――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港207)
ネズミの話に戻るが、数日が過ぎるとネズミの鳴き声は絶えた。だが、相変わらず列車は窓枠を震わせる。だが、慣れれば疾走する列車の轟音もリッパな“睡眠導入装置”だ。
半月ほどが過ぎたある夜のこと。夢か現か。足先に不思議な違和感がある。足の辺りを覆う毛布の上をゴソ、ゴソ、モゴ、モゴと何かが動く。さてネズミはとうに退治したはずだが、ネズミでなかったら、はて、何だろう。相変わらずゴソ、ゴソ、モゴ、モゴと動きを止めない。
そこで、やおら毛布を蹴り上げた。するとどうだ。次の瞬間、ソイツは私の身体を包む毛布の上を、足の方から腹部を経て胸を目掛けて駆け上がって来たではないか。
そこまでは我慢するが、これからは断固として許せない。胸を過ぎるや勢いよく顔に飛び乗ってきた。前足が眉を引っ掻き、後足の爪が唇を蹴り、尻尾が鼻の穴を打つ。顔面上を2回ほど素早く走り回るや、頭の方からヒョイと床に飛び降り、漆黒の闇に消え去った。
ネズミに駆け回られた顔を撫でながら、ヒョッとして日本製高性能ネズミ捕りに殺された仲間の仇討ちではなかったか、と考えてみた。だとするなら、香港ではネズミまでもが反日の“激情”に怒りを滾らせているようだ。油断禁物である。次回の襲撃を覚悟し備えておくべきか。
だが、それは杞憂だった。この時を境にして幸いにもネズミは2度と現れることはなくなり、ガサガサもチューチューもない静かな夜になった。もっとも、列車の騒音が止むことはなかったが。
「反日ネズミ」に襲撃された翌日、買い物に手伝えという曽妹に連れられて沙田駅前に広がる墟市(マーケット)に向かった。歩きながら曽妹に昨夜の一件を話すと、彼女は腹を抱えて笑っていた。その笑い顔は「景園(ウチ)のネズミは、日本仔(アンタ)より好犀利(リコウ)」とでも言いたげに見えた。
墟市からの帰り道、引っ越しの挨拶代わりにと飲茶に誘った。「いいよ、いいよ」などと遠慮していたが、強引に招待したのである。すると数日が過ぎた日曜日、豚の脳ミソのスープを作って食べさせてくれた。飲茶のお礼だそうだ。
台所で料理を始めた。薄いピンクの脳ミソの表面には毛細血管が走っているが、「これを丁寧に取らないとマズイ」と言いながら、マッチ棒に綿を巻いた自家製綿棒で丁寧に取り除く。綿棒に毛細血管の先端を巻き付けてクルクルと回すと、面白いように綺麗に取れる。「やってみるかい」。なんでも経験である。手伝うことにした。
毛細血管が綺麗に取り除かれると、次は沙鍋(どなべ)に張った水の中に浮かべ、色々な調味料を加えながら、トロ火でジックリと煮込んだ。初めて口にする豚のノーミソのスープは淡い醤油味であり、ユックリと火の通った豚の脳ミソはまるで白子のような食感であり、口の中でトローッと溶けた。
料理好きの曽妹の得意料理の1つに正式な料理名は聞き忘れたが、豚の頭蓋骨の内側の皮の甘露煮があった。シワシワで固い皮に粗塩をタップリ振りかけ、力を入れてゴシゴシと揉む。塩分を水で流して鼻先に。「まだ臭いな」と同じ作業を繰り返す。物見高いは何とやらで、この料理も手伝ったが、豚の頭蓋骨の内側の皮がこんなにも固く臭いものと初めて知ったことになる。
揉んでは洗い、また塩を掛けて揉む。繰り返すこと数回。曽妹の鼻先に持って行くと「ウン、まあいいか」。これを沙鍋に入れ、醤油に砂糖、それに何種類かの香辛料を加え、トロ火でジックリと煮込む。テカテカと黒光りするソレは、箸で挟んで切れるほどに柔らかく、口に入れた途端に溶けだすほどだった。白飯が進む。空前絶後級の絶品だった。《QED》