――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港194)

【知道中国 2312回】                       二二・一・初二

――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港194)

「?説?公道、我説我公道、公道不公道、自由有天知道(あんたは自分に道理ありと言い、ワシはワシに道理ありと説く。さてどっちが正しいか。お天道サマが知るのみだ)」とは、下っ端役人として人生の酸いも甘いも嘗め尽くした崇公道の自嘲の弁なのか。はたまた人生は不条理であり弱い立場に立たされたからにはジタバタしても始まらない、と蘇三を教え諭そうとしたのか。それにしても崇公道――公道(道理)を崇める――とは、役の名前とは言うものの、些か出来過ぎ。いやイミシンの感なきにしもあらず、ではある。

ここで些末なことだが、手持ちの「小放牛」の脚本を何冊か読み返してみると、「自有天知道」と記す方が多い。たしかに文法的にも修辞方法から言っても「有」の方がスッキリする。「由」も「有」も音は同じ「you」であることから、最初に聞いたときにそう思い込んだのだろう。半世紀ぶりの間違い発見であった。以上、蛇足の類に違いありませんが。

本題に戻って、ここで考える。

「小放牛」の牧童が語る「只為口和身、口・・・和身」に崇公道の「自有天知道」を重ね合わせると、なにやら魯迅の描いた『阿Q正伝』の主人公である阿Qの「精神的勝利法」が頭の中を過る。

『岩波現代中国事典』(岩波書店 1999年)では『阿Q正伝』を「辛亥革命前後の農村を舞台として、素性の定かではない阿Qを主人公とする。プライドだけは高いが、実力の伴わない阿Qが人々から辱めを受けた際、精神的には自分が相手よりも優位に立っているという自己欺瞞によって、自らを慰めるのであるが、その“精神的勝利法”こそが、中国人の悪しき国民性であり、そこからの脱却なしに中国の再生はあり得ないと考える魯迅の思いを形象化した作品であり、革命を経ても実際には変化のかのない現実への風刺も盛り込まれている」と解説している。

古来、この「精神的勝利法」を民族のDNAとして秘めているゆえに、断固として負けを認めない。客観情勢はどうあれ、なにがなんでも敗北・虚偽・錯誤を認めない。常に正義で負け知らず。この阿Qこそ中国の全ての「無告の民」であり、だから魯迅は「そこからの脱却なしに中国の再生はあり得ないと考え」たはず。にもかかわらず阿Qは生き続ける。

負けたところで、とどのつまりヒトなんて「只為口和身、口・・・和身」じゃないか。「公道不公道」は「天」のみが知ることであり、人間サマの考え及ぶものじゃあないんだから足掻いたって始まりませんヨ、である。かの日本人が勘違いさせられた「没法子」である。

だが、再び考えて見ると「天」とは言うものの、古来、その在処を突き止めたこともなければ、その姿形を見たわけでもない。ならば「天=我」という図式を描いたとしても強ち突飛なことでもないはずだ。かりに習近平が自らを「天」だと固く信じ込んでいたら、いや現実的に「習近平=天」という政治的、法律的、あるいは社会的装置が作動しているわけだから、国内であれ、ウイグルであれ、モンゴルであれ、香港であれ、台湾海峡であれ、尖閣であれ、南シナ海であれ・・・思うが儘に強権を発動し、強圧的に振る舞ったとしても、それは「天」の“聖なる意思”を行っているに過ぎないことになる。だが、それこそ身勝手極まりない夜郎自大式のヘリクツに過ぎないはずだが。

ここで[捉放曹」に戻る。

「我=天」を声高に叫ぶ演目もないわけではない。「捉放曹」だが、これも第六劇場では飽きるほど見せてもらったから、否が応でもキーワードになる台詞が頭の中に刻まれた。

董卓殺しに失敗し逃亡の身を庇ってくれた友人の呂伯奢宅で、自らの思い違いから無辜の家人を無差別に斬り殺してしまう。これはまずいと逃げ出したが、折悪しく路上で曹操を歓待しようと酒を買って帰路を急ぐ呂伯奢に出くわす。曹操、さてどうする?《QED》


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