――「支那は日本にとりては『見知らぬ國』なり」――鶴見(25)
鶴見祐輔『偶像破壊期の支那』(鐵道時報局 大正12年)
「學生の政治論」の弊害の1つが「筆杆子(ペン)」の機能だろう。「筆杆子(ペン=宣伝)」は「槍杆子(鉄砲=武力)」と結んで相乗効果を発揮する。「槍杆子」とは、毛沢東の言として余りにも有名な「槍杆子里面出政権政(政権は鉄砲から生まれる)」のなかのソレである。一般に毛沢東は「槍杆子」によって政権を奪取したように思われているが、「筆杆子」の働きは無視できない。文革でも四人組の1人であった文芸評論家崩れの姚文元を筆頭に、「梁効」(北京大学と精華大学の超エリート集団)、「羅思鼎」(上海市党委員会エリート集団)などの「筆杆子」を駆使し、政敵を理論(=屁理屈)でネジ伏せている。
なにしろ「筆杆子」は権力者のゴ注文に応じ、古今の文献から屁理屈を無限にヒネリ出す。ウマをシカと、シロをクロと言うことなどは朝飯前である。現在でも「筆杆子」は最高権力者の習近平のために忠勤に励む。習近平が一帯一路構想を掲げれば、そのための理論書や研究書の類は“瞬時・大量”に出版される。まさに紙の爆弾による絨毯爆撃である。
漢族の始祖と伝えられる三皇五帝の後を継ぎ、徳の高さによって政権を禅譲した尭・舜・禹のうちの舜を「中華民族(漢族を中心に周辺少数民族を糾合)の始祖であり、禅譲という政権継承行為に顕現された自己犠牲と道徳性の統合の象徴であり、清廉潔癖な指導者」と褒め称え、「中華民族の高尚な道徳と民のために無私を貫く精神的価値を体現する舜」を習近平に重ねた新編歴史京劇の『大舜』を、アッと言う間に創作し公演しまう。
ところが、である。文革期に出版された歴史書には、「禅譲は原始社会が悲惨で残酷な搾取制度である奴隷制度へ移行する際の産物であり、舜は原始社会末期を反映し、部族連盟内の頭領に過ぎない」と記されている。つまり毛沢東式正統史観では、舜は否定されてしかるべき存在だったということになる。
いわば権力者のゴ都合に合わせて、どのような屁理屈であれ考え出し、学術的に粉飾し宣伝する。それが「筆杆子」に課せられた使命なのだ。
文革期から現在に至る毛沢東、華国鋒、�小平、江澤民、胡錦濤、そして習近平――いずれの最高権力者であれ、その周辺には「筆杆子」が控え、彼らの正統性、無謬性、万能性、道徳性、高潔性・・・超人性を訴える。これが現代の「學生の政治論」ということになるだろう。だから文革期、日本の中国研究者や中国専門家、さらにはメディアの大部分が、文革版「學生の政治論」にモノの見事に引っ掛かってしまった事実・経緯を検証する必要があると痛感するが、それは後日の楽しみに・・・。
「支那悲觀論」の次に鶴見は、「亞米利加人のエレン・ラモットといふ婦人の書いた支那論」である『北京の埃』『阿片商賣制度』の2冊を取り上げて、その「獨特なる支那論」について考えた。
彼女は、日本の軍国主義は欧米諸国から非難されているが「歐洲列國が試みたる侵略主義に比ぶれば殆ど數ふるに足らざる輕微なもの」とした後、満洲で出会ったイギリス人青年の発言を引用して、「外國人の日本を排斥する眞相を論じ」た。
その青年は「日本では外國人を自分達の同等なる人間として取扱ふけれども、支那に來ると、支那人は吾々を目上の人間として扱つてくれるからさ」と言ったというのだ。かくして彼女は、「外國人は皆支那に來ると、支那の保護者となつたような感じを持つ。隨つて支那の問題を自分の問題と考へるやうな心理状態となる。是れが全世界に蔓る支那贔屓感情及び排日感情の起源であると論じ」たという。
鶴見は「一個の婦人が斯樣な眼を以て支那を觀たといふ事に自分は非常な興味を感じた」とするが、中国人には「支配されながら支配する」という得意ワザがあったような。《QED》