――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港178)

【知道中国 2296回】                      二一・十一・仲一

――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港178)

ところで「色情を暗示する演出」だが、やはり「力士」、つまり2人の宦官を脇役に登場させ、酔った楊貴妃と絡ませて狂言回しにする辺りだろうが、「色情を暗示する」レベルを超えて「色情」を撒き散らし、客の下心を見透かしての演出だと思う。

たとえば幕が開き、先ず舞台に登場した2人の力士が切り出す。

「裴力士:禁裏に使えてはや久し

 高力士:庭の百花は乱れ咲く。

 裴力士:睾丸(たま)を抜かれて宦官に

 高力士:なりて、終生宮居の裏(うち)」

これが『梅蘭芳演出劇本選』では、

「裴力士:久しく居(す)まうは龍鳳閣(こうきょ)にて、

 高力士:庭は百花に彩られ。

 裴力士:深宮(おおおく)勤めの内監(かんがん)が、

 高力士:終生送るは帝王家(こうていのやかた)」

『梅蘭芳演出劇本選』では「睾丸を抜かれて宦官に」が消えている。この台詞、流石に共産党政権下では好ましくない。いやマズイだろう。

あと幾つか「色情を暗示する演出」を。

酔眼朦朧とした楊貴妃が両手の人差し指を突き出して、微妙に絡ませなら両力士に向かって艶めかしく身をくねらせながら秋波を送るばかりか、過激に妖艶に逼る。

裴力士に向かった楊貴妃は「ワラワの願いを叶えたならば、昇進なんぞを考えようゾ」。すると裴力士は「奴婢没有胆子(みどもに肝っ玉はありませぬ)」と尻込みする。そこで楊貴妃は「狗才(いぬめ)が、地獄で閻魔に見えるがよい」と罵倒する。

身を翻して高力士に向かった楊貴妃は同じく「ワラワの願いを叶えたならば、昇進なんぞを考えように」と。そこで高力士の頭から官位を示す帽子を取り上げ、自らの頭に載せて足下も覚束ないままに戯けてみせる。

その様を見ながら、高力士は「奴婢没有這個(やつがれ、それはありませぬ)。いかで考えましょうとも、惜しいことながらどうにもなりませぬ」と平身低頭するばかり。

ここで飲み過ぎの楊貴妃が高力士の帽子にゲロを吐こうとするから、些かやり過ぎだと思うが、もちろん第六劇場の客席が大喜びでドッと湧く。

それにしても楊貴妃が思いのままにならぬ両力士を罵倒するに「狗才(いぬ)」では、やはり品性に欠けるばかりか、社会主義社会の人倫道徳では断固として許されないだろう。

ここの3人の過激にキワドいやりとりだが、『梅蘭芳演出劇本選』では「西宮に言って玄宗皇帝を呼んで参れ」との楊貴妃の命令に、2人に力士がドギマギ、アタフタ、オロオロを繰り返すドタバタ劇で終わっている。さすがに「奴婢没有胆子」「奴婢没有這個」は許されない台詞だろう。

「貴妃酔酒」は、飲み疲れた楊貴妃が2人の力士や侍女に支えられ寝所に引き下がるところで幕となるが、その際、唱いながら舞台を下がる。じつは楊貴妃は、玄宗皇帝と同じように舞台に姿を現さないもう1人の影の主人公――ソグド人を父に、突厥人を母に持つ安禄山――に対する愛おしさと恨みが綯い交ぜになった複雑な思いを切々と唱っている。

度胸と才覚と混血児である語学能力を武器にして、下っ端兵士からのし上がった安禄山は、やがて平盧節度使に任じられ唐朝の東北辺境守備を任されることになる。節度使就任を機に入朝し、楊貴妃に願い出て「仮子(養子)」に収まった。玄宗皇帝の寵愛めでたい楊貴妃と築いた母子関係を出世の梯子にして、政権中枢へと突き進むのであった。《QED》


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