――「支那を亡すものは鴉片の害毒である」――上塚(36)上塚司『揚子江を中心として』(織田書店 大正14年)

【知道中国 2018回】                      二〇・一・仲七

――「支那を亡すものは鴉片の害毒である」――上塚(36)

上塚司『揚子江を中心として』(織田書店 大正14年)

 アメリカに煽られた排日旋風が「燎原の火の如く全國に廣がつた」ことで、「支那全權は遂に巴里會議の調印を拒まざるを得なくなつた」。そして「支那の驕慢は遂に低止する所を知らざるに至つた」だけではなく、「此の勢に更に油を注いだものは華盛頓會議であつた」。

「支那の驕慢」も度が過ぎると堪忍袋の緒が切れて、暴支膺懲に繋がってしまったのか。

 「華盛頓會議の目的」は、アメリカ代表が説くように「海軍々備の縮少、日英同盟の廢棄、極東問題の解決に存した事は疑を容れない」。だが「極東問題に關する米國の意圖が、支那の主權擁護、領土保全、極東平和の美名の下に、列國の既得經營せる特權を放棄せしめ、自ら之に代らんとするの覇心」にあることは明らか。そこで「米國は頻りに支那に迎合して、支那の驕心を�々増長せしめる事を忘れなかつた」。

 かくして「支那の主張通りに會議を通過したので、支那人の意氣は�々昇るのみであつた」。つまり「歐州戰爭に依つて、支那は有形無形に勞せずして非常なる利�を受けた」ことによって、「多年支那の上に加へられたる壓力は一時に輕減せられ、國民は自己の準備如何をも顧みず、列國に向つて自主平等の地位を要望して彈ね上つた」。かくして「激烈なる排外運動が至る所に蜂起」したわけだが、「蓋し其背後に此の如き思想の流れが先導を爲して居る事を忘れてはならぬ」。

 これを要するに、第1次世界大戦で世界最強の力を手にするに至ったアメリカが、戦争の後遺症に苦しむ欧州列強を尻目に中国利権に手を突っ込もうとしたことから中国に迎合し、やがては中国をツケ上がらせてしまった。中国における「激烈なる排外運動」の背後にアメリカの「覇心」――今から1世紀ほど昔の“アメリカン・ファースト”といったところだろう――があったことになる。“共同正犯”は、どうやらアメリカらしい。

 「不平等條約廢止、關税自主權の撤廢等」を軸とする「激烈なる排外運動」は、激烈な排日運動となって日本に牙を向ける。排外運動の主唱者である孫文は「革命成就後、一貫して之を主張し〔中略〕死に至る迄變わらなかつた」。「我が頭山滿翁内田良平氏等」は、その孫文を心底から支援した。ということは孫文への支援は、皮肉にも回り回り、予期せぬ形で排日運動に行き着いてしまったということだろうか。

 「支那の民心は、革命及歐州大戰の洗禮を受けて非常に變化し、進歩して來た。彼等は今や自己の周圍を顧みて、治外法權、關税監督權、租借地、公使館區域、其の他自主獨立の國家として、有り得べからざる幾多の屈辱、不名譽を回復し、其國家の古の盛時に還さんと熱望し、努力して居る」。それだけではない、「其の運動は熱火の如く、其の前途に遮る何物をも焼き盡さずんば止まざる慨がある」。だからこそ「我が日本は、宜しく此の苦衷に同情し、誠意と公正とを以て之を援助し、協力して支那保全の公義を完からしめねばならぬ」と、上塚は高らかに宣言する。

 その心意気は尊い。だが、この考えを貫こうとするなら、明らかに「列國の既得經營せる特權を放棄せしめ、自ら之に代らんとするの(アメリカの)覇心」と真っ向からの対立を覚悟しなければならない。上塚の鋭い先見性には敬服するしかないが、はたして当時の日本は、その覚悟と実力に加え、他の列強を説得するだけの理論を持ち合わせていたのか。

 「從來、我が日本は、常に英米諸國に追隨して、支那に對する彼らの番犬となり、執達吏となり、鬼面して支那を嚇し、却て其の怨恨を一身に集め、排日の二字によつて報復せらるゝの愚を學んで居る」。

現に列国間で議論されている「支那鐵道を如何にすべきか」の国際的課題についても、欧米列強の提案では日本には「幾何の權限」も与えられてはいない。これが実態だ。《QED》


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