三つ巴で進む台湾の総統選挙 キャスティング・ボートを握る柯文哲候補が来日

 台湾の総統選挙は候補者が出そろったことで熱を帯びてきている。来年1月13日予定の投開票日まで、民進党の頼清徳・同党主席(副総統)、中国国民党の侯友宜・新北市長、台湾民衆党の柯文哲・主席(前台北市長)の3候補を中心に熾烈な選挙戦が戦われる。

 ただ、侯友宜氏が中国国民党の候補者に指名されたにもかかわらず、中国国民党の候補者に名乗りを挙げていた鴻海精密工業創業者の郭台銘氏がいまだ選挙選から降りた様子を見せていないのが不気味である。

 また、産経新聞の単独インタビューに「日本との関係は台湾にとって極めて重要だと考えている」と答えた柯文哲氏は、総統選候補者として6月4日からいち早く来日している。柯候補には、いずれ中国国民党と組む作戦ではないかという噂が絶えず、選挙のキャスティング・ボートを握っている感が強い。

 朝日新聞台北支局長の経験もあるジャーナリストの野嶋剛氏が総統選の現状を分析している。

 「現状では、どの候補も勝利に向けて競争を抜けだす決定力があるというわけではなく、しばらくは三つ巴の構図が続く可能性が高い。そんななかで台湾に忍び寄っているのが、中国による情報工作、最近では『認知戦』と呼ばれる問題だ」として、中国の認知戦は「敵視する民進党政権のダメージを狙っている」と分析している。

 下記に、産経新聞の柯文哲氏へのインタビュー記事と野嶋氏のレポートをご紹介したい。

◆産経新聞:台湾「独立」ではなく「自主」が大事 柯文哲氏[6月3日] https://www.sankei.com/article/20230603-IRIP6TBSIVL2HLQDZFZ5UKDTAU/

—————————————————————————————–野嶋 剛(ジャーナリスト)構図固まる台湾総統選 「情報赤字」突く中国の認知戦【Wedge ONLINE:2023年6月5日】

 台湾の総統選挙まであと半年あまりとなり、各政党の候補者が出揃い、総統選レースの構図は固まった。抜け出したと言えるような候補はおらず、情勢は混沌としており、今後中国の情報操作を含めた「認知戦」による介入の影響を心配する声も広がっている。

◆初めてと言える本格的な三つ巴

 最も早く候補として確定した与党民進党の頼清徳・副総統のほか、野党国民党は、最大都市の新北市で市長を務める侯友宜氏を正式に候補とすることを決めた。一方、第三勢力の台湾民衆党の柯文哲・前台北市長も立候補をしていく構えで、4年に1度の台湾総統選は今回、基本的にこの三者の争いになりそうだ。

 台風の目となっているのは柯文哲氏である。もともと台湾では二大政党である民進党・国民党の力が強く、第三勢力は議会で議席を多少は取れても、総統選では勝ち目がなかった。国民党系の勢力が分裂して2000年の総統選のように共倒れになるケースもあった。

 台湾民衆党は、柯文哲氏の「個人商店」として始まった政党だが、若者や都市住民を中心に次第に勢力を拡大し、柯文哲氏は最新の世論調査でも20%台の支持率をキープしており、国民党の侯友宜氏より上位に来る調査も出てきている。

 心配されるのが侯友宜氏だ。昨年11月の統一地方選では国民党は大躍進し、民進党は窮地に追い込まれた。そのなかで出馬を待望する声が集中したのが侯友宜氏だった。刑事畑で実績を上げ、警察出身らしい冷静なキャラクターが信頼され、市民の人気は高く、総統候補に推す声が高まっていった。

 ところが、国民党が候補者をなかなか決めず、本人も出馬表明に踏み切れないなかで、鴻海(ホンハイ)精密工業の創業者、郭台銘氏が出馬表明をしてしまうなど混乱に陥った。ようやく党中央が候補として正式に擁立を決めたが、すでに優柔不断さを疑問視する声もあって勢いが落ち、支持率では頼清徳氏に遅れを取っている。

 頼清徳氏は、地方選での敗北の要因が「長期政権の緩み」にあったと考え、党内の規律回復に厳しいルールを科すなど、改革の動きが好感されている。国民党のもたつきにも助けられて、統一地方選の不調から民進党は抜け出しつつある。

 ただ、5月末に党職員によるセクハラの隠蔽スキャンダルが次々と発覚する問題が起きており、民進党はジェンダー平等を掲げる政党だけに打撃は大きくなるとみられ、頼清徳氏の支持率に影響を及ぼす可能性もある。

◆「情報格差」を狙う中国

 現状では、どの候補も勝利に向けて競争を抜けだす決定力があるというわけではなく、しばらくは三つ巴の構図が続く可能性が高い。そんななかで台湾に忍び寄っているのが、中国による情報工作、最近では「認知戦」と呼ばれる問題だ。

 台湾と中国、軍事力としては台湾も防空ミサイル網を構築し、米国製戦闘機も揃えて一定の抑止力は持っている。ところが抑止力がまったく働かないのがこの認知戦だ。まず大前提として考えておかなければならないのが、中国・台湾の間の情報ギャップである。

 5月下旬に台湾で開かれたシンポジウムで、台湾政治大学の研究者、黄兆年氏は「中台関係では、台湾の情報赤字が深刻だ」と述べた。情報赤字とは、台湾は中国の情報を受け入れているが、台湾は中国に情報発信することができないことを指す。

 台湾から中国のあらゆるメディアやソースにアクセスできるが、中国はファイヤーウォールを設けているので台湾の特定のサイトにユーザーをアクセスさせないでいられる。さらに、中国は、中国以外の第三国や台湾内部の協力者のIPアドレスを使った工作も多い。

 一方、台湾はそうした情報発信のツールを持たないし、台湾の国内法で違法と位置付けられる情報発信をすることは難しい。中国からの情報流入阻止も明らかにフェイク情報であれば取り締まりで対処できるが、一方的にマイナスの情報を大量に流す「印象操作」に近いものであれば、法的な対応も難しいのが現実である。

 つまり、台湾は認知戦において、中国の風下にたたざるを得ない不平等な戦いを強いられているのである。ただ、それは中国以外の自由主義のルールのもとに生きる国々とっては、情報の非対称性という問題は共通する歯がゆい問題であり、中国はそうした弱点に当然目をつけて行動しているのは間違いない。

◆台湾ではいまだ人気のTikTok

 いま関係者が最も心配しているのがTikTokだ。台湾の情報コンサル会社「OOSGA」によると、現時点で中国語版のTikTokを530万人の台湾人が使用している。

 台湾では、LINE、Facebook、Instagramが三大勢力だが、TikTokはそれにつぐ利用者がいることになる。しかも、中国で使われている簡体字版を使っている人も多いと見られ、そのまま中国のコンテンツを利用できるのである。言葉が通じるだけに情報も流入しやすい。

 台湾でTikTokやウイチャットなど中国のSNSアプリを禁止すれば済むのかといえばそうではない。

 台湾きっての認知戦の専門家である台北大学の沈伯洋氏はこのシンポジウムでこう語った。

 「民衆が中国を理解しておらず、対中警戒意識がないなかでは、中国のアプリを使うなとか中国産品を使うなといっても意味はない。先に対中警戒意識を作らないと抵抗はできない。中国がどうして認知戦や法律戦を着々と展開するのか、そこからどうやって自分を守ればいいのかを知ってもらわないといけない」と述べた。

 最近の例では、町内会長が住民を連れて中国を訪問し、中国当局からさまざまな便宜供与を受けて帰ってくるケースが目立つ。その町内会長は地元で中国がいかにいいところか「宣伝」に励むという利益交換が行われているという。だが、そこには違法性を見つけ出すことは難しいし、「善意の利益交換」としか言いようがない。

◆10%の人を狙う認知戦

 最近で中国が力を入れているとされるのは、現在の蔡英文政権の腐敗や暴力団との癒着を指摘し、一部の組織の利益を政権が優先させているという陰謀論的な情報だ。実際、過去に一部の民進党幹部に暴力団との交際歴がある人物がいたこともある。

 陰謀論の特徴は、まったくの事実無根ではないという点にある。マイナス情報を膨らませながら政権の負のイメージを拡大することで、中国は自らが敵視する民進党政権のダメージを狙っているのだ。

 認知戦は、すべての人の意見を変える必要はない。10%の人の認知を変えることができれば十分だとされる。

 100万人に拡散した情報が10万人に影響し、それが繰り返し波状的に広げられたとすれば、いつの間にか巨大な世論にも影響を及ぼしている。中国はそんな形で台湾に認知戦を仕掛け、敵視する民進党への不信が広がり、得票が伸びなくなることを期待しているというのが専門家の一致した見方だ。

 現在問題になっている前述のセクハラ隠蔽疑惑などについても、根拠や事実関係が不確かなさまざまな情報がいま台湾のネット上に急速に広がっているとされ、民進党のイメージ悪化に活用されることは間違いないだろう。昨年11月の統一地方選でも民進党の不調には一定の認知戦が効果を発揮したとの指摘もある。

 半年後の総統選挙に向けて、注目すべきは、その総統候補たちの行動や人気だけでなく、その世論に影響を与える中国による認知戦の実態からも目を離すべきではない。

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