――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘39)
橘樸「中國人の國家觀念」(昭和2年/『橘樸著作集 第一巻』勁草書房 昭和41年)
いわば100年前に当時の中国を代表するであろう知性が掲げた「好政府(良い政府)」のための3条件のどの1つも、現在でも実現されていない。1世紀も過ぎたのに、である。そう言われれば、1919年の五・四運動で学生が掲げた「中国には《德先生》も《賽先生》もいない」という慨嘆のスローガンが、70年が過ぎた1989年の天安門事件の際、広場に集まった学生が再び掲げられたことを思い出す。
70年が過ぎても中国では、《德先生》こと「徳莫克拉西(デモクラシー=民主)」も《賽先生》こと「賽因斯(サイエンス=科学)」も実現できないわけだから、ましてや「好政府」など出来るわけがない。ということはヒョッとして中国では民主であれ科学であれ、ましてや「好政府」であれ、圧倒的多数の民衆は、それらから「發財主義」を感じ取ることが出来ない。だから内外の民主派が笛を吹こうが、圧倒的国民は踊らない。きっとそうだ。
閑話休題。
「好政府」を求めて先鋭化した李大釗や陳独秀らは「内外に重疊せる障害を破つて理想的な新國家を建設」すべく、共産主義に辿り着く。ここに胡適らの自由主義者に満足しなくなった学生らが合流し、「中國に於ける共産主義運動はソヴェート・ロシアの後援を得て、急速ではないが併し確實な足取りを以て膨脹し來つた」のである。かくして「中國共産黨が第三インターナショナルの一構成分子として組織された」。今から99年前の1921年のことであった。
たしか当時の党員は50人そこそこ。それが98年が過ぎた2019年時点で14億余の全人口の6%前後に当たる9000万人を突破している。最近では党員の汚職・不正が深刻化してきたことから入党資格も厳格化し、党員数の伸びも鈍化傾向にあると言うが、それでも結党から98年で180万倍ほどの膨脹だ。この膨脹の原因を考えるに、共産党独裁政権を「好政府」と信じて入党したはずはないだろう。やはり党員にさえなれば、共産党が「發財主義」を満足させてくれるからだ。そうに違いない。いや、ゼッタイにそうだ。
であるとするなら――再三再四言うが――海の向こうから激しい批判が起きようが、党員の「發財主義」を保障する限り、習近平一強体制は揺るぎそうにない。共産党が嫌いであろうが、習近平が気に喰わなかろうが、習近平政権が在外華僑・華人の、殊に大企業家たちの「發財主義」を大いに満足させる限り、彼らは習近平政権と「双嬴(ウイン・ウイン)関係」を維持する。かくて「中華民族の偉大な復興」路線は爆走を続けるだろう。
ということは、おそらく過半数の党員や多数の華僑・華人企業家が自らの「發財主義」がガタつき始めたと感じた時、習近平政権に“黄昏”が近づくことになるように思う。
さて橘に戻ると、彼は1924年に制定され綱領に従って共産党による国家改造計画を紹介しているが、その基本を「經濟的に低い發展段階にある現代中國が要求するところの革命は社會革命に非ずして國民革命である」と見た。そして共産党の「中國革命觀の理論骨子」を次のように解いた。例によって分かりにくいが付き合うことにする。
「第一歩は唯國民革命に向つて進み得るに過ぎず、而して此種の革命は當然資産階級的性質に屬するものである。但し此の革命中にあつても無産階級は一種の現實的にして最も徹底的なる有力部分とならねばならない。何となれば他の階級より多く列強の經濟力に束縛され妥協的傾向を免れないのみならず、宗法社會の陷穽裏にあつて其れから脱却する事の出來ないものだからである」。
まあ、総論的部分に関する橘の理解も他愛のないものだが、各論に入り少数民族や国際問題に関しては率直に言ってアカン。こりゃアカンワ~ッ・・・ダメダこりゃ~ッ。《QED》