――「支那はそれ自身芝居國である」――河東(7)河東碧梧桐『支那に遊びて』(大阪屋號書店 大正8年)

【知道中国 1849回】                       一九・一・念七

――「支那はそれ自身芝居國である」――河東(7)

河東碧梧桐『支那に遊びて』(大阪屋號書店 大正8年)

 船旅の最中、船の小僧が食事を作る風景を目にする。「眞�な米みたいなもの」を、「手もとの脂ぎつた水につける、二三度掻き廻して、それを火にかける、矢張同じ川水で水加減する、其の無雜作な平氣な、有り來つたことを遂行する無自覺な無知識な動作」を眼にし、河東は「息苦しく胸の詰まる思ひに堪へられなくなつてしまつた」。そして一転、当時の議論である日本による「友邦の補導」という問題について考える。

 「友邦の補導といふことも、押し詰めて行けば、政治や經濟の當面の問題でなくて、やがて其の民衆の體質にも生活にも及んで來る、そこまで徹底しなければ、總てが皮相の解決に了つてしまふ。先づ水といふ觀念を與へるだけでも、友邦補導の上の大事業でなければならない」。

 確かに、この考えは現在にも通じる。ある“発展途上国”を援助する場合、援助という振る舞いを「押し詰めて行けば、政治や經濟の當面の問題でなくて、やがて其の民衆の體質にも生活にも及んで來る」だろう。また「そこまで徹底しなければ、總てが皮相の解決に了つてしまふ」ことは必定だ。かくして援助は「そこまで徹底しな」いがゆえに、「總てが皮相の解決に了つてしまふ」。別の見方をするならば、援助する側の自己満足に終始してしまうということになりかねない。わが国にはJICAという政府の組織を頂点にして民間ボランティアまで数多の国際援助組織があるが、この河東の考えにまで気配りしている団体が存在するのか。多くが「皮相の解決に了つてしま」っているのではなかろうか。

 中国で�小平が対外開放の大号令を掛けた時、日本やアメリカなど西側諸国は「経済発展が促され人々の生活が向上すれば、自ずから人々は多様な価値観を求めるようになり、やがて共産党独裁体制は崩壊し民主化に向かう」と考えたはず。だが、対外開放から40年が経た現在、崩れるどころか共産党独裁は一層強固になり、世界の覇権を求めている。ということは、この40年間に西側諸国が続けてきた中国に対する「補導といふこと」は「總てが皮相の解決に了つてしま」ったということだろう。それというのも、余りにも安易に「政治や經濟の當面の問題」に終始してしまったからに違いない。

河東の「先づ水といふ觀念を與へるだけでも、友邦補導の上の大事業でなければならない」という指摘は、援助は「政治や經濟の當面の問題」という考えが誤解、それも大誤解であるということを教えてくれる。

 河東に同行する「兼吉君」は「支那人に對して弱みを見せない呼吸を呑込んでゐる」。そこで、行く先々で法外な料金を吹っ掛ける馬子や船頭、轎子担ぎ、はては旅館の番頭に対し「五尺にも足らない小さな身體で強壓してかゝる」のであった。

 この「兼吉君」の態度から、アメリカ軍中最高・最強の中国通とも伝えられ、?介石軍を督戦し日本軍に対峙したスティルウエル将軍の臨終の一言が思い出される。死を前に枕辺に集まった人々を前に、彼は「きみわからんのかね、中国人が重んじるのは力だけだということが」と呟くのであった(『失敗したアメリカの中国政策』B・W・タックマン 朝日新聞社 1996年)。

 どうやら「兼吉君」の「支那人に對して弱みを見せない呼吸」は、スティルウエル将軍の「中国人が重んじるのは力だけだ」という“遺言”に通じるようだ。であればこそ習近平政権のみならず名もなき中国人の海外での傍若無人で身勝手な振る舞いを「否」と考える凡ての人々は国籍の如何を問わず、今こそ「中国人が重んじるのは力だけだ」というスティルウエル将軍の“遺言”の意味を問い直し、「兼吉君」の「支那人に對して弱みを見せない呼吸」を拳々服膺しようではないか。彼らに弱みを見せてはいけない。絶対に。《QED》


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