――「支那人は不可解の謎題也」・・・徳富(41)徳富蘇峰『支那漫遊記』(民友社 大正七年)

【知道中国 1816回】                      一八・十一・初八

――「支那人は不可解の謎題也」・・・徳富(41)

徳富蘇峰『支那漫遊記』(民友社 大正七年)

 日本が建設した山東鉄道を「支那横斷の一大幹線」として、「他日中央亞細亞を經て、歐洲に達す」るようにすべきだ。「上海の對岸なる海門より、甘肅の蘭州に達する、所謂海蘭線と、何處にてか接觸すべきは」当然のことだ。

 「我が當局者が、支那の生命線とも云ふ可き鐵道を、列強の分割」するがままに任せて「拱手傍觀」している姿は「切に遺憾と爲す」しかない。このままでは、日本が得ている鉄道に関する既得権すら失いかねないではないか。徳富の義憤は募るばかりであった。

 ■「(八五)亞歐の大聯絡」

 誰もが満蒙を説き、長江流域を説く。満蒙も揚子江流域も日本にとっては重要だが、やはり「獨逸人の山東省に著眼し」、「露人滿蒙に龍蟠し」、「英人揚子江流域に虎踞し」た”先見性”に着目すべきだろう。

将来、「中部亞細亞を横斷し、亞歐を聯絡するの大鐵道は」、やはり「山東より君府(コンスタンチノーブル)に達せざる可からず」。この「世界的大經綸」に基づけばこそ、ドイツは早々と山東に食指を働かせたのである。

将来を構想するなら「地下の富を數へ」るべきだ。地下資源が将来の「世界の運命に、重大なる關係を有する」ことは、もはや言うまでもない。「世界の運命は、鑛脈を辿りて、運行しつゝある」のだから。

現在の我が当局のように「天惠地福を、空しく放抛して、之を顧みざる」状況では、「如何に城禍西來の不幸を招くも、遂に如何とも」し難い。であればこそ、「支那に於ける新運命の開拓は、實に今日以後にある」というのである。

■「(八六)多大の希望」

「支那は懷舊弔古の老大國」でも「古代文明の標本を提供する、一の豐富なる博物館」でもない。やはり「今日及將來に於て、世界の大舞臺に、其れの役目を働く可き、偉大なる邦國として取扱はざる」をえない。たしかに「一方より見れば、老幹朽腐するも、他方より見れば、新芽茁々として、舊株より發生しつゝある」ではないか。

たしかに多くの欠点を持つが、「支那人は東亞に於て、偉大なる人種」である。だから我が国が「東亞の大局を料理せんとするには、支那人を除外して、何事をも做す」ことはできない。「此の見地より」して、「日支の親善と、提携とを望まずんばあらず」。

「兩國の識者にして、若し一たび興亞の大經綸に想到」するなら、双方が「反目敵視」することはないだろう。彼らは「老子、孔子の世界的大宗師を出した國民」であり、「管仲、唐太宗の如き大政治家を出した國民」であり、「六經、四書、諸子、百家の思想界大産物を出したる国民」であり、「萬里の長城を築き、江南より燕薊に至る運河を開鑿したる世界的大工事を成就したる國民」である。ならば今後、「空しく白人の雇奴たる」を唯々諾々と受け入れることはないだろう。

であればこそ、「日支親善の要訣は、何より先づ互いに亞細亞人たる自覺あるのみ」ということになる。

――旅の折々の思いを綴った「遊支偶錄」、支那と支那人を多角的に論じた「(一)前遊と今遊」から最終の「(八六)多大の希望」までの「禹域鴻爪錄」。「遊支偶錄」と「禹域鴻爪錄」によって構成された『支那漫遊記』を閉じることになる。

『支那漫遊記』は「日支親善の要訣は、何より先づ互いに亞細亞人たる自覺あるのみ」と結ばれる。だが彼らに「亞細亞人たる自覺」はあるのか。同じ「亞細亞」を思い描いていたのか。「互いに亞細亞人」と思い込んでいたのは日本人だけだった・・・のでは。《QED》


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