――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港206)
その瞬間が曽妹との初の顔合わせであり、それから3年ほど続くことになる沙田での、いま振り返って見ても長閑で珍妙としか言いようのない日々の始まりであった。
初めての沙田での夜である。昨日までのネオン耀く九龍市街とは違い、文字通り漆黒の夜空にキラキラと星が瞬いている。電気を消すと、そんな夜空と同じように部屋の中も真っ暗になった。九龍では味わうことの出来なかった暗く静かな夜にシンミリしたのも束の間、暗闇のアチコチからガサ、ガサ、ガサと異な音がする。はて何事か。
耳をすますと、我が部屋のみならず家全体がガサ、ガサ、ガサ。そのうちにチュー、チュー、チュー・・・まさしくネズミである。その気配から察して、どうやら1匹や2匹ではないらしい。そう分かると薄気味が悪くなってきて、身体を覆っていた毛布を慌てて頭の先まで引き上げ、身体全体をスッポリと包み込んだ。ネズミの襲来に備えるためだ。
ガサ、ガサ、ガサは続く。ネズミが毛布の中に入ってくるかもしれない。とにかく気になって仕方がない。仕方がないと諦め気味になったが、やはり眠れるわけがない。「日本仔歓迎」の儀式にしては些か手荒すぎないか。それにしても迷惑千万な歓迎振りだ。
とはいえ、なんとか眠ろうと努める。やがて・・・ウト、ウト、ウト。するとどうだ。こんどは窓もベッドも震わせるかのようにガタゴト、ガタゴト、ピーーーッ。けたたましい音を立てて列車が疾駆する。九広鉄路の貨物列車である。ネズミに負けず劣らずの凄まじいばかりの歓迎振りだ。じつは庭の外れの10メートルほどを線路が走っているわけだから、大袈裟ではなく枕木の隣で寝ているような心地である。タマッタものではない。
ガサ、ガサ、ガサ。チュー、チュー、チュー・・・ウト、ウト、ウト・・・。ガタゴト、ガタゴト、ピーーーッ。
沙田での、そんなけたたましい一夜が明けた。
睡眠不足の眼をこすりながら洗面所へ。すると、どうしたことか昨日置いておいた新品の石鹸が鋭く削り取られている。ネズミの仕業である。ネズミに食べられたのである。
そこで早速、イチバン強力なネズミ捕りを送ってくれるように、父親に手紙を書いた。
待つこと半月ほど。待望のネズミ捕りが届いた。するとどうだ。効果はバツグンである。ガサ、ガサ、ガサが次の日にはガサ、ガサに減り、数日でチューとも言わなくなった。
ネズミ退治に取りかかって数日が過ぎた頃、曽妹が怪訝そうに「おい、日本仔、こっちに来て見ろ!」と。彼女の部屋を覗くと、ネズミの死体がゴロゴロしている。「昨日も今日も、この有様だ。いったい、なにを、どうしたんだ」。そこで拙い広東語で事情を説明すると、「そんなに効く薬なら使わせろ」である。
これが彼女に日本製品を取り上げられた最初だった。
住み始めてから2か月ほど経った頃のことだ。「おい、日本仔、大きな爪切りはないか」と“ご所望”である。たしか日本から持ってきた大型があったはず。そこでアチコチ探していると、曽妹は机の引き出しを指差して、「ここにあるじゃないか」。確かに爪切りはそこにあった。部屋の入り口の大型南京錠を掛けていたはずだから、彼女が入れるわけはないのだが。どうやら彼女は合鍵を持っていて、私の不在時に部屋に入って日本仔の所持品を点検していたらしい。油断も隙もあったものではないが、ここでカーッとしたら負け。
かくして、その時から部屋の入り口だけではなく、机もタンスもカギを掛けないことにして、ノーガード。「使いたいモノがあったら自由にどうぞ!」であった。
些細なことに目くじら立てて小にしては曽妹との、大にしては日本と香港との“友好関係”に波風立てるのは、やはり得策ではない。爪切りやハサミなど持参した日本製日用雑貨は、いつしか曽妹の管理下に置かれるようになっていた。損して得取れ!《QED》