――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘32)橘樸「中國人の國家觀念」(昭和2年/『橘樸著作集 第一巻』勁草書房 昭和41年)

【知道中国 2071回】                       二〇・五・初四

――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘32)

橘樸「中國人の國家觀念」(昭和2年/『橘樸著作集 第一巻』勁草書房 昭和41年)

封建中国の王朝の体制を強引・単純に図式化すれば、皇帝と官僚階級が構成する国家が搾取する側に立ち、それを搾取される側の老百姓(じんみん)が支えてきたことになる。ならば老百姓としては、損になってもツメの先ほども得にはならない国家に忠誠を尽くすわけがない。加えて官僚階級も私腹を肥やすことに専心するから専ら特権を弄ぶばかりで、国家が足手纏いになったらトットと逃げ出す。国家に殉ずるなどという割の合わないことは真っ平御免だ。かくて「皇帝以外の誰人も國家を顧みない」のであった。

そこで、清朝を打倒してアジアで最初の立憲共和政体の中華民国を打ち立てるキッカケとなった辛亥革命となる。

「官僚國家の形式を破壞し去」るという正しいことを行ったものの、革命家たちは「過去の力強い墮性の上に立つ反動勢力と民衆の政治乃至國家に對する無關心」に失望する。彼らの40年ほどに及ぶ革命活動の内の「三十數年は專ら知識ある人々に訴え」ることに費やされた。だが革命成功の要因は孫文を筆頭とする革命派の考えを受け入れた「新興勢力の強かつた爲ではなくして、清朝が弱かった爲である」。つまり弱い清朝は崩壊すべくして崩壊しただけであった。

孫文の説く「近代的國家思想」を受け入れて革命に賛同したかに見えた新興勢力だったが、どうやら「其の利己心を滿足し得た瞬間に其の指導者を振り捨てる」。つまり新興勢力は孫文ら革命派より「過去の力強い墮性の上に立つ反動勢力」の方が「利己心を滿足し得」ると判断したわけだ。

失望し「深く迷ひ込んで居た孫文の及び其の同志」の前に現れた「天來の福音とも言ふべきもの」が「國家を改造するに民衆、殊に無産階級に根據を置くところの社會革命でなくてはならないと云ふ(ロシア革命の)�訓であつた」。それ以降、「無智な民衆に向つて國家觀念を注ぎ入れる事に孫文が其の心血の全部を用ゐるに至つた」。

この橘の考えを敷衍するなら、アジア主義であろうが大アジア主義であろうが、掲げる主張・理想はどうあれ、頭山や犬養ら日本の支援者の助力を受けていただけでは中国を近代的国家に改造することは不可能だと、孫文が思い至ったことになる。いわば孫文が最後に辿り着いた「連ソ・容共・扶助工農」は日本の支援者への決別宣言、ということだろう。孫文にとって日本の支援者との連携は国家改造のための手段でこそあれ、目的ではなかったらしい。

日本の支援者たちは、孫文の路線変更を裏切りと受け取ったのか。孫文を忘恩の徒と見做したのか。だが、ここで考えておくべきは、孫文にとっての唯一最大の目的は国家改造だったこと。この目的のために孫文は手段を択ばなかった。それだけだったはずだ。

「中國の民衆と國家、此の両者を結び付ける」ことに腐心した孫文は、「勞働者を説得する爲に國家を天秤棒に譬へて見た」。そして「天秤棒が諸君の生活の爲に道を開いてくれる樣に、將來は諸君の國家が諸君の爲に自由にして報酬多き勞働の機會を提供するであらう」と説いた。これを橘は「如何にも適切な比喩であり、同時に疑のない事實でもある」と評価する。

だが現実を見れば、「國家は彼等に取つて金棒であ」るうえに、「此の金棒は鬼の樣な官僚階級の手にある」。ということは中華民国は共和制を掲げているものの、実態は封建王朝の国家(=皇帝+官僚階級)から皇帝を取り外しただけであり、辛亥革命は革命を掲げてはいるものの、革命とは似て非なる“奇妙な政変劇”に過ぎなかったことになる。そこで官僚階級打倒が大課題となった孫文は、晩年に「『發財主義』と云ふ事」に思い至った。《QED》


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