李登輝前総統から日本について学ぶこと[産経抄]

李登輝前総統から日本について学ぶこと[産経抄]
本日から「話の肖像画」に盧千恵・大使夫人が登場

 昨日で、産経新聞の長谷川周人・台北支局長による「私の奥の細道 李登輝」の連載
が終了した。昨日は、1面のコラム「産経抄」でも、李登輝前総統の「奥の細道」紀行
を取り上げていた。産経抄子は「前台湾総統から日本について学ぶことは多い」と一文
を締めくくっているが、同感である。ご紹介したい。

 なお、「産経抄」にはタイトルがない。上記のタイトルは編集部で付したタイトルで
ある。李登輝前総統に関する連載が終わったと思ったら、今日からは2面で連載してい
る「話の肖像画」に許世楷・台北駐日経済文化代表処代表夫人で児童文学者の盧千恵
(ロー・チェンフィ)さんが登場した。「セピア色に光るふたつの故郷」という、いか
にも千恵夫人好みのタイトルだ。

 日本に留学して以来の半生をつづった『私のなかのよき日本』(草思社)を題材に、
初来日以来の日本について、あるいは台湾についてのインタビューである。

 千恵夫人は、6月8日に開かれた李登輝前総統の答礼宴に許世楷大使とともに出席され
ていた。恐らく今回の李登輝前総統の旅にも触れることだろう。千恵夫人がどのように
この旅をご覧になっていたか、楽しみである。             (編集部)


【6月17日 産経新聞「産経抄」】

 台湾の李登輝前総統の奥の細道旅行は、ご本人にはいささか不満なものだったようだ。
距離は760キロをこえたが、ほとんどは新幹線や高速道路だった。「芭蕉の苦労がわか
らない」とぼやき、「次はぽつぽつと歩いてみたい」と語っていたという。

 ▼この時代にぽつぽつ歩くのは至難だろうが、その意欲はすごい。岩手県平泉町の中
尊寺を訪ねたときには「(奥州藤原氏が)なぜここに都を置いたか、今も解せない」と
首をかしげたそうだ。どうやら関心は芭蕉だけでなく、東北の「地政学」にもあったよ
うだ。

 ▼その李登輝さんの旅に合わせるように、坂上田村麻呂の墓が見つかったというニュ
ースがあった。見つかったというより、すでに発掘されていた京都の古墓がそうである
と、文献などで確認されたのだ。言うまでもなく、平安初期、東北の蝦夷(えみし)を
「平定」した武将である。

 ▼司馬遼太郎さんは「街道をゆく」シリーズ『陸奥のみち』で、当時の中央政権の蝦
夷観を解きほぐしている。同じ蝦夷でも農耕生活に入った者を「田夷」、従来の狩猟採
集を続ける者を「山夷」と区別した。そして「山夷」を凶悪として、討伐の対象とした
という。

 ▼坂上田村麻呂はそうした使命を帯び、数次の大遠征を行った。今の岩手県南部に胆
沢城を築いた。司馬さんによればここで「開拓農民をまもり律令国家の北限とした」の
だ。今から見れば理不尽にも思えるが、それが国づくりの歴史というものだった。

 ▼李登輝さんは親しかった司馬さんから、そうした東北の歴史について聞いたのかも
しれない。そして北の方から見た国のあり方に興味を持ったのだろう。それにしても「
22歳まで日本人だった」と言う前台湾総統から日本について学ぶことは多い。

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