――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港210)

【知道中国 2328回】                       二二・二・仲一

――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港210)

慎ましく、隅々にまで質素倹約の工夫が行き届きながら、それでいて結構楽しげな日々を送る曽妹を傍から眺めていると、林語堂の「中国人はたっぷりある暇とその暇を潰す楽しみを持っている」「十分な余暇さえあれば、中国人は何でも試みる」(『中国=文化と思想』講談社学術文庫 1999年)との考えに納得せざるを得ない。かくて“林語堂基準”に照らすなら、どうやら彼女は典型的な中国人でもあったような。

ならば沙田の景園への引っ越しは窮余の一策ではあったものの想定外の大正解であり、中国人理解に大いに役立ったことになる・・・わけだが、そう大上段に構えなくても、彼女が興味深い観察対象であったことは確かだろう。

ある日曜日、昼飯を作ったので食べないかと誘われた。蒸し魚に醤油を掛けようとすると、止めろとの叱責。次いで魚の食べ方、と言うより醤油の使い方を、「小皿に少し垂らした醤油を箸の先に付け、それを崩した魚に付けて食べる。そうすれば醤油がムダにならない。お前のような使い方を醤油のムダ使いと言うんだ」と教えられた。「ハイハイ、今後はそうします」、である。

庭の隅で茉莉花(ジャスミンの花)が咲くと、それを摘み取れと言う。お茶にでもするのかと思ったら、それを30cm四方ほどの2枚の布袋にザックリと詰める。「これを枕の脇に置けば、気持ちよく眠れる」と、袋の1つを渡してくれた。その袋から漂う爽やかな香りで、それからしばらくは心地よく眠れた。今風に言うところのアロマ効果だろう。

昔は上海で働いていたことがあると言っているだけに、曽妹はなかなかのお洒落だった。ある日、ノリの効いた赤いエプロンなどをして、なにやらいつもとは数段も華やいだ雰囲気だった。部屋の様子もどことなく明るい。ハテサテ、これから何が起こるのやら。

その日から、何処の誰だか知らないが小柄で、曽妹よりは5、6歳は年上で、力仕事で汗臭い人生を送ってきたとは思えないジイサンが住み始めた。朝は2人でイソイソと買い物に。昼は仲良く食卓を・・・甲斐甲斐しく動く合間にこっちの顔を見ては、なにやらテレ気味である。これも「たっぷりある暇とその暇を潰す楽しみ」の1つだったろうか。

ある朝、顔を洗おうと部屋を出ると、居間をプクプクと太った子犬がヨチヨチと歩いている。さて、昨日までは居なかったはずだが。子犬を眺めてニコニコしている曽妹が「さっき沙田の墟市の朝市で買ってきた。今日から飼うんだ」と、口を開いた。

それからと言うもの、彼女は残した食べ物をセッセと与える。子犬は彼女から離れない。じつに楽しげに日を送っていた。子犬から成犬へと成長する頃になると、軒先に繋がれ番犬として生きることになる。ともかくも大声で吠えるから、リッパに役に立った。

そぞろ秋風が吹き、九龍の街の薄暗い路地の入り口に「香肉上市(いぬにくあります)」などと記した手書きの看板がソッと貼り出される頃になると、麻袋を手にしたオッサンがやって来る。犬買いである。面白そうなので、取引現場に立ち会わせてもらった。

腕組みしている曽妹の前で犬を麻袋に押し込み、持参の秤で目方を量る。犬買いからカネを受け取った彼女は、こちらの顔を見ながら「クソッ、コイツはメシを食べた割には太らなかった。大損だ」と不満げだった。翌朝起きると、居間を走り回っている子犬を目で追いながら、彼女は「今度のヤツは、太るはずだ」とニンマリ。

愛玩用の子犬から番犬へ。番犬から食用へ。林語堂の指摘に沿うなら、彼女は子犬から番犬にまで大きくすることで「たっぷりある暇とその暇を潰す楽しみを持っ」た。「十分な余暇」を使って犬を育て、その後で犬買いに売り飛ばす。「何でも試み」たのだ。まさに“林語堂基準”にピッタリの中国人だったと思うのだが。

ここで考えた。曽妹だけが犬を相手に「何でも試み」ていたワケでもなかろうに。《QED》


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