保安堂は、大東亜戦争最中の昭和19(1944)年11月25日にバシー海峡で沈没した日本海軍の第38号哨戒艇が、艇長の高田又男大尉と共に祀(まつ)られている道教霊廟なのである。そんな日本との縁もあって、台湾でも敬愛された安倍元首相の銅像が、人々の哀悼の気持ちを込めて建立されたのだった。

 台湾には、日本人や日本軍人が祀られている廟が点在する。

 屏東県にある「東龍宮」には、明治期の田中綱常海軍少将が祀られている。

 日本ではあまり知られていないが、田中少将は台北県知事や台湾総督府の民政事務官などを歴任し、台湾との縁が深い。

 だがそれだけではない。田中少将は明治23(1890)年に起きたオスマン帝国(トルコ)軍艦エルトゥールル号の海難事故の生存者69人を、軍艦「比叡」でトルコまで送り届け、後にトルコ皇帝から勲章を授与された日本─トルコ友好の立役者の一人だった。廟の1階は田中少将の軍歴とエルトゥールル号海難事故に関する展示館となっている。

◆語り継がれていること

 台湾、トルコでその功績が讃(たた)えられた田中少将─その存在が日本ではほとんど知られていないことが残念でならない。実はこの東龍宮には、第3代台湾総督を務めた乃木希典大将、領台前の台湾出兵で戦死した最初の日本兵となった北川直征伍長、さらに2人の日本人従軍看護婦が祀られていることも添えておきたい。

 そして台南の「飛虎将軍廟」には、昭和19年に米軍機との空中戦で戦死した零戦パイロットの杉浦茂峰飛行兵曹長が祀られている。杉浦兵曹長が祭神として祀られるようになった経緯には諸説あるが、この廟では「君が代」や「海ゆかば」が歌われ、日本人参拝者も訪れている。

 このように台湾では日本軍人に対する感情は好意的だ。そうしたことから日本軍人の顕彰や慰霊が今も続いているのである。

 そして現在、台湾最南端の恒春(屏東県)で日本軍将兵の遺骨収容のための調査を続けている日本人女性がいる。栃木県出身の舘量子(たち・かずこ)さん(40)だ。

◆語り継がれてゆくこと

 舘さんは大学時代にゼミ研修で台湾を訪れたとき台湾人元日本兵に出会い、彼らが日本軍人であったことを誇りに思っている話を聞かされて衝撃を受けた。その後、彼らと同じ経験をしようと陸上自衛隊に入隊した。

 任期満了後、そのときの台湾人元日本兵に会って本当の日本の歴史を学ぶために再び渡台した。台湾で日本語教師をしながら、バシー海峡で戦死した兵士の遺骨収容に身を投じることを決意したのである。舘さんは一人で、当時を知る地元の年配者から、バシー海峡から流れ着いた日本兵が埋葬された場所を聞いて回り、埋葬場所を特定する調査を続けている。

 女性一人で活動してまわることに苦労も多かった。だがやがてその地道な活動は台湾の人々に知られるようになり、地元紙でも大きく取り上げられた。

 令和元(2019)年12月、舘さんのもとに、厚生労働省が沈没した艦艇などに残る「海没遺骨」の収容を行うことになったというニュースが飛び込んできた。そして知人から、どうやらそれは当時の安倍首相の強い働きかけによるものだと聞かされたのだった。

 翌2020年8月15日、自衛官時代にラッパ手だった舘さんは、日本兵が埋葬されている場所でラッパを手にバシー海峡に向かって「葬送の譜」を吹奏した。たった一人の慰霊祭だった。

 親愛の情をもって台湾に手を差し伸べ、バシー海峡をはじめ海没遺骨の収容にも心を砕いた安倍晋三元首相は、これからも偉大な政治家として台湾で語り継がれてゆくことだろう。(いのうえ かずひこ)

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