今上陛下のご誕辰をお祝いする「天皇誕生日」を翌日に控えた2月22日、台湾の日本台湾交流協会台北事務所が「天皇陛下御誕生日祝賀レセプション」を開催しました。
先帝陛下のご退位によって日本の元号が平成から令和に変わり、令和2年(2020年)に「天皇誕生日」が先帝陛下の12月23日から今上陛下の2月23日となりました。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大により、残念なことに台湾における天皇誕生日レセプションは開かれませんでした。昨日の天皇誕生日レセプションは、令和の御代になって初めてのことです。
下記に紹介する中央通信社の記事は「レセプションには、台湾側から游錫●(ゆうしゃくこん)立法院長(国会議長)や沈栄津(しんえいしん)行政院副院長(副首相)、対日窓口機関、台湾日本関係協会の邱義仁(きゅうぎじん)会長らが出席」し、蔡英文総統からも祝辞が届いたと伝えています。(●=方方の下に土)
ちなみに、日本と台湾が1972年9月に断交して以降、初めて台湾で「天皇誕生日レセプション」が開かれたのは2003年(平成15年)12月12日のことです。当時の内田勝久(うちだ・かつひさ)日本台湾交流協会台北事務所代表の英断でした。
ナショナル・デー(国家の日)は、その国にとってもっとも記念すべき日と定めた日で、米国は独立記念日(7月4日)、英国は国王誕生日(6月第2土曜日)、ドイツはドイツ統一の日(10月3日)などと定めています。日本は天皇誕生日です。
ナショナル・デーにはその国の在外公館でも、当地の政府や経済界などの要人を招いたレセプションを開くそうです。2003年12月に台湾で「天皇誕生日レセプション」を初めて開催したとき、中国は「二つの中国を作り出す」「日中共同声明に反する」などと烈火のごとく怒り、外務省などに文句をつけてきました。
内田大使はその著『大丈夫か、日台関係─『台湾大使』の本音録』(2006年5月、産経新聞出版)でも天皇誕生日レセプションをはじめた事情について書かれています。また、帰国後に台湾についてお聞きしたとき「米国やイギリスもナショナル・デーを祝って台湾でレセプションを開いているのに、中国はどうして日本だけに文句を言ってくるのかよく分かりませんね」と、笑いながら話されていた姿を思い出します。
その後も台湾における「天皇誕生日レセプション」は続き、そのたびに中国からのクレームも続きましたが、形ばかりになっているそうです。
内田大使は、李登輝前総統の来日実現(2004年12月)、天皇誕生日レセプションの開催(2003年12月)、台湾人への叙勲(2004年4月)、愛知万博における台湾人観光客のノービザ実現(2005年3月)など、歴史に残る日台交流を推し進められました。
内田大使は惜しくも2007年7月29日、癌のため69歳で逝去されました。台湾から帰国して2年後のことでした。
天皇誕生日レセプションが3年ぶりに台湾で開かれたことを知り、改めて内田大使を偲び、さらなる日台の交流が深まることを祈りつつ、玄関前に国旗を掲げました。
—————————————————————————————–台湾で天皇誕生日祝賀会 約3年ぶり、令和初【中央通信社:2022年2月22日】https://japan.focustaiwan.tw/politics/202202220011
(台北中央社)23日の天皇誕生日を前に、台北市内のホテルで22日夜、祝賀レセプションが開かれた。主催した日本の対台湾窓口機関、日本台湾交流協会台北事務所の泉裕泰代表(大使に相当)は、同協会が今年、設立50周年の節目を迎えることを踏まえ、「次の半世紀も、日台はさらに輝く未来に向かって並んで歩き続けることができると信じています」と関係のさらなる進展に前向きな考えを示した。
台湾で天皇誕生日を祝うレセプションが開かれるのは、2018年12月に台北で平成最後の祝賀会が行われて以来、約3年2カ月ぶり。19年5月に令和になった後は、新型コロナウイルスの影響を受け2年連続で中止となっていた。
22日のレセプションには、台湾側から游錫?(ゆうしゃくこん)立法院長(国会議長)や沈栄津(しんえいしん)行政院副院長(副首相)、対日窓口機関、台湾日本関係協会の邱義仁(きゅうぎじん)会長らが出席した。邱氏は経済や安全保障を巡る問題での共闘、沈氏はパートナーシップの強化に期待を寄せた。
蔡英文(さいえいぶん)総統も祝辞を送った。コロナ下で互いに医療物資を贈り合った台湾と日本は、「世界最高の手本」だとしたほか、台湾の環太平洋経済連携協定(TPP)への加入に対する持続的な支持や、地域の安定維持に向けた協力を日本側に呼び掛けた。
日本台湾交流協会は、1972年9月の日本・中華民国(台湾)断交後、双方の実務関係を維持するため、外務省と通商産業省(現・経済産業省)の認可を受け、同年12月に「財団法人交流協会」として設立された。2012年に公益財団法人に移行し、17年には現在の名称に改められた。
(王慶剛/編集:羅友辰)
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