――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港176)

【知道中国 2294回】                      二一・十一・初七

――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港176)

百花亭での酒宴を命ぜられた楊貴妃が準備万端整えたものの、肝心の玄宗皇帝は一向に姿を現さない。それもそのはず。玄宗皇帝は別の妃の待つ西宮へ向かいシッポリと。落胆の楊貴妃は、側仕えの高と裴の2人の力士(宦官)や侍女たちを相手に憂さ晴らしの酒盛り。杯を重ね、百花亭の庭に咲き乱れる花々を愛で、また杯を重ね。嫉妬と寂寞の思いをほろ酔い加減に紛らわせ、両力士と戯れた挙句に侍女に支えられながら寂しく寝所に戻る――これが「貴妃酔酒」の粗筋。じつに他愛のないものではある。

だが、空前絶後の旦(おやま)と称えられる梅蘭芳が練り上げた珠玉の演目である。絵空事の世界とは言うものの、優雅な唱と踊りが舞台の上に煌びやかな世界を描き出す。日本では守田勘弥、欧米ではチャップリンやバーナード・ショー、さらにはソ連の演劇人など、世界の名だたる役者や演劇人を魅了した梅蘭芳の代名詞と言える演目だ。

梅蘭芳が演じた代表的演目を集める『梅蘭芳演出劇本選』(『梅蘭芳全集(第二巻)』河北教育出版社)には、「これは百年以上も受け継がれている演目である。舞踊の要素が極めて強いが、色情を暗示する演出が含まれている。梅蘭芳先生は長年を掛けて改編と整理を重ね、不健康な部分を取り除き、比較的整った古典歌舞劇に仕上げた。同時に封建時代の婦女子の宮廷における苦悶の心情も表現した」と記されている。

ここで興味深いのが梅蘭芳によって削除された「不健康な部分」である。やや穿った見方をするなら、この「不健康な部分」に梅蘭芳のみならず、彼を広告塔として国の内外に送り出す共産党にとっても“不都合な真実”が隠れていたに違いない。

19世紀末から20世紀初頭にかけて広く舞台に掛けられていた演目の脚本を集大成した『戯考』(全40冊)が、1915年10月に上海書局から出版されている。『戯考』は各演目の脚本の前に、その演目の梗概を記している。そこで「貴妃酔酒(一名「百花亭」)」の項目を見ると、『梅蘭芳演出劇本選』に収めた「貴妃酔酒」の解説と脚本と大いに違っている。

『戯考』の梗概の興味深い部分を、試しに原文のまま記しておきたい。それというのも、漢字という表意文字が“怪しげな雰囲気を醸し出す機能”を備えていると考えるからだ。

「妃(楊貴妃)性本褊狭善妬、尤媚浪、且婦女于怨望之余、本最易生反応力、遂使万種情懐、一時竟難排道、加以酒入愁腸、三杯亦酔、春情頓熾、忍俊不禁、于是竟忘其所以、放浪形骸、頻頻与高力士裴力士二太監、作種種酔態、及求歓猥褻状、乃始倦極還宮」と続けた後、「惟識者見之、甚覚其無謂、且亦形容太過、若遇悪劣之花旦且演之、則毎毎描■過当、尤覚不堪、直令人作三日悪」と退ける。なお、■は「墓」の「土」を「手」に変える。

全文の意味は必ずしも正確には分からなくても、漢字を知っている日本人としては文中の「情懐」「春情頓熾」「忍俊不禁」「放浪形骸」「作種種酔態」「及求歓猥褻状」などの表現から、何を言わんとしているのか朧気ながらイメージが浮かぶに違いない。それが、往々にして日本人が気づかないままに過ぎてきた漢字が秘めた魔力である。

話は「貴妃酔酒」から離れるが、ここで漢字の弊害について一言。

1970年代半ば、日本の某訪中団が�小平と面談した際、かの“日中友好請負業者”たる西園寺公一が一歩進み出て、例によって例の如く、日本が中国で過去に犯した蛮行の数々を詫びたとか。日本人的感覚で先ずは謝っておこうというのだろう。するとどうだ。さすがに�小平である。意外にも「中国も日本に迷惑を掛けた」と応じたというのだ。その「迷惑」の1つが「孔孟の道」、残る1つが「漢字」だというのだから驚くばかり。

中国から伝えられた「孔孟の道」と「漢字」こそ日本文化の根幹だと、大方の日本人は固く信じ込んでいるはず。だが�小平は「孔孟の道」と「漢字」によって、日本に弊害を与えてしまった、と。たしかに�小平の指摘は正しいと言わざるを得ないのである。《QED》


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