本訪問の旅「学術・文化交流と『奥の細道』探訪の旅」を終えて帰台された。
桃園国際空港に着いた李前総統は、同行者でも立っているのが辛いほどの疲れが溜ま
っているにもかかわらず、立ちっぱなしで訪日報告をされた。記者の質問も長く、1時間
をまわってやっと終了した。しかし、声の迫力は衰えることはなかった。
6月12日から、李前総統の全行程に同行取材した産経新聞の長谷川周人・台北支局長が、
李氏が発信したメッセージは何だったかを探るべく「私の奥の細道 李登輝」と題する
レポートを同紙に連載し始めた。下記にご紹介したい。本日は第2回目である。
ちなみに、「私の奥の細道」というタイトルは、李前総統が今回の旅の目的について
「芭蕉の『奥の細道』を歩いて、日本文化とはなにかを、『私の奥の細道』と題して世
界に紹介したい」と発言されたことに由来している。
(メールマガジン「日台共栄」編集長 柚原正敬)
私の奥の細道 李登輝(2)松島の海景色−「やっぱり西湖より美しい」
【6月13日 産経新聞】
松尾芭蕉の足跡をたどり、6月2日から東北入りした台湾の李登輝前総統は瑞巌寺(宮
城県松島町)を訪れた後、日本三景として知られる松島の海景色を一望して、感慨深げ
にぽつり漏らした。
「やっぱり西湖より美しいなぁ」
西湖とは中国浙江省杭州市にある景勝の地で、三百数十年前に、磯伝いに船で松島に
たどり着いた芭蕉もやはり、西湖と松島を比較している。
「抑(そもそも)ことにふりたれど、松島は扶桑第一の好風にして、凡(およそ)洞
庭、西湖を恥ず」
湾内に点在する200を超す島々の美しさに心奪われた芭蕉は、句を詠むことすら忘れた
ともいわれ、「洞庭湖や西湖にもひけをとらない」と最大級の賛辞を贈る。それを意識
してか李氏も「西湖より美しい」とやったが、2人とも杭州を訪れた記録は見当たらな
い。
政治対立する台湾と中国のはざまに立った李氏が、見たこともない西湖を引き合いに
日本を持ち上げたと解するのは、うがち過ぎた見方かもしれない。そんな雰囲気を打ち
消すかのように、曾文惠夫人は「松島や ロマンささやく 夏の海」とさわやかに詠
(うた)った。李氏も続けて「私のは下手くそなんだ」と照れながらも、「松島や 光
と影の 眩しかり」と松島の美景を詠む。
ほほえましいシーンもあった。控えめな性格の曾文惠夫人は、俳句を詠むときも、「恥
ずかしい…」と、何とも声がか細い。そこで李氏が「聞こえないよ。もっと大きな声で」
と背中を押すが、どうもらちが明かない。苦笑する李氏はついに立ち上がり、「もう。
僕が詠むよ」と会見場に響き渡るような大きな声で「松島や〜」と始めた。
読み終わるや、台湾から同行した若い女性リポーターが「ゾントン(総統)、シェマ
・イース(意味は)?」と、李氏本人に遠慮なく通訳を迫る。「礼節と調和を重んじ、
公に奉ずる日本人の生活文化」を賛美する李氏も、この無作法に笑顔を崩さず、日本語
から台湾語に切り替えて、懇切丁寧に解説を加えた。
李氏一族が初日の旅程を終えて、別れ際、台湾メディアから「総統、バイバーイ!」
の一言が飛んだ。台湾では、こんななれなれしさも珍しくない。ただ、「22歳まで日本
国籍」だった李氏は、ふっと悲しげな表情を浮かべたように見えた。(長谷川周人)