――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港125)

【知道中国 2243回】                       二一・六・念一

――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港125)

 ある日、外を見てビックリ。窓の向こうの空一面が黒煙に覆われていたのである。1972年1月9日だから、あの電撃的なニクソン訪中の40日ほど前のことだだった。

 イギリスが世界に誇った豪華客船クイーン・エリザベス号も寄る年波には勝てず、1969年には退役となる。その翌年、香港の海運王で知られた董浩海が率いる東方海運貨櫃航運公司に買い取られ香港へ。当時、香港のマスコミでは洋上大学に生まれ変わると大々的に報じられていたが、改装中に原因不明の火災が発生。消火活動の不手際から一時は巨大な船体が炎に包まれ大火災に。それが黒煙の火元だったわけだ。

 その日は空一面が黒煙に覆われたままで薄暗く、昼との境目がないままに夜となったように記憶する。その後の数日、黒煙は香港の空に棚引いていた。はたして消火活動の不手際か。ヒョッとして、真面目に消火に取り組まなかった。いや“出来レース”だったのか。

 お世話になっていたKさんが構えていた尖沙咀・漢口道の写字楼(オフィス・ビル)でのことだった。いつものように暇潰しをしていると、突然火災報知器が作動し、警報が鳴った。同じ階の2つ、3つ離れた事務所からの出火である。どの部屋からも廊下に人が飛び出し右往左往。しばらくすると数人の消防隊員が階段を駆け上がって来る。地上からスルスルと伸びてきた梯子の先端のゴンドラでは、消防隊員が消火ホースのノズルを構える。

 これで一安心。迫力ある消火シーンを見物できると思いきや、彼らは次の動作に移らない。火元の事務所は反応なし。すると梯子車の消防隊員が鳶口で窓を割り始めた。室内に飛び込むかと思ったら、次にクーラーの室外機を壊す。さて室外機は火元ではないはずだし。これでは消火にはほど遠い。Kさんの事務所にまで火が及ぶかもしれない。

だがKさんは慌てない。何百ドルかを手に部屋を飛び出し、消防隊長と思しき人物に手渡した。するとどうだ。Kさんの事務所に火が及ばないように処理しながら消火活動を継続し、鎮火を見届けて引き揚げて行った。水浸しの廊下を進んで火元の事務所を覗いてみると、床も書類も水浸し。窓は割られ、クーラーの室外機はメチャメチャ。

現在のように香港版国家安全法と呼ばれる“厳格な法律”など思いも及ばなかった時代である。「官逼民反(当局が横暴であるほどに民は反抗する)」のではなく、「官逼民靡(当局が横暴であるほどに民は従順になる)」しかなかったのだ。

一息ついた後、Kさんは「彼らにとっては小遣い稼ぎ。嫌でもなんでもカネを握らせておかないと泣くのはコッチだから。あそこの事務所はケチって大損した。やはり損を覚悟しないと得は取れない。損して得取れだ」と苦笑い。

さてクイーン・エリザベス号のその後だが、焼け崩れスクラップ状態で半ば沈みかけたブザマな姿を、そのまま2年ほど洋上に曝していた。その間に『007 黄金銃を持つ男』のロケに使われている。転んでもタダでは起きない董浩海のことだから、映画制作会社にバカ高い使用料を請求した可能性は否定できない。世界的大ヒット作品の007シリーズである。使用量が安かろうはずもなく、大いに吹っ掛けた・・・のでは。イキがって無料で結構ですなどとは口が裂けても言わないはずだ。実事求是ならぬ、実利求利であるからだ。

Kさんの事務所で目にした消火活動の一部始終からして、クイーン・エリザベス号の一件を勘繰るなら、いくらでも勘繰ることはできる。どれほどの保険が掛けられていたかは不明だが、焼け太りの可能性は十分に考えられる。やはり転んだまま泣き寝入りすることも、タダでは起きることも金輪際あり得ない。

董浩海の息子が、じつは中国政府(江沢民政権)の強力な推しで1997年に初代行政長官に就任した董建華である。そこで当時の香港経済界を牛耳っていた企業家の姿を追うことで、権力を相手に丁々発止の振る舞いを見せる香港の“越後屋”の姿を探ってみたい。《QED》


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