――「支那人は不可解の謎題也」・・・徳富(36)徳富蘇峰『支那漫遊記』(民友社 大正七年)

【知道中国 1811回】                      一八・十・念九

――「支那人は不可解の謎題也」・・・徳富(36)

徳富蘇峰『支那漫遊記』(民友社 大正七年)

■「(六九)何故に支那文明の同化力は宏大なる乎」

「支那は何故に、彼が如き世界の一大舊國として」現在まで存続しているのか。「そは支那其自身が、殆んど一世界とも云ふ可き、廣大にして、且つ密集したる版圖に蟠まり、宛も大なる袋の底に國を建てた」からであり、加えて「周邊より來襲、若くは流轉せる人種によりて新血を注入せられた」――この「二個の理由」に拠る。

さらに考えるなら、広大な版図であるにも関わらず、自然地理環境を概観するなら、「其の四邊を除けば」、運輸交通の便が比較的便利な点も挙げられる。

「蓋し支那は、宛も無底無口の大淵の如」く、「何物にても、一たび此の淵中に入れば、終古出でず、又た出づる能はざる也」。であればこそ「時としては、蛆の湧く虞あるも、底を見る程に涸乾する心配はなき也」。

――さて共産党なる権力集団は「蛆」なのだろうか。「蛆」は退治されようとも、「底」には「涸乾する心配はなき」漢族がウジャウジャ・・・

■「(七〇)支那の恩人は胡也」

「此の無底無口の大淵に、湛へたる水が、全く腐敗し」ない訳は、「小量ながらも、新しき泉源」が絶えず注入されていたからだ。この「小量ながらも、新しき泉源」こそ「胡」、つまり北方あるいは西方から異民族の流入である。であればこそ、「兎も角も支那をして今日まで、其の生命を存續せしめたるは、胡の餘澤也」ということになる。

「支那は、上古より今日に到る迄、未だ一日も胡患なきの日なき也」。だが、そのために「彼等は、刺激せられ、警醒せられ、而して恒に血液を注入せられ」てきたから、「其の生氣が、全く消盡し去る」ことがなかった。

「如何なる新征服者、出で來るにせよ、支那は何時迄も、支那人の支那」である。だからこそ外敵は「一たび足を支那に踏み込めば、乍ちに支那化する也、支那化せざるを得ざる也」。

それというのも寡は衆に、薄は濃に、野は文に敵すことができないという道理からして明らかだ。「文にして且つ衆、衆にして且濃、是れ支那の同化力の、天下に敵なき所以也」。

――以下、参考までに林語堂の『中国=文化と思想』(林語堂 講談社学術文庫 1999年)が1935年に記しておいた“大予言”を紹介しておく。

林は「共産主義政権が支配するような大激変」を予想したうえで、“その先の中国”を見据え「社会的、没個性、厳格といった外観を持つ共産主義が古い伝統を打ち砕くというよりは、むしろ個性、寛容、中庸、常識といった古い伝統が共産主義を粉砕し、その内実を骨抜きにし共産主義と見分けのつかぬほどまでに変質させてしまうことであろう」・・・

■「(七一)一大同化作用」

「支那の文明に於て」は、新陳代謝は見られずに「陳々堆を成す」のみだ。

「蓋し支那は、大なる化石地獄にして、此中に投ずれば、何物も乍ち化石となる」。「支那文明は(中略)極めて包括的」であり、「彼等は總ての物を呑み盡し、何物をも吐き出さ」ない。「必要に應じては、新奇の物にせよ、異邦の人にせよ、之を採用するに遲疑」しない。ここからも「中華的尊大の風は、恒に自ら把持する」ものの、「攘夷的精神は、殆んど總ての支那人に、多く之を認」めることができない。

歴史的に見ても「傳采廣容に拘らず、一切の外來物を、何時の間にか、之を支那化する一大作用に到りては、實に意想の外にあり」。

――これを簡単明瞭に形容するなら、ナンデモアリで無原則という大原則・・・《QED》


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