――「劣等な民族が自滅して行くのは是非もないこつたよ」東京高商(14)
東京高等商業學校東亞倶樂部『中華三千哩』(大阪屋號書店 大正9年)
店舗に並ぶ玩具、文房具、化粧品などの雑貨の大部分は日本製、つまり日貨である。ここかから見るなら、「彼等が如何に抵制を叫んでも永續しやう筈がない」。いいかえるなら日貨なくして彼らの日常生活は成り立たない。「それでも日貨を排斥して自國で出來た物を買へと云ふんだから聞いた處は愛國的だがそれは國産品販賣に從事する一二商人を利するばかり」だ。自国製の粗悪品を買わざるを得ない人々にとっては迷惑千万に違いない。
「勿買東洋貨」「泣告同胞抵制日貨」「抵制日貨」などの勇ましいスローガンが並ぶが、「商品の排斥位は何でもない」。問題視すべきは、この動きがエスカレートして「經濟方面から日本を排斥しやうと云ふ考え」が生まれていることであり、こういう動きを等閑視するわけにはいかない。
こう見てくると、「今日日支の間兎角相反目」し将来に不安を抱かしめるに至った「その大半の責は我政府が過去の對支政策に失敗した結果である」。過去に遡る必要はない。「近い歷史を見ても歷代の内閣が如何に拙劣な對支政策をやつたかは明である」。だが災い転じて福となるの例えではないが、「今回の排日」を敎訓として、「我政府に於ても對支政策は根本より改新され、我實業家の對支態度も大いに改められたと傳へられる」という。ならば「一般國民としても此際對支態度觀念を一轉すべき」である。
たしかに、新聞、雑誌、講演に別なく、一連の排日の動きに対する「名論卓説は讀み切れぬほど聞き切れぬほど」に溢れている。だが、「その多くは抽象的机上の論で具體的に實行された日支親善論は殆どない」。
「百の空論より一の實行各人の心機一轉は眞に親善の第一歩だが」、そのためには「國民の頭を改造する」こと必要があり、大前提として「幼童敎育」がある。「(第1次世界)大戰の影響をうけて思想界の大變化を來せる今日、又我國情は勿論世界改造の今日」、「現行小學校教科書にも大改正が加へらるゝのが當然」だ。そこで「多くの支那に關する敎材を増して貰ひ度い」。
「やゝともすれば一方に日支親善を叫び乍ら忠君愛國鼓吹の材料として支那人侮蔑の印象を刻み露人に對する敵愾心の彌が上にも煽り立てるとゐふ矛盾が演ぜられる」。だから「せめては幼童の腦底に眞の日支親善の基礎觀念を深刻し快然として握手し得る血汐を注入して貰ひた」。
――以上が、一行の1人である松本五郎の排日・日貨排斥運動に対する考えということになる。彼らの旅行から100年余が過ぎた今日、日本は日本のままだが、中国は中華民国から中華人民共和国に代わり、その中華人民共和国は建国から30年ほど続いた毛沢東時代の毛沢東思想絶対で政治至上・対外閉鎖体制を脱し、いまや共産党という独裁権力による対外開放・市場経済至上の道を驀進し、「中華民族の偉大なる復興」を掲げ、やがてはアメリカに代わろうと世界覇権を虎視眈々と狙っている。中華人民共和国は生まれ変わったのである。但し、共産党独裁体制は牢固として変わらない。
毛沢東の時代、「アメリカ帝国主義を打倒せよ」「ソ連社会帝国主義を打倒せよ」「日本軍国主主義の復活を許すな」など凄まじくも勇ましいスローガンを叫ぼうが、それが国際社会を大きく動揺させるようなことはなかった。だが“上げ底”であれ、現在の国際社会に置ける中華人民共和国の影響力は増大の一途である。
五・四運動が1921年の共産党成立へ土台になったと捉える共産党政権が運動百周年の節目の今年、五・四運動の柱であった反日・排日の動きを煽動・再演した場合、それを「可愛想な弱者の呪ひの叫び」と切り捨てるだけの備えは出来ているだろうか。《QED》