「講和条約」70年前と重なる脅威  渡辺 浩生(産経新聞ワシントン支局長)

「講和条約」70年前と重なる脅威  渡辺 浩生(産経新聞ワシントン支局長)

 今年は「サンフランシスコ講和条約」が1952年4月28日に発効してから70年を迎える。日本はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領により主権が極端に制限された桎梏から解放され、主権を回復した。

 また、今年は日本が中華人民共和国(中国)と1972年9月29日に「日中共同声明」に調印して国交を正常化してから50年にも当たる。それと同時に、台湾の中華民国と断交し、日本は台湾との関係を「非政府間の実務関係」と定め、交流協会(現在の日本台湾交流協会)と亜東関係協会(現在の台湾日本関係協会)が交流を始めてから50年という節目の年でもある。

 日本はサンフランシスコ講和条約発効直前の1952年4月28日に中華民国と日華平和条約を締結して国交を回復し、サンフランシスコ講和条約で「台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄」(第2条)した。

 しかし、日華平和条約は日中共同声明への調印と同時に終了したものとみなされ、台湾の中華民国と外交関係を断つ。

 サンフランシスコ講和条約、日中共同声明、台湾の中華民国との断交という、日本にとって分水嶺とでもいうべき重要な歴史からそれぞれ70年、50年という節目の年が今年だ。

 産経新聞の渡辺浩生(わたなべ・ひろお)ワシントン支局長がサンフランシスコ講和条約から70年を概括しつつ、GHQ占領中には占領軍とのパイプ役をつとめ、戦後は豪州大使などをつとめた外交官の鈴木九萬(すずき・ただかつ)氏がサンフランシスコ講和条約発効の約3か月前に米軍関係者の前でおこなった講演で、今後の日本にとっての問題は「駐留米軍にどのような協力をするか」「いつまでも長く頼らぬよう、独自の自衛手段をいつ、どのように設けるのか」の2点だと提起したことを紹介している。

 また、現今の台湾有事に言及し「ワシントンで論じられる台湾有事対応で日本の支援は大前提だ。今後、より具体的な役割が日本に求められるのは必至である」が、果たして日本は米国の期待に応えられるのか、「喫緊の課題への自律的な関与を迫られたとき」対応できるのかと問い、「当時の日本を取り巻く世界情勢は、今年4月に70年を迎えようとしている今と重なり合う。主権回復とともに抱えた課題の本質も変わっていない」と説いている。

 国軍を有しない日本が抱えるジレンマは70年前と変わっていないことを鋭く衝くレポートだ。

—————————————————————————————–「講和条約」70年前と重なる脅威 主権回復へ、ある外交官の警告ワシントン支局長・渡辺浩生 産経新聞【産経新聞:2022年1月15日】https://www.sankei.com/article/20220115-66HXEX6OUFI4ZAW6IVJNWUGFR4/?131044

 サンフランシスコ講和条約が発効したのは1952(昭和27)年4月28日。日本では終戦から約6年8カ月の占領期が終わり、同時に発効した日米安全保障条約で日米同盟も産声を上げた。朝鮮半島や台湾海峡の緊張、中ソ(露)の軍事同盟化…当時の日本を取り巻く世界情勢は、今年4月に70年を迎えようとしている今と重なり合う。主権回復とともに抱えた課題の本質も変わっていない。

                        ◇

 52年1月17日、横浜市の米軍関係者向けクラブ「コロニアルクラブ」で開かれた米友愛団体の昼食会で、ある日本の外交官がスピーチをした。

「戦争終結から6年を経てようやく日の目をみる講和条約は歴史上前例のないものです。講和が大きく遅れ、また寛大さを示した条約となった原因のひとつには、終戦時には予測できなかった厳しい国際情勢が挙げられましょう」

 戦前エジプト公使などを務めた鈴木九萬(ただかつ)横浜連絡調整事務局長である。終戦直後の45年8月末に横浜に着任して以来、占領軍主力の米陸軍第8軍司令部とのパイプ役を務めてきた。

 筆者の手元に英文の草稿がある。当日の鈴木氏の日記にも、約50人に向けた講演は「成功だった」と記されており、ほぼ草稿に沿って話したのだろう。

 占領期の終わりを前にした感慨がにじむ演説はしかし、日本が直面する課題を冷静に見抜いていた。

 前年9月、サンフランシスコで講和条約と同時に署名された安保条約を「無軍備の限り、日本の安全保障を米国に委ねたものだ」とし、「駐留米軍にどのような協力をするか」「いつまでも長く頼らぬよう、独自の自衛手段をいつ、どのように設けるのか」の2点が問題だと提起した。

 「戦争放棄」を定めた憲法9条にも触れ、制定された際には日本も連合国も「長期化する冷戦を予測できなかった」と指摘。

 50年6月に勃発した朝鮮戦争が「日本の前庭で18カ月も続く現実にもかかわらず世界の現状に目をつぶり、憲法の理想に固執する少数の日本人がいることを否定できない。日本の軍国主義復活を恐れる国もある。これが政府が対応に慎重となる日本の安全保障の問題の背景だ」と述べた。

◆日米安保ジレンマ

 鈴木氏の上司、吉田茂首相兼外相は51年1月から、対日講和担当のダレス米国務長官顧問との交渉を主導した。朝鮮半島では米軍と北朝鮮軍・中国義勇軍が激戦を続ける中、「自由主義世界の防衛に貢献してほしい」というダレス氏の再軍備要求を経済的困難と国民感情、憲法を盾に拒んだ。

 最終的に保安隊発足で譲歩したが、経済復興を最優先し日本の安全は米軍に基地を提供することで当面確保するという吉田の路線は貫かれたといえる。

 その結果抱え込んだ日本のジレンマを一外交官が米国人の前で指摘するのは勇気がいったのではないか。52年4月の講和条約発効で国交を回復した国々に同僚らが赴く中、鈴木氏は一旦外務省を去った。駐豪大使として復帰したのは、吉田政権から鳩山一郎政権に代わった後の55年だった。

◆「アチソンライン」

 講和条約が発効した52年4月28日。東京は快晴で、街頭では人々が日章旗や紙製のこいのぼりを振って祝福した。そう鈴木氏の日記にある。

 だが、米国に依存しながら復帰した国際社会は、自由主義と共産主義の両陣営の対立が続いていた。

 翌53年、朝鮮戦争は休戦協定が結ばれた。以後も国際法上は戦争状態にある。北朝鮮軍南下の呼び水となったとされるのが「アチソンライン」の設定だった。

 50年1月、トルーマン米政権のアチソン国務長官が演説でアリューシャン列島から日本、沖縄、フィリピンに延びるとした米国の防衛ラインに、韓国と台湾を含めなかった一件だ。

 国際政治学者の神谷不二氏は自著『朝鮮戦争 米中対決の原形』の中で、「アメリカの台湾および韓国放棄の姿勢を共産側に強く印象づけた」と指摘する。議会では共和党が厳しく政権を批判したという。

 翌2月にはソ連と中国の同盟が成立した。「ソ連の軍事援助により、中国共産党が台湾侵攻の能力を早期に獲得するおそれも出てきた」(高橋慶吉著『米国と戦後東アジア秩序』)

 朝鮮戦争勃発直後に韓国防衛のため軍事介入した米国が同時に第7艦隊を台湾海峡に派遣したのは、中国軍の台湾侵攻を阻止するためであった。米国は54年に台湾と米華相互防衛条約を締結。台湾は日本と同様の「反共の防波堤」とされ、米国との同盟関係が79年の断交まで続いた。

 21世紀の「アチソンライン」とも呼べる出来事が昨年8月に起きた。

 バイデン大統領は翌9月の米中枢同時テロ20年までにアフガニスタンから米軍を完全撤収させるという方針を押し通した。カブール国際空港でアフガン人を振り払って離陸する米輸送機の映像は、民主主義の守護者としての地位まで地に落としたといわれる。

◆ウクライナと台湾

 昨秋以降、中国は大量の戦闘機を台湾周辺に進入させている。ロシアはウクライナ国境に大規模部隊を展開し侵攻の機会をうかがう。民主主義諸国は今、冷戦終結後で最大の危機にひんしている。

 昨年12月の米上院外交委員会で共和党のクルーズ議員が政権高官にかみついた。「アフガンの惨事をみたロシアや中国、北朝鮮は、米大統領が弱すぎて脅威ではないと結論づけ、一段と好戦的になった」

 しかも、中露は共同訓練や日本近海での艦艇行動など連携を強化している。セス・クロプシー元海軍副次官は米紙ウォールストリート・ジャーナルへの寄稿で、世界秩序に挑戦する中露の連携により、ウクライナと台湾の情勢が「結び付いてユーラシア大陸をめぐる大きな政治競争の一部になっている」と警告した。

◆今も変わらぬ条件

 専制国家や独裁者に対する宥和(ゆうわ)策や戦略的判断ミスが、その後の紛争と軍事介入の拡大を招く。そうした国際政治のパターンが繰り返されている。

 一方で1952年になかったものが今日の強固な日米同盟であるのも事実だ。

 米ジョンズ・ホプキンズ大ライシャワー東アジア研究所のケント・カルダー所長は、安倍晋三政権時代に集団的自衛権の限定行使を容認した安全保障関連法成立を例に、「70年間で非対称的だった日米同盟がより対称的となり、日本の安全保障の役割はより中身のあるものとなった」と評価する。

 カルダー氏は、中国の軍事力増強や北朝鮮の核ミサイル開発など今日の同盟が直面する「深刻な脅威」について、特に台湾有事で米国の日本への期待と日本の現実の関与の間に、「重大な格差が生じる可能性はある」とも指摘している。

 昨年12月、安倍元首相が「台湾有事は日本の有事だ。すなわち日米同盟の有事でもある」と発言したことに、中国が猛反発し、国内でも波紋が広がった。ワシントンで論じられる台湾有事対応で日本の支援は大前提だ。今後、より具体的な役割が日本に求められるのは必至である。

 だが、喫緊の課題への自律的な関与を迫られたとき、日本政府は国内世論と隣国の反応に「慎重」となる習癖から抜け出せていない。元凶はやはり今年5月に施行後75年となる憲法にあるのだろう。

 再び70年前。鈴木九萬氏は、講和後の日本の決意として「民主主義の共通の利害に対する貢献」を挙げ、「その任務に成功することができたら、日本が戦った戦争にはいくばくかの意義があるのでしょう」と締めくくっていた。

 厳酷な国際政治の中で民主主義を守るために必要なもの。「主権回復」の条件は今も変わっていない。 

 =次回は29日掲載予定

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