今年は日本と台湾の中華民国が断行してから50年の節目の年に当たります。しかし、日華断行と同時に国交を樹立した中国とは、これまで約400件の友好都市を結んでいることに表れているように、日本は台湾よりも中国との関係を重視し優先してきました。
日台関係を大雑把に概観しますと、日台関係は1990年代までは冷え込んだ状態が続きました。しかし、2001年4月の李登輝元総統のご来日をきっかけに好転しています。その後、2011年の東日本大震災以降、2012年12月からは第二次安倍政権時代が続いたことで、日台関係は激変します。
本誌では何度も指摘してきたことですが、姉妹都市や友好交流都市などの都市間提携は、鉄道提携とともに日台交流の深化を示すバロメーターです。日台の都市間提携は、日華断交から7年後の1979年10月10日に青森県大間町と雲林県虎尾鎮が「姉妹町」を締結したことを嚆矢としますが、以後、2001年7月に秋田県美郷町が花蓮県瑞穂郷と姉妹都市を結ぶまでの22年間でたった8件を結んだだけでした。
それ以降は、2003年4月に岡山市と新竹市が初の市レベルで友好交流都市を結ぶなど、徐々に都市間提携は増えていきました。
ただ、2000年から2011年の東日本大震災までは、岡山市と新竹市、仙台市と台南市(2006年1月)の提携で顕著だったように中国からの圧力が増した時期でもありました。自治体の都市間提携に国交は関係なく、ましてや中国が主張する「『一つの中国』原則」も関係ありません。しかし、中国は「二つの中国をつくるのか」「日中共同声明に反する」などと容赦なく圧力をかけていました。
その点で、東京の八王子市は2006年11月1日に高雄市と友好交流都市を締結する際に、まず9月23日に中国の泰安市と友好都市を結び、それから約1か月後に高雄市と、そして高雄市との締結から1週間も経ない11月7日に韓国の始興市と友好交流協定を結び、このような戦略を立てて中国の邪魔建てを防いだことを思い出します。
東日本大震災が起こった2011年、台湾から250億円もの義援金とともにいろいろな支援物資が届けられ、日本は台湾に注目するようになります。台湾が日本を振り向かせたと言ってもいいのではないかと思います。
加えて、2012年12月に台湾を重視する第二次安倍政権の発足です。政権交代がないまま、安定した政権運営が2020年9月まで8年間も続きました。
本会の調査によれば、日台の都市間提携は1979年10月から2020年9月まで98件ありますが、そのうち2012年以前は19件しかなく、79件、つまり80%が2012年以降なのです。
2022年9月現在の日台間の都市間提携は108件に伸びています。新型コロナが収まらないなかで、今年はすでに5件も提携しています。日台の都市間提携が再び増える兆候を見せています。
折しも、日本台湾交流協会の『交流』8月号に、台南市と2017年12月6日に「友好交流促進協定」を結んだ山形市の国際交流センターがこの5年間を振り返って寄稿していました。
文中「戦後に日本が蒋介石に受けた恩を忘れないために」という、歴史事実にそぐわない記述もありますが、1件の都市間提携がいかに裾野を広げていくかを詳しくご紹介していますので、いささか長いのですが下記に全文を紹介します。写真は下記のURLからご覧ください。
—————————————————————————————–台南市との友好協定締結5周年を振り返って 山形市国際交流センター【日本台湾交流協会「交流」:2022年8月号】https://www.koryu.or.jp/Portals/0/images/publications/magazine/2022/8%E6%9C%88/2208_02yamagata.pdf
1 山形市の紹介
山形市は人口約25万人で、平成31年4月に、山形県内では唯一の中核市となりました。観光名所としては松尾芭蕉の紀行作品「おくのほそ道」で有名な「山寺(立石寺)」、また雄大に聳え立つ蔵王連峰、その山頂付近にあるエメラルドに輝く火口湖の「御釜」、強酸性の硫黄が血行や肌に効能の高い蔵王温泉と多岐にわたっています。
そして街なか観光として、その昔、霞に覆われて見えたことから霞ケ城の呼び名があった山形城址は、霞城公園として市民に愛され、東大手門や本丸一文字門などを現在復元し(東大手門には現在では輸入できない台湾ヒノキの巨木が使われている)、古の姿を伝えています。旧山形県庁並びに旧県議会議事堂は「文翔館」として整備され、映画のロケ地や、コンサート会場にも利用されています。紅葉や茶室で有名な「清風荘(もみじ公園)」、古くから盆地を流れる堰を活用し整備した「水の町屋 七日町御殿堰」、また旧市立第一小学校の建物を活用した文化施設「やまがたクリエイティブシティセンターQ1」(令和4年9月オープン予定)など、見どころも豊富なうえ、市内中心部を100円の循環バスが走り、簡単にアクセスができ、観光に生活に大変便利です。
また、春には霞城公園東大手門の観桜会、夏は東北4大祭りの一つである花笠踊りパレード、秋には日本一の芋煮会、冬は蔵王の樹氷・スノーモンスターと、四季折々の観光が楽しめます。
食べ物も、山形牛、日本蕎麦、ラーメン、日本酒、サクランボ、ラ・フランス等々、枚挙にいとまがないほど、四季に美味しいものがそろっています。
こけし、のし梅、ふうき豆等のお土産品、また冷やしシャンプー、冷やしラーメン発祥の地でもあります。
豊かな自然と、歴史ある文化が今もなお息づく街です。
2 台湾・台南市との交流の始まり
山形と台湾の交流の嚆矢は、昭和39年、山形県日華親善協会の発足が挙げられます。山形生まれの故大久保伝蔵氏は元山形市長であり、戦中から戦後にかけて国政の政治家として活躍された方でした。その大久保氏により、戦後に日本が蒋介石に受けた恩を忘れないために、日本で初めての日華親善協会が設立されました。また、平成5年に台南市進出口商業同業公會と山形商工会議所が姉妹会を締結するなど、経済界を中心として交流が深められ、その交流は現在も引き続き温められています。
このような経済面での交流が素地となり、現在の佐藤孝弘山形市長が、平成28年12月に台南市を経済訪問団として訪問した際に、当時の台南市長である頼清徳氏から、山形市と台南市の交流について深化させたい旨の提案がなされました。平成29年7月下旬から8月上旬にかけて山形市から台南市に訪問団を派遣し、今後の交流のあり方や交流の分野について台南市側と協議を行い、平成29年12月6日に「山形市と台南市との友好交流促進に関する協定」を締結し、友好都市となりました。
台南市からは李孟諺台南市長を代表とする9名の訪問団が来形し、山形市において締結式を行っております。
その協定では観光・経済・文化・教育・スポーツの5分野の交流が掲げられました。
3 締結後の具体的な交流について
協定の締結後すぐに行われたのは、スポーツ・教育分野である野球交流でした。平成29年12月から平成30年1月にかけて、台南市主催の野球大会「台南市巨人盃國際青少棒錦標賽」に山形市選抜チームを派遣し、交流試合等を通して交流を深めました。
またその年の夏には、台南市にお伺いした時に対戦した台南市立金城国民中学校の生徒を招聘し、野球試合の他、山形の夏を彩る花笠まつりに参加してもらうなど、夏の山形を満喫していただく交流を行いました。そして、令和元年12月から令和2年1月にかけて、再度「台南市巨人盃國際青少棒錦標賽」に山形市のチームが参加しています。その年の夏に再び山形市への受け入れを行う予定でしたが、コロナ禍のために招聘できなくなってしまいました。ただ、コロナ禍においてもお互いに寄せ書きや動画などを送りあいながら、野球を通じた両市の友情に変わりがないことを確認しています。
また、山形と台湾との交流が盛んになったこと等を受けて、山形大学に「一般社団法人 日台政策研究所」が平成30年度に設立され、特に歴史や文化面でのセミナー等を開催されていらっしゃいます。研究所理事長であり、山形大学の名誉教授である松尾剛次先生や、中澤信幸先生には日頃よりご指導、ご協力をいただいているところです。
4 山形市農業委員会の交流
平成30年10月〜11月には、山形市農業委員会会長らの訪問団を台南市に派遣しました。台南市の農業関係団体及び農業者との交流により、農産物や農業技術の情報交換を行っています。引き続き令和元年11月にも同様に、農業委員会に於いて台南市を視察しております。
台南市の数ある魅力のうちの一つは多くの南国フルーツでしょう。マンゴーに始まり、パイナップル、ライチ、バナナ、釈迦頭等々。山形市もサクランボを始め、ラ・フランス、シャインマスカット、スイカ、モモと多くの果物が実り、お互いに古くより農業の盛んな都市です。そのような点からも両市には多くの共通点があり、農業後継者や新規就農者の育成、生産の効率化など、共通の問題・課題も多いようです。今後も引き続きそのような面での交流が盛んになる事が期待されます。
5 経済・観光面での交流
経済・観光面の交流としては、平成30年7月に当時台南市外交顧問であった野崎孝男氏を山形市に招聘し、台南市の経済・観光状況等についてのセミナーを開催しています。
そして11月には台南市旅行博や新光三越で開催される「日本商品展」の時期に合わせて、市長を団長とする経済訪問団40名を台南市に派遣し、台南市の経済状況の視察等を行ってきました。
また、日本商品展「新光三越日本展」に山形市の物産を出展し、ミス花笠によるオープニングセレモニーや山形市長自らがトップセールスを行うなど、台南市民へ効果的にPRするためプロモーション活動を行っていました。また、「大台南国際トラベルフェア」にて、仙台市と連携しプロモーション事業を実施しました(平成30年度より例年参加)。
特に令和元年度の「日本商品展」における山形市の物産の出展・プロモーション活動においては、日本酒の販売、山形の名物「どんどん焼き」というお好み焼きや、辛味噌ラーメンの出店等が台南の方々の目を引きました。
6 市民訪問団の派遣
協定締結当時、日本へのインバウンドとして台湾からの観光客が増加していました。東北地方においても、また山形においても多くの台湾の方が観光に訪れておりました。ただし、逆に日本からのアウトバウンドの少なさが問題とされており、ぜひ山形市民にも台湾・台南市の魅力を知っていただく必要がありました。そこで令和元年度には市長を団長とする市民訪問団を結成し、台南市を訪れる計画を立てました。折しも山形市制施行130周年ということで、記念事業の一つとして行われました。
議会への説明、チャーター便利用の検討、市民訪問団参加者の募集、現地台南市への説明や打合せ等々、目まぐるしく毎日を送ったことを思い出します。途中紆余曲折がありながらも、令和元年の11月12日から16日にかけ、37名を台南市に派遣しました。着いて先ず、台湾の暑いことに驚きました。山形市も盆地の内陸気候で、夏場蒸し暑い思いをするのですが、7〜9月くらいのものです。
台南市では12月くらいまで暑い日が続くとのことでした。
台南市においては、黄偉哲台南市長への表敬訪問を行い、台南市政府主催による歓迎晩餐会を開催していただきました。特に、台南市政府に到着したとき、台湾・台南市の旗と並んで山形市の旗が掲揚されていました。これは最大の歓迎の意を表すものとのことだそうです。多くのマスコミの方々にも迎えられ、大変歓待を受けたことを思い出します。
参加者には台南市の魅力を知ってもらうべく、観光名所等を案内するほか、台南市の新光三越における「日本商品展」での山形市物産プロモーションへの視察等を行いました。また訪問団には地元新聞の記者にも同行していただき、台南訪問記を新聞紙上において、記事を掲載していただきました。併せて、チャーター便を活用して、山形県日華親善協会・山形商工会議所からも約20名の方が同行程でご参加いただきました。
参加された市民の方からは「台南の魅力を知ることができた。また訪れてみたい。」「山形の人に台南の魅力を広めたい。」などの声をいただき、概ね好評に終わることができました。
7 山形市台南市交流推進アドバイザー
山形市がここまで台南市と交流を続けてこられたことについて、大変ご尽力くださっている方がいらっしゃいます。台南市の外交顧問の野崎孝男氏です。
野崎さんは台湾のラーメンチェーン店の経営者というばかりでなく、台湾の経済界や政界に通じた方であります。台南市との協定締結についても大変ご尽力をいただきました。また、山形の経済界についてもアドバイスをいただき、平成30年と令和2年に、山形の事業者に向けたセミナーの講師を務めていただきました。
そういった経緯から、山形市は令和元年10月に野崎さんに「山形市・台南市交流推進アドバイザー」に就任していただきました。以来台南市の状況ばかりでなく、台湾の状況なども広く情報をいただいています。
また、山形市で行っている売り上げ増進支援センター「Y-biz(ワイビズ)」を通した、事業者の経営相談においても、台湾へ進出したいという希望のある山形市内の事業者に対してオンラインでアドバイスをいただきました。
加えて、野崎さんにはコロナでマスクの不足している際には布マスク2,000枚をいち早く寄贈いただきました。昨年は山形市内の子ども食堂11施設と山形県内のすべての児童養護施設に対し、台湾産のパイナップルをご寄贈いただきました。私も実際に子ども食堂に行って、南国のパイナップルを頬張り、喜ぶ子供たちの姿を拝見いたしました。
常日頃から適切なアドバイスやご協力をいただき、大変に有難く思っているところです。やはり海外との交流については現地において協力していただける方がいないと、なかなかスムーズには進まないもので、野崎さんには山形市と台南市との交流に大変にご尽力いただいております。
8 コロナにおける状況
このように交流に力を入れてきたところですが、令和2年の3月から実際の人的交流が難しくなりました。山形県で3月末、山形市内でも4月にコロナ罹患者が発生し、海外との交流は愚か、市の施設の貸し出しも一時停止しました。マスクの不足や高騰、また残念だったのは当初海外からコロナがもたらされたということで、外国人に対する偏見なども見受けられました。その後外国人ばかりではなく、山形へ帰省した山形人に対してもその目が向けられました。
そのような中で、野崎さんからマスクの寄贈をいただき、台南市長からも医療用メガネ300個とマスクガスケット400枚を寄贈いただきました。
山形市として感謝の気持ちを伝えるため、初めてオンラインを使ったweb会談を行い、黄偉哲台南市長らに感謝の意を表しました。
また、野球交流を行っていた金城国民中学校からは「山形加油」の寄せ書きが寄贈されました。
山形市からも、当時台湾でも流行っていた『鬼滅の刃』の人形や、山形を紹介し山形の野球チームの想いを載せたパネルや、翌年にはドローンを使って山形の魅力や野球活動を映した映像を作成し、台南市立金城国民中学校に贈りました。
コロナを乗り越えて、交流が再びつながるようにと願っています。
9 5周年を迎えて
平成29年12月に協定を締結して以来、今年の12月でまる5年を迎えます。ただしコロナがまだ明けておらず、そういった状況で出来ることを考えました。
そのような中、7月に「台南フェア」を行いました。7月15日(金)〜17日(日)の午前10時から午後6時まで、山形市の駅に直結する霞城セントラルという建物の1階で、開催いたしました。
台南市を紹介するパネルやパンフレット、グッズなどを展示するなか、当日訪れた方には先着でマンゴーをプレゼントしました。台南市との交流をクイズとして出題し、正解した山形市民の中から抽選で台南産マンゴーや台南市政府から送られた特産品をプレゼントしました。また、SNSでの拡散を狙い、赤?楼をパネルとした撮影スポットで撮影した方に対し、パイナップルケーキをプレゼントしました。その他、山形県日華親善協会や山形商工会議所、山形市国際交流協会、山形県立山形工業高等学校のマンゴー栽培の取り組みなどを紹介しています。
また、オープニングセレモニーにおいては、山形市と台南市とのこれまでの交流をまとめた動画の上映のほか、台湾からの留学生(1名は台南市出身)に台湾の古い歌「雨世花」や「望春風」を披露してもらいました。
また、コロナで人的交流が難しいことから、お互いの市の子供たちに書いてもらった提灯を飾りあう交流を予定しています。
元来台湾では、春節(旧正月)に「元宵節」があり、提灯を飾る風習があり、台南市では旧鄭成功祖廟において提灯を飾っていらっしゃいます。
今回祖廟に飾られていた赤い提灯と、山形市と野球交流を行っている台南市立金城国民中学校の生徒から新たに描いてもらった提灯と、計277個の提灯が山形市に贈られ、山形駅前東西自由通路や台南フェア、山形市国際交流センターなどで展示を行っています。
また、今回飾った山形市の子供たちの提灯も終了後に台南市へ贈らせていただき、来年の春節の際に台南市で飾ってもらう予定です。
展示数量は以下のとおりです。
・台南市から送られた数 旧鄭成功祖廟(赤い提灯) 151個 台南市立金城国民中学校(白い提灯) 126個 計277個
・山形市内での設置予定個所 東西自由通路 160個 台南フェア・国際交流センター他 117個 計277個
なお、台南市からの提灯のうち子供たちの描いた提灯には以下の4つのテーマがあります。
1 台日友好交流、日本からワクチン寄付についての感謝2 台南の名所、グルメ、農産品など3 金城国民中学校の特徴4 山形市と台南交流について(例えば野球)
数々の思い思いの図柄を見ているだけで楽しく、子供たちへの感謝の気持ちに涙があふれてくるような思いがこみ上げてきます。
10 最後に
この5年間で海外情勢もいろいろな変化がありました。5年前を振り返ればまさに激動の時代に入したという感が否めません。そういった情勢も見守りながら、地方自治体としては市民レベルでの交流について、今後とも関係機関と連携を取りながら更なる深化に向け取り組んでいきたいと考えています。
山形市国際交流センター〒990-8580 山形市城南町1-1-1霞城セントラル 2階TEL:023-647-2275 FAX:023-647-2278Mail:kouryu@city.yamagata-yamagata.lg.jp
※この記事はメルマガ「日台共栄」のバックナンバーです。