――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘33)橘樸「中國人の國家觀念」(昭和2年/『橘樸著作集 第一巻』勁草書房 昭和41年)

【知道中国 2072回】                       二〇・五・初六

――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘33)

橘樸「中國人の國家觀念」(昭和2年/『橘樸著作集 第一巻』勁草書房 昭和41年)

孫文が唱えた「發財主義」とは何か。じつは「發財とは金儲けを意味する俗語である」。カネ儲けと聞けば「總ての中國人が耳を欹てる」。だから孫文の革命、つまり三民主義を実現することが「軍閥及び列強に虐げられつゝある中國民族及び其の各成員の爲に殘された唯一つの發財の道であると説いたならば、無智なる民衆の興味を惹起することが出來ようと孫文は考えた」と、橘は説く。

要するに、橘の理解する孫文革命の核心は、国民に「發財主義」を徹底して納得させるということになる。そう言われれば、毛沢東革命(=土地改革)が成功した大きな要因は地主から奪い取った農地を分け与えて農民の「發財主義」を満足させ、農民の利益を誘ったからだろう。�小平の開放路線が圧倒的支持を得たのは、彼が掲げた「先富論(リクツは抜きだ。誰でも構わないからカネ儲けしたいヤツは遠慮なくカネ儲けに励め)」に「發財主義」に共通する意味合いを国民が直感したから、ということになるに違いない。

では、なぜ?介石は大陸を追い出され台湾に逼塞せざるを得なかったのか。毛沢東の大躍進は無残な結末に終わったのか。文化大革命は悲惨な10年を歴史に刻むことしかできなかったのか。天安門事件以来の中国の民主化が掛け声倒れに終わってしまうのか。胡錦濤が進めた「和諧社会」「小康社会」路線が立ち消えになってしまったのか。突き詰めれば、それらの全てが高い理想・理念を掲げたとしても、圧倒的大多数の国民がそれらからは「發財主義」を実感できなかったからだ。たしかに、リクツや理想では腹は膨れない。

?介石の反共主義からも、毛沢東の急進的社会主義化からも、文革が掲げた「魂の革命」からも、民主派による民主化からも、胡錦濤の“生真面目風”な政策からも、国民は「發財主義」のニオイを感じなかったということだろう。

そこで思い当るのが、文革で徹底して虐め斃され無残な死を迎えねばならなかった劉少奇である。劉少奇は無謀な大躍進政策によって疲弊した社会を立ち直らせるために、国民に一定程度の私有財産を認めた。いわば極く限られた範囲ではあるが「發財主義」を発揮できる余地を与えた。その結果、国民は飢餓から脱し、心安らかな生活を送れるようになり、劉少奇への支持が高まった。いわば劉少奇が国民に許した「發財主義」によって自らの居場所――いわば毛沢東一人だけに許された無限の「發財主義」――を失うことに恐怖したからこそ、毛沢東は考え得る限りの方法を駆使して劉少奇を完膚なきまでに叩きのめした。紅衛兵も、林彪も、四人組も、はては国家・国民も、そのための小道具に過ぎなかったように思えてくるの・・・だが。

「發財主義」の基づくなら、一帯一路やら超の字の付くような覇権路線を外国から批判されようが、それが大多数の国民の「發財主義」に結びつく限り、彼らは習近平一強路線に“愛想尽かし”をすることもない。つまり海外からの批判の高まりなんぞは習近平政権にとって痛くも痒くもない、ということになる。では、習近平路線はもちろんのこと共産党一党独裁を突き崩し民主化を促す方策は、「あなた方は騙されている。真の『發財主義』は民主化されてこそ実現されるのだ」と大多数の国民に周知徹底させるしかないだろう。

四の五のリクツを重ねても意味はない。中国社会を変革させるカギは、そのものズバリ「發財主義」です。カネになれば動くが、ソンするなら動かない・・・ゲンキンなものだ。

社会民主主義者である「孫文の所謂發財は、勿論資本家や資本家階級を創造する意味ではなく、國家を富ましめ、それに依りて國民の生活を保證させる事であ」り、「之を政治經濟的に解釋すれば國家資本主義であり、國家が國民の生活に對して責任を負ふ事である」と、橘は説く。年を経るほどに、孫文は社会民主主義者の色合いを濃くした。《QED》


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