日本統治時代の防空壕、観光資源に 台湾で計画浮上

日本統治時代の防空壕、観光資源に 台湾で計画浮上
昨日の本誌で、昨年11月に高雄市と友好交流都市協定を結んだ八王子市を高雄市の陳
菊市長が訪れ、SOGO八王子店で「台湾写真展2007」が催されたことを伝える古市利
雄氏(台湾研究フォーラム事務局長)のレポートを掲載しました。

 日台の姉妹都市提携は14自治体ありますが、今年3月6日、鳥取県東伯郡三朝町(とう
はくぐん みささちょう)と台中県石岡郷が交流促進都市協定を結び、先般6月28日には
沖縄県宮古島市と台湾の基隆市が姉妹都市を結んでいます。

 この基隆市で、日本統治時代につくられた防空壕を整備し、観光資源にしようという
計画が浮上していることを産経新聞が伝えていますのでご紹介します。

 記事にもありますように、やはり「単に観光資源ではなく、日本による近代化を含め、
歴史を客観視する戦争博物館として残したい」ものです。

 なお、本会ホームページ「活動」欄に「姉妹都市交流」のコーナーを設け「台湾と姉
妹提携する日本の自治体」を掲載していますのでご参照下さい。      (編集部)

■日本李登輝友の会ホームページ
 http://www.ritouki.jp/


日本統治時代の防空壕、観光資源に 台湾で計画浮上
【8月5日 産経新聞Web版】

 【基隆=長谷川周人】台湾北部の港湾都市、基隆で、日本統治下でつくられた防空壕
(ごう)を再整備し、観光資源にしようという計画が浮上している。第二次世界大戦末
期には港が廃虚と化すほどの米軍の猛攻を受けたが、歴史を冷静に見る博物館にとの声
もある。

 基隆で日本が掘った防空壕の多くは、戦後、中国大陸から台湾に逃れた国民党軍が破
壊・封鎖して放置されたが、市警察当局によると、現存するのは台湾最多の300カ所あ
まりで、このうち89カ所が利用可能という。

 真っ暗な壕内は幅1メートルほどで、日本時代に「すずらん通り」と呼ばれた「義一
路(旧・義重町)」沿いの防空壕は、全長400メートル弱と市内最長という。現在は資材
置き場や、食堂の調理場などとして流用されているが、他の防空壕では戦前の資料写真
が展示されるなどして、一般開放されたところもある。

 観光開発による地域経済の活性を提唱する張通栄基隆市長(国民党)は先月、防空壕
を小中学生の校外学習に利用するほか、観光地として再整備する方向で検討するよう指
示した。

 日本統治時代をどう歴史評価するかといった課題もあるが、防空壕の保存を後押しす
る地元市民団体の何永寿氏は「国民党政権下で封印された台湾史の空白を埋めるため、
単に観光資源ではなく、日本による近代化を含め、歴史を客観視する戦争博物館として
残したい」と話している。

 基隆は、日本の台湾統治が始まった1895年以降に港湾施設の近代化が始まり、第二次
世界大戦中は日本海軍が艦艇を配備する軍事拠点ともなった。


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