――「支那は日本にとりては『見知らぬ國』なり」――鶴見(23)
鶴見祐輔『偶像破壊期の支那』(鐵道時報局 大正12年)
鶴見は、なぜ「偶像破壊期の支那」を旅したのか。自らが定めた様々な仮定のなかの「其の孰れに支那が落着く」のかを知りたかった。そのためには「種々の統計、文書、書物」に拠ることはもちろんだが、「それよりももつて手近な方法として」、「支那の國論を代表するところの人々に面會して意見をたゝくことにした」からである。
だが鶴見が「成功の可能性が頗る薄弱」と見做していた「露西亞の如く外國との連絡を斷つた一個の社會主義國」が、20世紀半ばに毛沢東の手で出現してしまった。それほどまでに時代の先を読み切ることは難しいと同時に、中国社会には“未知の変数”が無数に隠れているということだろう。社会の、そして人々の深層にまで根を張る一強独裁権力という伝統文化の強靭な生命力に改めて目を向ける必要があるだろう。
ここで鶴見は話題を転じて、「支那に關する外國人の感想」をいくつかの方面から考える。
第1は「最も同情ある立場をとる者」であり、この種の外国人は「現代の支那人の生活をその儘に驅歌する。驅歌するといふより寧ろ心醉するといつた方が宜いかも知れない」。
「支那の生活を、美術、文藝の方面より觀れば、世界の何れの國にも劣るまじき偉大が今日の支那にその儘に在るに違いない」。この「支那の文化生活といふ事は」、古来「無數の苦力の安き賃金の上に建設されてゐる」。古代ギリシャの文化生活が「大勢の奴隷の苦役の上に建設された」ことを考えれば、「その事柄の善惡は別問題」として、「兎に角支那に在るあの文化生活は、その儘に見ても非常に貴いものであり、美しいものである」。
第2は「理論的に支那を謳歌する者」である。この議論には多くのアメリカ人が与するようだが、彼らは自らの持つ「人生に對する樂觀的の性格」「實行的建設的性格」を「現代の支那」に投影させ、自らの議論を導き出す。「彼等はこの支那人性格の内に在る輝ける部分を摘出し」、「その基礎の上に築かるべき偉大な支那の將來を感嘆の眼を以て眺め」るだけではなく、「曾て支那の王朝が築上げたところの支那人の天才を指してその才能が再び二十世紀に於て目覺むべき日を彼等は驅歌する」。
いや、「驅歌する」だけではなく、「今支那の上下に瀰漫してゐるところのデモクラシーの議論、人道的、平和的の議論、自由主義の主張、それ等をその儘に受入れて、彼等は新しき支那の目覺を喝采する」。加えるに「年若き支那人が新しく築くべき將來の偉大を豫想してゐるのである」。
かくして「これ等の樂觀的議論を我々は殊に米國の宣�師の間に見る」と結論づけるのだが、ここに鶴見の慧眼を見る思いだ。
20世紀後半のアメリカを代表するジャーナリストのD・ハルバースタムは自著の『朝鮮戦争(上下)』(文春文庫 2012年)で、アメリカが中国を失ってしまった、つまり毛沢東に拠る共産中国を誕生させてしまった背景を次のように記している。
「多くのアメリカ人の心のなかに存在した中国は、アメリカとアメリカ人を愛し、何よりもアメリカ人のようでありたいと願う礼儀正しい従順な農民たちが満ちあふれる、幻想のなかの国だった。(中略)多くのアメリカ人は中国と中国人を愛し(理解し)ているだけでなく、中国人をアメリカ化するのが義務だと信じていた」。
「かわいい中国。勤勉で従順で信頼できるよきアジアの民が住む国」。
「アメリカの失敗はアメリカのイメージのなかの中国、実現不可能な中国を創ろうとしたためだった」。
鶴見とD・ハルバースタムに付け加えるなら、中国と中国人に対するアメリカ人の振る舞いの背後にアメリカ建国に深く関わる“不都合な真実”が隠されているのでは?《QED》