ご本尊の真下に防空壕 南西諸島シェルターへの一提言  浅野 和生(平成国際大学副学長)

【世界日報「View point」:2024年9月10日】https://vpoint.jp/opnion/viewpoint/230370.html

縁あって、台湾・高雄市三民区の臨済宗の寺院、義永寺を大学の教職員と学生からなる台湾研修団で訪れた。

去る8月27日のことである。

義永寺といっても、日本のあらゆる観光ガイドには載らない、よくある地域のお寺の一つである。

その本殿はストゥーパ様式、三つのドーム型の塔を持つタイ風の外観で、極彩色の道教の廟(びょう)や仏教寺院が当たり前の台湾では異彩を放っている。

夜にはライトアップされ、密度の高い濃紺の南国の空に白亜の本堂が浮かび上がる姿は、園庭に佇立(ちょりつ)する高さ13.9メートルの白衣の観音像と共に、三民区のシンボルになっている。

1年に9回の重要法会(ほうえ)を主宰し、信徒6000人を抱え、納骨堂もある立派な仏教寺院である。

◆近隣住民のために設置

今年が創立70周年、1954年の創建当時は義永禅寺と称して、台湾南部によくある三合院の建物だった。

開證法師が開闢(かいびゃく)の祖であるが、高雄では有名人であった李菊女史がこれを引き継ぎ、開種尼法師として今日の基礎を築いたもので、タイ式の本殿が完成したのは72年のことである。

ちなみに、開種法師は、日本統治時代の高雄で勇名を馳(は)せた芸者であったが、後に資産家の妻となり、夫が早世すると女性実業家として活躍した。

縁あって出家前の実業家時代から義永寺の管理に携わったが、62年に出家して住職となった人である。

ご本尊は塑像としては台湾南部最大の仏像であり、この釈迦(しゃか)仏は全身を金箔(きんぱく)で覆われているため、一見して金色に輝く大仏である。

白亜の本殿の完成より早く、この仏像を含む1階部分は60年頃に完成した。

さて、この金色の釈迦仏の後ろに回ると、台座部分に扉があり、この扉を開くと防空壕(ごう)へと通じる階段につながる。

この扉に閂(かんぬき)は付いているが、南京錠などは付けられておらず、必要に応じて扉を開けるようになっており、我々も扉の中を見せてもらった。

今日の台湾には、全体で人口の300%を収容できる防空壕が整備されている。

今では5、6階建て以上のビルを建造する時に、地下にシェルターを設けることが法令で義務付けられている。

しかし、義永寺の釈迦仏が建立された当時にこうした法令はなかった。

他方、58年8月23日に開始された、中国本土から指呼の間にある台湾の離島、金門島の奪取を目指して中国軍が3日間40万発の砲弾を撃ち込んだ「八二三砲戦」の記憶が未(いま)だ生々しかった。

そればかりでなく、金門島への砲撃は、断続的に続いていた。

そこで中国軍からの攻撃があった時、信徒に限らず近隣の人びとの生命を救うため、後の開種法師は、本殿の建築に際してご本尊の真下に防空壕を設けることを決断した。

それだけではなく、釈迦仏と防空壕が完成すると、近所の人びとにそれを宣伝して、いざというときに遠慮せず仏像下の防空壕に避難するよう周知徹底に努めたという。

つまり、義永寺のご本尊下に防空壕が設置され、その扉が施錠されていないことは、人々の命の救済を願った開種法師の志の表れである。

これこそ台湾の自主国防意識の発露ではないか。

おそらく、他にも台湾各地にこうした施設があるだろう。

台湾と異なり、日本にはほとんど防空壕がない。

「台湾有事は日本の有事」というが、有事の備えがないのが日本の現実である。

ようやく、シェルター設置の必要性の議論が表立って聞かれるようになったが、政府の大事な役割の一つが国民の生存の確保だから、政府によるシェルター建設は急務である。

◆建設機運の高まり期待

しかし、何でも国に頼るのではなく、自分の身は自分で守るというのが、自由な民主主義国の国民のあるべき姿であろう。

そうだとすると日本各地、特に南西諸島で、住民に開かれた防空壕を自主的に建造する機運が高まってもよいのではないか。

全国各地の企業、資産家、篤志家から、南西諸島に「地域社会に開かれたシェルター」建設の申し出、呼び掛けの声が広がり、こだましてもよいのではないか。

政府がシェルター建設に本腰を入れるのは当然であるが、同時に、民間から自主防衛の機運が高まってもよいのではないか、と義永寺のご本尊を拝みながらふと考えたのである。

(あさの・かずお)


※この記事はメルマガ「日台共栄」のバックナンバーです。


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