――「支那人は不可解の謎題也」・・・徳富(20)
徳富蘇峰『支那漫遊記』(民友社 大正七年)
■「(一四)高帽と和寇」
「事實の如何は兎も角も、支那人の目には、日本人は前垂掛けたる海賊にあらざれば、高帽を戴きたる和寇の如く映ずる也」。日本人は「支那の物を、泥坊同樣に持ち去」り、「日本人のみ得」するように振舞っていると見ている。こういった見方は「大いなる誤解にして、且つ畢竟支那人の僻み根性より出で來たる幻影」というものだ。
だが顧みて日本人は「餘りに多く自己本位に過ぎたるにはあらざるなき乎」。「多く吾が便宜、都合、利�、収穫を見て、一切他を顧慮せざるにはあらざるなき乎」。
「若し自己本位の標準を以て律せば、支那人、未だ必ずしも、日本人の下に就」くことはないだろう。また「彼の利己主義を無視し、我が利己主義のみを主張するに於ては」、必然的に「彼より嫌忌せられ、憎惡せらるゝ」ことになる。
かくして徳富は、その原因は兎も角も、こういった印象を「支那人に與へつゝある一事を、記憶す可きのみ」としながら、このまま「日支親善を實行するの困難なるは、言ふ丈が野暮也」と。
だが、少し考えれば思い当たるはずだろう。どのような状況にあれ「日支親善を實行する」などということは最初から至難だということを。であればこそ「日支親善を實行するの困難なるは、言ふ丈が野暮也」などと“ご託宣”を垂れること自体が、「言ふ丈が野暮」ではなかろうか。
■「(一五)歐米人と日本人」
「歐米人の支那に於て、仕事をなすや、何處となく鷹揚也。自から大なる利�を取る」が、アバウトな取引をするから「利益の若干は、目の外に漏れ出」す。その「漏れ出」して利益が「支那人の最も悦び、最も好み、最も樂しむ所」なのだ。これに対し日本人は、「利�は愚ろか、芥も、塵も、水も漏さぬ樣、之を己に撈ひ去」ってしまう。
「西洋の支那人と呼ばれたる獨逸人さへも、尚ほ一切の取引」においては買弁を呼ばれる中国人仲介業者を配して、彼らに利益を与えている。ところが日本人ときたら「斯る仲介機關を排除して、概ね直取引を做」して利益の独占を図る。
山東省で状況をみたところ、「獨逸人必ずしも寛大」ではなく、「日本人必ずしも苛酷」というわけではない。にもかかわらず山東人は「獨逸支配の往時を、謳歌し」ている。それというのも、「獨逸人は支那人に、下請負を做」さして利益のおこぼれを与えているが、「日本人は、一切萬事」を我がものにしてしまうからだ。
買弁という仲介者を置くような制度は「支那人と直接に取引するの、能力を有する日本人」にとっては無用だといえる。だが買弁制度があるから、彼らは「歐米物資に對しては、所謂る非買同盟の如き事は、容易には行はれ得」ない。だが日本との取引には買弁制度がないため、日貨非買・日貨排斥運動は簡単におきてしまう。
じつは買弁は「寧ろ中以上の資産、勢力を有する輩」であればこそ、彼らは自らの力で「縱令支那人の一部に非買同盟の出で來たらんとするも、之を防止する」ことになる。なぜなら彼ら買弁は社会的に力を持っているからこそ、自らの商売を窮地に陥れるような非買同盟などの活動を許すわけはないからだ。
これに対し収支を厳格にしすぎる日本の場合、「支那人と何等利�の共通なき、日本物資に於ては、何人も之を未然に防ぐものなく、既然に抑ふるものなき也」。だから「支那取引の上」で日本人は欧米人より多くの利益を上げているにも拘わらず、その利益以上の「代價を、拂ひつゝあり」、しかも「此の代價や、格外の高價と知るべし」。確かに!《QED》