――「民國の衰亡、蓋し謂あるなり」――渡邊(5)渡邊巳之次郎『老大國の山河 (余と朝鮮及支那)』(金尾文淵堂 大正10年)

【知道中国 1893回】                       一九・五・仲二

――「民國の衰亡、蓋し謂あるなり」――渡邊(5)

渡邊巳之次郎『老大國の山河 (余と朝鮮及支那)』(金尾文淵堂 大正10年)

 「不快なる夜の東清列車」でのことだった。「支那人は東清鐵道督辨處の官紳なりとて悠揚長者の風あり」。これに対し「露人に至つては風采揚らず、眞に亡國の放浪漢に似たり」。レーニン革命で国を追われたロシア人の悲哀が目の前に浮かんでくるようだ。

 やがて「南滿洲北部の最大農産市塲」である長春に。

「日本國民の滿蒙に對する發展の遲鈍にして、萬里の沃野を等閑に附するを慨し」、「日本官民の對支經營の不熱心、不適當、小規模、無手腕」を激しく憤る同地在住某氏に触発されたのか、渡邊は満蒙こそが「西伯利の極東三州と共に、日本の人口及食糧問題を解決するの地」であり、それは急務であり、「五十年の後、人口一億一千萬人を數ふるの時」に備えよと説く。

以下、渡邊の主張を追ってみたい。

「滿蒙は今支那に屬し、西伯利は名において尚露國に屬すと雖も、滿蒙元來支那の地にあらず、西伯利亦露國の地にあらざるなり、唯侵略と殖民とによれる威力活用の結果のみ」。だが「今や露支兩國」は国家の態をなさず、「徒に内亂殺傷を以て相踵ぐのみ」といった惨状である。であればこそ「今や露支兩國」が両地に対し「共に主人顔するの資格」はないから、「無主の地と稱する必ずしも不可ならざるなり」。

かくして「勤勉努力、農耕の從ひ、奮勵刻苦、鑛漁を營み、富源を開き、文明を進め、秩序を維持し、利福を増すの能力を備ふるの優越民族ありて是等地方の經營に任ぜんか、斷じて之を拒むの理由あるべからざるなり」。その「優越民族」である日本人は、「人口において世界の二十三分の一の多きを占め」ているにもかかわらず、「領土において二百分の一の少なきに苦し」む。加えるに「多々益々加する人口の増殖に會して餓死せんとする」有様である。だから「日本民族が、是等地方の經營に從事するは、當然の運命、即ち天命と稱すべきなり。日本民族の力、實に之に堪ふ」。

渡邊は続ける。

元来が地球上の土地は無主なのだから、「力あるもの能く之を保つに過ぎ」ない。「歷史的變遷と坤球元來定主なきの理を悟ら」ない支那人。「山賊的侵略によつて西伯利を収め」たロシア人。さらに「英米人が、海賊的國民として進化し來り、其領土の多くが略奪の遺物たるを顧みず、人道を云々して人種的差別觀を脱する能はず、自由平等を云々して鎖攘の非法に出で、到る處に日本人を排斥し、詭辯と猾智と強力とを以て日本民族を饑餓の死地に陷れんとするは、暴虐無道の極といふべく、千萬言の修辭と理想論とを以てするも、斷じて其非を飾るに足らざるなり」。

つまり「日本民族の生きんが爲に、滿蒙及西伯利において、平和的農商鑛の經營に任ぜんとする、亦當然の事のみ。片言隻語の異議あらしむべからざるなり」。かくして渡邊は「我が當局の對外折衝の拙劣軟弱」を強烈に糾弾する。

渡邊から百年後の21世紀冒頭の現在に立って、これを過去の誤った暴論と批判し否定するのは簡単である。だが考えてみれば――いや、左程は深く考えなくても――国際秩序は終始一貫して「千萬言の修辭と理想論」ではない。「詭辯と猾智と強力」に依って維持されてきたし、これからもそうであるはずだ」。いわば「詭辯と猾智と強力」の3者が一体となった時、それを「千萬言の修辭と理想論」で粉飾しながら自らの生存空間を拡大するのが国際政治の本質だろう。世界唯一の超大国を誇っていた時代のアメリカがそうであり、そのアメリカを追い付き追い越そうと猪突猛進する中国がそうだ。現に習近平政権は「詭辯と猾智と強力」を綯い交ぜにしながら、「一帯一路」を画策している。

 

それにしても「我が當局の對外折衝の拙劣軟弱」は、いつまで続くというのだ。《QED》


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