――「浦口は非常に汚い中國人の街だ」――�田(10)�田球一『わが思い出 第一部』(東京書院 昭和23年)

【知道中国 1955回】                       一九・九・仲四

――「浦口は非常に汚い中國人の街だ」――�田(10)

�田球一『わが思い出 第一部』(東京書院 昭和23年)

北京に対する“悪態”は止まない。

「北京の生活はそうしたたい廢の中にあるため、悠長であり、一種病的な感じのするさびしさを帶ている。神經衰弱でほーつとして、ブラブラ街路をさまようたい廢人といつた感じである」そうだ。そう言う�田こそ「たい廢人といつた感じ」ではなかったか。

北京を発って天津駅へ。「(軍閥の)呉佩孚一派と張作霖一派との大衝突」から逃れようとする難民で溢れた天津駅は、「何ともいえない凄慘な氣持を與えていた」。

食料品店で買い物をしていると、張作霖の兵士が2、3人ドカドカと入ってきて「大聲をたててわれわれを突きまわす」。「然しことばがわからない。そこで突きまわされるうちにこちらもつい大聲になつで(て?)『いつたい何をするのだ、われわれは日本人だ、張作霖の軍隊がわれわれにたいして亂暴を働くとはけしからんぢやないか』」。

なにやら�田の手にする罐詰が欲しいらしい。だが、日本語が解らないから、ともかく大声を上げ銃を構えて威嚇する。ここでトッキュウの熱血漢ぶりが発揮される。「ただ威嚇するだけであつた。こうなつてみると、こちらもおびえているわけにはいかない。むしろごう然と突つかかつて行かざるを得なかつたのである。目をいからして双方對峙している中に」、店のオヤジが割って入ってことなきをえたようだ。

それにしても、�田の口から速射砲のように飛び出す訳の判らない日本語で喚き散らされ、あの怒り狂ったようなギョロ目で睨まれた時、張作霖の兵隊はどう感じたのか。「われわれは日本人だ」との�田の啖呵が気に入った。さすがに武闘派だ。喧嘩は気合いだ。度胸だ。インテリ共産主義者では、こうはいかなかっただろう。

ところが、である。店のオヤジが渡してくれたメモに目を遣ると、兵士は�田らを「日本の軍事的スパイ」と勘違いし、手にしている罐詰は「爆彈にちがいないというのである」。「あまりいいがかりが珍妙なので吹き出してしまつた」。だがひょっとして言い掛かりをつけて金を強請り取ろうとしているのでは、と�田は疑う。「金の少しくらいやるのはそう苦しいことはない」が、そうしたら付け上がるだろう。「ここで斷然彼らを?退してやろうと決心し」、「カン詰を一つずつ出すや否や、コンクリートを目がけてばんばんと投げつけてやつた」。ところが「やつらも爆彈と思つていないから少しも驚かない」。床に転がる罐詰から汁がこぼれ出る。「彼らも恥しかつたとみえて手をゆるめざるをえなかつた」。その隙に、店外に飛び出し自動車を呼び止め宿に急いだ。さぞや�田も「恥しかつた」だろうに。

かくて�田は、「中國の兵隊というのはここに見る通り、スキさえあればユスリをして強奪を試みることは珍らしくない。これにおびえていると、かえつてなめられてしまつてひどい目にあうのである」と、有り難くも貴重な“教訓”を垂れる。

天津の次に向かった徐州では、同地に蟠踞する呉佩孚系と思われる軍隊が北京奪還のための準備中だった。近代的で大型の兵器を揃えている。

そこで�田は「こういう近代的な武器を、はたしてあの秩序ない鈍重な中國軍閥の兵隊が使えるのだろうかと疑わざるを得なかつた。考えてみると、このぼう大な軍需品は、呉佩孚が英國の勢力を背景にしていることからすれば無理がないようにおもわれる。英國は旺盛な財政力にものいわせて、このぼう大な近代的武器をならべて貧弱な日本を背景とする張作霖軍隊を威かくしようというのであろう」と考えた。

「各帝國主義國は戰爭をするために、毎年毎年新しい武器を作るが、舊式なものをいつまで保管しておくことは馬鹿なことになる。そこでこれを中國の軍閥に供給することは、彼らにとつては大へんな金もうけになるのだ」と、面白くもない公式的見解である。《QED》


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