――「浦口は非常に汚い中國人の街だ」――�田(6)�田球一『わが思い出 第一部』(東京書院 昭和23年)

【知道中国 1951回】                       一九・九・初五

――「浦口は非常に汚い中國人の街だ」――�田(6)

�田球一『わが思い出 第一部』(東京書院 昭和23年)

「おどろくべき人間勞働力の輸出」という現実を前に、�田は「(山東省は)ことばを變えていえば奴れい生産地である」とした。「この奴れいにもなれない貧窮者をここ(曲阜)のステーションに群る乞食たちが代表しているのだった」。

そういえば魯迅は中国人を「奴隷を使う者」「奴隷」「奴隷になりたくてもなれない者」の3者に分けていたように記憶している。「奴隷を使う者」「奴隷」は納得できたが、「奴隷になりたくてもなれない者」は理解できなかった。だが、�田の指摘で腑に落ちた。魯迅の説く「奴隷になりたくてもなれない者」とは、�田の言う「奴れいにもなれない貧窮者」、つまり乞食ということか。

ここで�田は“共産主義者の義憤”を発揮して「孔子�」を鋭く糾弾する。

「こういう現状にまで中國民が追い落とされていたその基本的社會機構の上に、孔子�が成り立つているではないか。孔子の論語その他の�典はまさにこの乞食を生み出す道�なのだ。封建主義の慘たんたる産物、これとさん然と偉容を整えている孔子�を對照することによつて、はじめてわれわれは東洋的倫理、道�なるものを理解することができよう」。かくして「日本の反動者である天皇制の支配者達がこの事實をなんとみるのであろうか」と“獅子吼”した。

曲阜を後に済南を経て天津へ。当時、奉直戦争と呼ばれる軍閥間の戦いが繰り返されていたが、どこの駅でも見かけるのは「まつたく噴飯もの」の「不格好な兵隊」だった。まさに「好鉄不当釘、好人不当兵」である。いい鉄がクギにならないように、いい人は兵にならない。兵士は人間のクズでしかなかった。人間のクズしか兵士にはならないのだ。

「だからその當時みた動亂というものは、要するに軍閥の軍隊が數の上で示威運動をとしかみえなかつた。戰爭といつても、まつたく兒戯に等しいものであつた。しかし人民はこの動亂によつて恐しい被害をこうむつたことであろう。なぜなら、こんな規律も何もない兵隊が鐵砲を持つて住民からりやく奪する行爲というものは非常に廣範圍にわたつていたろうと思われるからである」。

 天津にある各国租界地には難民が流れ込み、多くの避難民は天津駅に蝟集していた。�田は物情騒然とした「天津の街に一人でのり込ん」だ。案内もいない。右も左も判らない。そこで「冒險だとは思つたが日本人の客引きにまかせることにした」。着いた先は相当に由緒ある旅館で日本式サービスが行き届き、「日本人として歡待されたために私にとつては不利�なことはなかつた」が、「ただ不愉快であつたのは、日本人は土地の状態もかまわず、氣候も考えずに何處まで行つても日本流にやつて、しかも、日本人相手の商賣しかできないという哀れな人間であるという感じがしたことだつた」。

 満洲からシベリア経由でモスクワへの旅を考えれば現地用の外套が必要だが、日本人古着屋が売りつけるのは「みんな日本式」で役に立たないばかりか、新品の中国製に較べてもかなり高価だった。かくて�田は「日本商人の海外でのわるこすい立ち回りはよくここに表現されていた」。食い物も「この邊の食物としては合理性を缺い」た「さしみや魚の煮付けたものばかりを出す」。なにからなにまでが日本式。かくて�田は「こういうやり方では日本人はこの大陸に適應する生活力を養うのに不合理である」と論難する。

 翌朝、天津発奉天行きの急行列車でのこと。二等列車だというのに「糞尿が煮えて發するどうにもならないくさみがたゞよつていてまつたく不愉快」だ。車内販売用の茶を沸かしている辺りが悪臭の元だった。「お茶を沸かしているすぐ隣りに便所があるのだから糞尿はそこの蒸氣で煮られていたのだ」。寒気による糞尿の凍結を防ぐ“装置”だった。《QED》


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