本訪問の旅「学術・文化交流と『奥の細道』探訪の旅」を終えて帰台された。
6月12日から、李前総統の全行程に同行取材した産経新聞の長谷川周人・台北支局長が、
李氏が発信したメッセージは何だったかを探るべく「私の奥の細道 李登輝」と題する
レポートを同紙に連載し始めた。下記にご紹介したい。本日は第3回目である。
ちなみに、「私の奥の細道」というタイトルは、李前総統が今回の旅の目的について
「芭蕉の『奥の細道』を歩いて、日本文化とはなにかを、『私の奥の細道』と題して世
界に紹介したい」と発言されたことに由来している。 (編集部)
私の奥の細道 李登輝(3)見極める「本質」−台湾再生へ終わりなき旅
【6月14日 産経新聞】
「かす漬けがいい。これでお願いします」。角館(秋田県仙北市)にあるしょうゆの
醸造元で、土産物を物色していた台湾の李登輝前総統は、ポケットからサッと財布を取
り出すと、店主に千円札を差し出した。
日本語で著書を出版する知日派の李氏が、日本円を持っていても不思議ではない。と
はいえ紛れもなく国外の要人だ。あわてて立て替え払いを済ませた日本側関係者のひと
りは、「ご自分で日本円を持ち歩いていたなんて…」と驚きを隠せない。
総統経験者であり、農業経済学の専門家でもある李氏は、11日間にわたる今回の訪日
で、さまざまな側面をのぞかせた。
李氏一家を乗せた車列は、松島(宮城県)の海景色を離れ、「山寺」の名で知られる
内陸の立石寺(山形県)へと向かう。「閑さや岩にしみ入る蝉(せみ)の声」。芭蕉の
有名な句はこの地で詠んだものだが、東北屈指の仏教信仰の霊山に来ても、李氏は「私
は別の宗教を持っており、特に申し上げることはない」とそっけない。しかし、若葉が
芽吹く新緑に話を向けると、ぐっとひざを乗り出して言った。
「昨日は海、今日から山。正直にいってびっくりした。森の緑の瑞々しさ。山が大切
にされているなぁ。台湾も国として全体的な国土保全を真剣に考えなくちゃいけない。
台湾はあと50年かかるかなぁ」
中尊寺(岩手県)に着いても同様だった。ここ平泉の地に勢力を張った奥州藤原氏が、
源頼朝に滅ぼされたのは1189年のことだ。その約500年後に平泉を訪れた芭蕉は「夏草や
兵どもが 夢の跡」と歌った。だが、李氏の関心はもっぱら、京都から遠く離れた東
北に拠点を置いた奥州藤原家の「国家戦略」にあった。「なぜ、ここに“都”を置いた
か、今も解せない。昔から中国あたりでは地政学が重視されるんだが、地理的な問題に
加えて財源がなければ、(国家は)立っていけるものじゃない」
芭蕉の足跡をたどる李氏の移動距離は760キロを超えた。道中、「芭蕉の苦労が分か
らない」と繰り返した。新幹線や高速道路を使った今回は「楽な旅」だったからで、
「芭蕉のように、ぽつぽつと歩いてみたい」と再訪に意欲を示した。
そして李氏は訴える。「将来を見据え本質を見極める努力が大切だ」。台湾内政に目
を向ければ、目立つのは近視眼的で自分本位な論争ばかり。李氏が今後、「奥の細道」
から台湾再生への「最後の設計図」を描くとすれば、「私の旅は終わりません」ときっ
ぱり語った言葉の意味は重い。(長谷川周人)
写真:中尊寺(岩手県平泉町)の芭蕉の句碑の前で、芭蕉への思いを語る李登輝前総統