――「支那人は不可解の謎題也」・・・徳富(35)
徳富蘇峰『支那漫遊記』(民友社 大正七年)
「支那人をして、斯くの如く思惟せしむる」ために、「只だ、興亞の一天張りを主要とする、大旗幟の下に、日支協同の一大新聞を、發行」させるべきだ。そこで問題になるのが人材と資金だが、いずれ「英、米、獨逸其他の國人」は必ず新聞創刊に踏み出すはずだ。その時になって「如何に七顚八到するも時機既に晩しと云はざるを得ず」。であればこそ、日本人は躊躇せずに一日も早く新聞創刊に踏み切れ。
■「(六五)道敎の天下」
「儒敎は、治者階級少數者に敎にして、然もそれさへ實際は覺束なく、唯だ看板に過ぎず。佛敎も寧ろ、曾て上流社會の一部に行はれる迄」であり、「強ひて國民的宗敎」をあげようとするなら「道敎に若くはなかる可し」。「未來の安樂を豫約する佛敎よりも、現在の福利を授與する道敎が支那の民性に適恰す」る。
道教と国民性の関係を考えれば、「道敎支那人を作らず、支那人道敎を作」るというべきだ。いわば「支那人ありての道敎にして、道敎ありての支那人」ではない。「道敎其物」こそ「支那國民性の活ける縮圖」なのだ。
■「(六六)回敎徒」
「若し支那に於て、眞に宗敎と云ふ可きものを求めば、恐らくは唯回敎あらんのみ」。それというのも形式にも虚儀に流れない回教だけが「聊か活ける信仰と、活ける力を有」しているからだ。
「回敎とは、新疆より北滿に及び、寨外より南海に至る迄、殆んど一種の秘密結社たるの風あり」て、彼らは異郷にあっても「必ず回敎徒の家に宿す」。彼らの「分布の地域は、支那の領土に普」く、「彼等が敎徒としての氣脈相接し、聲息相通じつゝある團結は、蓋し亦た一種の勢力」というものだ。
なぜ回教徒が全土に住んでいるのか。それは「支那は、世界のあらゆる物の會湊所也、即ち溜場」だからだ。宗教をみても「佛敎あり、道敎あり、拝火敎あり。猶太敎も、今尚ほ若干開封府に存し、景敎に至りては、唐代に於ける盛況」が伝えられている。
少数派である彼らは「宗門の戒律を守」ることで、自らを守る。であればこそ「少なくとも支那に於ける、他の宗敎に比して、其の活力の若干を保持しつゝあるは」否定できない。
■「(六七)日本の歷史と支那の歷史」
「日本の歷史は、支那に比すれば、稀薄にして、其の奥行き深からず」。だから「如何に贔屓目に見るも、支那の歷史に於て、太陽中天の時は、日本の歷史に於ては、僅かに東方に曙光を見たるならむ」。だが「唯だ日本が支那に對してのみならず、世界に向て誇り得可きは、我が萬世一系の皇室あるのみ」。「此の一事に於ては。空前絶後、世界無比」といっても過言ではないが、「帝國其物の歷史は、質に於ても、量に於ても、到底支那の敵にあらず」。
――さて蘇峰山人の説かれる歴史の「質」が何を指し、「量」は何を指すのか。
■「(六八)一大不思議」
「吾人(徳富)が不思議とするは、支那史の久遠なるにあらずして、其の久遠なる繼續にあり」。「或る意味に於ては、支那の保全は支那其物の爲めのみならず、世界に於ける活ける最舊國の標本として、是非必要」だろう。
たしかに「老大國」であり「老朽」ではある。「舊國民として多くの缺點を有する」。「に拘らず、尚ほ若干の活力を有するを、驚嘆」しないわけにはいかない。《QED》