――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘44)橘樸「中國人の國家觀念」(昭和2年/『橘樸著作集 第一巻』勁草書房 昭和41年)

【知道中国 2083回】                       二〇・五・念八

――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘44)

橘樸「中國人の國家觀念」(昭和2年/『橘樸著作集 第一巻』勁草書房 昭和41年)

幹部による権力と富の独占構造は、共産主義の教科書が教えてくれたわけではない。やはり中国伝統の権力構造に裏打ちされたものだろう。伝統だからリクツではない。国民を納得させるだけのリクツがないから、強権に頼るしかない。

いま習近平一強体制を批判する声があるが、それは外部のものであり、中国内部ではおそらく多くの幹部が支持しているに違いない。それというのも、今は習近平一強体制を支持することが、己の「發財主義」に繋がっているからと想像できる。目下のところは、習近平一強体制における勝ち組の方が負け組よりは威勢がいい。いわば幹部の間では、現体制の利得者が多数を占めているということだろう。

だが、だからといって泣き寝入りするほど中国の老百姓(じんみん)はヤワではない。伝統の「阿Q精神」ではなく、毎度ながら「上に政策あれば、下に対策あり」を駆使し、それなりの「対策」を考えて入りに違いない。首をすぼめ上からの「政策」が頭の上を素通りするのを眺めながら、彼らなりの「対策」を立てて対抗策を練っているはずだ。

たとえば依然として文革が猛威を振るっていた1970年代初期、長江デルタに位置する浙江省のある農村では、集団所有制を装いながら村人たちは金属加工工場数軒に加え、段ボール箱工場、飼料工場、発電所、レンガ工場まで設立・経営し自分たちの発財主義に励んでいた。

じつは「それらはすべて、農村は穀物を栽培して『大寨に学べ』という国の命令をまったく無視して行われたことだった。〔中略〕村の指導者たちは『総合工場』という名のもとで、新たな企業経営に乗り出した。そして、一九七六年に毛沢東が死去するとたちまち、計画経済下の集団所有制企業という仮面も剥ぎ取られたのだった」(フランク・ディケーター『文化大革命  人民の歴史1962-1967』人文書院 2020年)という。

再び、三度の閑話休題。

どうやら橘が理解する共産党と国民党の理想国家は五十歩百歩であり、ことに共産党が描いた理想国家は絵にかいたモチに近く、現在の習近平一強体制に押さえられた中国は、1世紀ほどの昔に共産党が打倒すべきと規定した当時の中国と大きな差はないように思える。

まさに橘は「共産黨及び國民黨の近き將來に建設しようと望んで居る新國家の内容は、大體に於て同じものである」と。

ここで橘に依れば、国家改造勢力は2つの勢力――共産党や国民党のように一切の敵を「掃蕩する爲には、絶對に妥協的態度を排斥」し、軍事力・暴力に頼ろうとする勢力。一方は「好政府」を希求する知識人らを軸に「平和即ち妥協的手段に依つ」て目標に到達しようとする勢力――に分かれることになる。

この両勢力が学生らの前に現れ、選択を迫った。いや媚を売り、篭絡した.

たしかに1919年の五・四運動に繋がってゆく文化革命によって学生たちは「三千年の傳統なる家族主義の拘束」から解き放たれ、「新たに家族主義を脱して個人主義者となつた青年」ではある。だが、だからといって「僅か三四年の間に再轉して社會主義者となる事は果して可能」だろうか。

じつは「彼等の多くは中産家庭の子弟であつて」、家庭環境に基づくならば「彼等は寧ろ自己主義を選ぶべき立場にある」。加えて彼らにとって最大の興味は「新國家建設にあつて、必ずしも(プロレタリアートのように)社會乃至經濟理論の追及ではない」。だから彼らを新国家建設に参加されるための「第一條件は、的確なる新國家建設の目標を掲げ且つ之を實現する可能性を示す事にあらねばならぬ」というこちになる。《QED》


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