――「彼等の中心は正義でもなく、皇室でもない、只自己本位でゐる」服部(14/16)
服部源次郎『一商人の支那の旅』(東光會 大正14年)
もう少し識字率について考えてみたい。
服部の旅行から四半世紀ほどが過ぎた1949年の建国時の識字率が20%と報告されている。章炳麟が「文字のあるものは百分の二に足らず」と記した「革命の哲学」を発表した『民報(第八号)』の出版は1906年だから、この当時の識字率は「百分の二に足らず」、つまり2%以下だったわけだ。もっとも章炳麟の示す数字が正確な統計調査に拠るものなのか不明だが、いずれにせよ革命派、というより20世紀初頭の中国における最高の知性は識字率を2%以下と見做していたことになる。
服部の旅行は大正14(1925)年だから、「百分の二に足らず」(1906年)から「全人口の二十分の一も無いのである」(1925年)までの19年間で、2%から5%に2.5倍増である。服部も章炳麟と同じように正確な統計数字に基づいているわけではなかろうが、それでも1つの“目安”にはなる。
1949年の建国時の識字率が20%だから、いわば2%から5%までに19年を、5%から20%まで24年を要したわけだ。混乱と戦乱の20世紀前半の中国社会を考えると、まずまずの伸び率と言ったところか。
最近の識字率は66.84%(1980年)⇒90.9%(2000年)⇒95.1%(2010年)⇒96.8%(2018年)と飛躍的な伸びを見せる。やはり衣食足りて礼節ならぬ文字を知る、のだろう。2018年時点で文盲は全人口の3.2%(=100-96.8)だから少ないようだが、14億余の人口である。依然として4500万人(14億×0.032)前後が文字を知らないこと驚くばかりだ。
ここで問われている文字が漢字であるとするなら、この4500万人のなかには自らのことばを奪われた非漢族系のウイグル族、チベット族、朝鮮族・・・は、どれほどの割合を占めているのか。こう考えると、識字率の飛躍的上昇が生活水準の上昇であり、共産党政権の文化政策の成果だと単純に見做すわけにはいかない。66.84%(1980年)⇒90.9%(2000年)⇒95.1%(2010年)⇒96.8%(2018年)の上昇する数字の裏側から、自らのことばを失われてゆく非漢族系の嘆きが漏れてくるようにも思える。いや、むしろ無機質の数字が語り掛ける共産党政権の漢化、いいかえるなら民族浄化の残忍さに驚くほかはない。
ここで服部に戻る。
「支那の敎育」に就いては、「今や支那は孔孟道德が廢頽して、祖先崇拝の美風も地を掃ふたと思へた」。「孔孟道德既に廢たつたとすれば、修身倫理の無い國民敎育は危險此上なしである」。
「支那の宗敎」に関しては、「之を要するに支那の宗敎は幼稚である」の一言で切り捨てる。「宗敎は幼稚である」ということは、「支那」そのものが「幼稚である」ということだろう。いや、そうであるに違いない。
「民國政府の無力」について、服部は「近時學匪の跋扈甚しく、今回の上海事件(五・三〇事件)の如き彼等は常に先頭に立ち衆愚を指揮して居る」とし、政府ともあろうものが「彼等の鼻息を覗て外交團」に対応しているほど。「政府の無力無能も呆れるの外はない」ほどだ。「政府の無力無能」の伝統は“天津肺炎”の惨状が呆れるばかりに物語っている。
「中國の小學敎科書に、朝鮮も琉球も支那の屬國であつたが日本に奪はれた書いてある」が、「支那人は支那以外に世界はない、世界は悉く支那であると思つてをつた、故に西洋人を西夷と言い、日本人を東洋鬼と嘲つた」。じつは彼らには「邊彊と云ふ文字はあるが、國境と云ふ思想はない」。それというのも「主權がないからだ」。そこで「一國家の外觀をなすも、其實質に至つては御氣の毒ながら完全なる國家ではない」と喝破した。《QED》