――「支那人は不可解の謎題也」・・・徳富(40)
徳富蘇峰『支那漫遊記』(民友社 大正七年)
■「(八一)利の一字」
「大膽、深刻、痛快なる、支那の國民性を表白して、恰も照魔鏡を掲げ來たるが如」き書物は、『史記』貨殖伝を措いて他にはない。そこに「支那人の生活、及び思想」が活写されているからであり、それを1文字で表現するならば「利」、つまり「支那人の生命」となる。
「若し支那人に熱心ありとせば、利を趁ふの熱心」であり、「勇氣ありとせば、利に趨る勇氣」である。たしかに「死は泰山よりも重し」とはいうものの、「されど利の爲めには、生命の惜しからざる」のである。
■「(八二)公認泥坊」
「支那の古今を通觀するに」、「利の爲めに名を犠牲としたる者は少な」くはないが、「名の爲めに、利を抛ちたる者は、絶無にあらざるも、僅有と云はざるを得ず」。
じつは「支那に於ては、官吏は清職」ではなく寧ろ「濁職」であり、古より「官吏と兵士とを以て泥坊の隊長」と見做すことができる。「若し廉吏の名譽と、貪吏の重賂とを、併有し得」ることができるなら、「彼等は甘んじて之を爲」すだろう。「貪吏の汚名」を着せられようと、断じて「貧乏の廉吏を願」うことはない。それというのも官吏になる目的は、「先づ利にあれば」こそであり、権力や名を求めるのも、全てが「利の爲め」だからだ。いいかえるなら「官職は、一個の大吉利市」だからだ。「大吉利市」を現代風に表現するならば、超特大万能集金マシーンといっておこうか。
彼らに「兵士に三個の利得あり」との諺がある。第1は「民に取る」、第2は「官に取る」、第3は「敵に取る」である。兵士が動き出すと、最初に「沿道の人民より徴發し、其の剽略を逞」しくする。次に戦端を開く以前に「政府を強要し、其の軍需品を貪求し、其の賞賜を豪請す」る。もし戦勝したなら敵から徹底して「剥掠せずんば已ま」ない。
――官吏は泥棒、兵士は強盗の伝統が生きているなら、現在では幹部は泥棒、解放軍は強盗ということになるのだが・・・さて
■「(八三)支那の鐵道」
「少なくとも鐵道の開通は、支那に取りては、一大刺戟」であったことは確かだ。たとえば清朝が簡単に崩壊したのも、長江中流域の漢口と北京とを結ぶ「京漢大幹線の開通によりて、南北の聯絡を便にし、由りて以て第一革命の業を、容易に成就せしめたる者」と考えられるだろう。
だが「今日の支那鐵道は、其聯絡に於て缺くる所あるのみならず、又た其運轉の方法、極めて緩慢遲鈍なる、所謂る支那式なれば」、「概ね不具體也」。
――伝えられるところでは現在、共産党式新幹線網は超高速で全国ネットを完成し、快適なサービスを提供しているとのことだが、さて、やはり「所謂る支那式」は完全に姿を消したのだろうか。ひとつ知りたいところだ。
■「(八四)南潯鐵道と山東鐵道」
「日本の資本にて、日本の技師によりて、敷設せられたる南潯鐵道」にしても「山東鐵道」にしても、営業状態は「有りて�なく、無くて損なき」程度であるが、前者を延伸させ江西省を貫通させ広東省に結びつければ、「南部支那に於ける、最も有利線の一」つになる。また後者を延伸させて「京漢線に接續せしめ」、「更に西して、山西の鑛層地を貫通し、愈々西して甘肅を走」らせ、さらに新疆の沙漠地帯に進ませるべきだ。かくして「山東鐵道は、支那横斷の一大幹線」となる。さて、一帯一路は徳富のアイディアだった?《QED》